「相馬広域こころのケアセンターなごみ」さんにおじゃましています

 みなさんこんにちは。PSWの上久保です。
 このたび、福島県相馬市にあるNPO法人 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会(kcn)の支援のお手伝いに来ています*1
 福島県
 相馬市?? っていう方もいらっしゃることでしょう。かくいう私もそうでした。
 そういう方はこちらをみてくださいね。

どうして相馬市に行ったのか?

 3.11の地震福島第一原発放射能汚染によって、福島県の海側で特に北の地域である相双地区では、200床といった精神科病院のいくつかが閉鎖されてしまいました。「閉鎖」というのは、福島第一原発のすぐ近くにあったため、その病院そのものが立入禁止区域の中になってしまったため*2だったり、緊急時避難準備地域になってしまったため*3だったりします。

右の図で、海沿いに赤い印がいくつかあります。そこが、それぞれ精神科病院あるいは精神科病床をもつ総合病院です*4

 それらの病院に入院されていた方たちは、それぞれの病院の職員さんや受け入れ先の病院(松沢病院など)やその他たくさんの人たちの努力によって転院されました*5
 精神科の医療機関が相双地域からなくなってしまう。しかし、地震津波原発の被害の深刻化で、今こそむしろ精神科医療が必要となるときでもあります。そのようななか、「「相双地域」の精神科医療保健システムが被った障害から回復、復興、新生する取り組み*6」として開設されたのが、相馬広域こころのケアセンターなごみです。そして、このなごみさんアウトリーチ活動、ぴあクリニックでいう「訪問」とか「アクト」みたいな活動をされているということで、私がお手伝いに伺いました。

虹の家みたいなところ

 昨日の夜に相馬駅のすぐ近くの相馬ステーションホテルに着き、今朝はじめてなごみさんに伺いました。相馬駅から歩いてすぐの場所、すぐ近くにお弁当屋さんやカラオケボックスがあります。

 ミーティングのあとに、訪問している方の日中活動の場である「なごみクラブ」に行きました*7
 作業所の2階にあるのですが、これから虹の家のようなほっとできる、ただただごろりと横にもなれるし、わいわいと活動もできるような場所になっていくんだろうなあと感じます。ここでお会いしたスタッフの方は、雲雀ヶ丘病院のデイケア担当の看護師さんだったそうです。
 デイケアをたちあげていろいろあったけれども、すごくいい感じになってきて、「ああ、これからデイケアでいろんなことができる! もっともっといい場所になっていく!!」と思っていた矢先の3.11だった、本当に悔しかったと言われていました。

 「・・・と思っていた矢先の3.11」

他の方からも伺った言葉です。
 日々一生懸命やってきた。未来がある、これからのために、頑張ってきた。
 その営みが、根こそぎ覆されてしまった。

 それがどれだけつらい・悔しい・悲しいことなのか。

小高地区を案内してもらいました

 午後は、お忙しい中にもかかわらず、地震津波そして原発の被害の深刻だった地域を案内していただきました。
 まず案内していただいたのが、みちのく鹿島球場です。
 少し高台にあるのですが、津波の被害で球場の1階の天井まで津波の跡が残っています。すさまじさが感じられます。


 DeNAの中畑監督もプレイしたことがあるという球場ですが、今は再開の見通しがたっていません。

 球場わきに車の残骸がたくさんありました。やむなくここに置かれているらしいのですが、津波の被害のすさまじさが感じられます。


 と同時に、「草にまみれている」ところが、この地域の特徴です。
 昨年、仙台に伺った時も、このような光景はみられました。けれども、草は生えていませんでした。というのも、多分、仙台であれば、多少はこのような車が残っていても、可能な限り片付けられています。このように草が伸び放題になるまで、残骸が残っていません。放射能汚染の問題もあり、この地域の復興のめどは全くというほどたっていません。だから、このようなままで、草が伸びるにまかせてある。
 草が生え放題のところに、無残な光景が残っているというのは、このあともずっと続きました。

 まだまだ書かなければいけないことがたくさんあるのですが、時間切れです。とりあえず、以前は「立入禁止区域」の境界であった原発から20㎞地点と、現在の立入禁止区域である原発から16㎞地点です。
こちらが、20㎞地点。黒のワンボックスは警察車両です。

そして、こちらが16㎞地点。警察官数人が常時待機、立ち入りをチェックしています。


福島の人が分断されていることを知ってもらいたい

 午後に案内をしてくださった事務局の大谷さんに、「いま、伝えたいこと」をお聴きしました。私たちは浜松で日々忙しく生活していると、いま福島で何が起こっているのか、よくわからないし、ついつい忘れてしまうんです。そういう私たちに、大谷さんは何を知ってもらいたいですか?という質問に対して、大谷さんはう〜〜ん・・・と考えたうえで、

福島の人たちが分断されている、っていうことを知ってもらいたいですね

と言われました。
仮設に住んでいる人/お金があってもとの家を修繕して住んでいる人
立入禁止区域になってしまって、もう戻ることができないであろう人/被害はあったけれども戻れる人
放射能のことを心配している人/もう心配しても仕方がないと思っている人
放射能の被害が不安なので子どもとともに県外に避難したいと思っているお母さん/「大丈夫だ」「どうしてそんなことを考えるんだ」ととどまろうとするお父さんと姑さん
などなど。

 以前であれば、一緒に仲良くつきあえるところでつきあえた人たちが、さまざまな事情で、深刻に対立せざるをえなくなってしまっている。
 あまりに将来の見通しがつかないために、何を、どう、判断してどう優先順位をつけていいのかが全くはっきりしない。そのなかで、でも、優先順位をつけて行動していかなければいけない。
 はっきりしていれば、みんなある程度まとまれる。例えば、「避難しなければいけない」となれば、避難するしかない。100%安全だとわかれば、安心できる。

 けれども、特に放射能に関することは、あまりに不明確なことが多い。また、原発の事故が起こった時も枝野さんが「大丈夫」みたいなことを言っていた。でも、実際はそうではなかった。だから、政府や行政の言うことを鵜呑みにできない。
 そのような中で判断して行動しなければいけないから、よけい対立してしまう。

 そういった深刻な対立が家庭内でも起こってしまう。
 
 そして、誰かが孤立してしまう。

 そういうことが、今、福島で起こっている。
のだそうです。


お忙しい中案内をしてくださった大谷さん、ありがとうございました。
もっともっとみなさんに報告しなくてはいけないのですが、とりあえず今日はこのくらいにしておきます。

 

*1:このNPOについてはこちらもみてみてください。

*2:双葉病院、双葉厚生病院、小高赤坂病院

*3:南相馬にある雲雀ヶ丘病院http://www.haryu-hp.or.jp/hibari/goaisatsu/b-goaisatsu.html

*4:この地図のサイト

*5:もちろんスムーズな転院とはいえず、大変な混乱があったとのことです。それについては、今日も当時雲雀ヶ丘病院に勤めていらした方からおききしました。「本一冊書けるよ」ってみんな言っているよ・・・と、その方はおっしゃっていました。

*6:NPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」丹羽 真一 (福島県立医科大学医学部神経精神医学講座 教授)理事長のことば

*7:http://www.facebook.com/pages/Npo%E6%B3%95%E4%BA%BA-%E7%9B%B8%E5%8F%8C%E3%81%AB%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E5%81%A5%E7%A6%8F%E7%A5%89%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9Akcn/109392119221062の2012年11月14日の記事など