去年今年


ひととせをたえて春待つ冬の松  ぞうりむし

タイトルの「去年今年」は、「こぞことし」と読む。今回の「写真一口説明」を見ると、すきっぱらの年末年始はやや騒がしかったようだ。これを読んで私の脳裏に浮かんだのは、『古今和歌集』の冒頭を飾る在原元方の歌である。

ふるとしに春たちける日よめる
年の内に 春はきにけり ひととせを こぞとやいはん 今年とやいはん

歌の核心を成す「年のうちに春は来にけり」という部分は、現代人でもそのまま言葉としては理解できるだろうが、旧暦のことを知らなければ、意味はわかりにくいかもしれない。旧暦では、暦の上での春、すなわち立春は一月一日頃に訪れる。年が明けた後で立春が来れば、暦の上でも、またなんとなく気持ちの上でも、春を迎えたという気分が出る。ところが、元方がこの歌を作ったときのように、新年を迎える前に立春が来てしまうと、なんとなく暦と気持ちにずれが生じる。元方は、その辺りの違和感のようなものを歌にしたのだ、と言える。

正岡子規はこれを理屈ばかりでつまらない歌であると断じている。歌を素直に読んだ場合、暦の次元における立春と元旦のずれに目を付けたものであることがわかる。工夫としては、これは確かに巧い。けれどもそうした発想上の面白味しかこの歌には見出せない。子規はそのように考えたのかもしれない。その気持ちもわからないではない。

だが、元方が仕掛けたもう一つの工夫に、子規は気づかなかったようだ。無意識のうちに読み流してしまいそうになるが、歌の第一句、すなわち「年の内に」は六字で、字余りになっている。字余りになるのであれば、この「に」は切って捨ててもよさそうなものである。「年の内 春は来にけり……」でもじゅうぶん歌としての体裁は成り立つ。むしろ、形式面から言えばそちらのほうがよいだろう。しかし、元方はここに「に」を裁ち入れた。のみならず、歌集の編者、紀貫之はこの字余りの歌を古今集の巻頭歌として採用した。この意味は軽くない。

現代の私たちから見れば、この歌は暦のずれを歌っただけのつまらぬ作品だという子規の評価に妥当性があるように思えてしまう。ところが、『古今和歌集』を順々に読んでいけば、この歌が持っていた暦に対する執着というものの根がおぼろげながら掴めてくるのである。春の歌の部の前半は、暖かい春の訪れを待ち侘びる歌でそのほとんどが占められていて、乱暴にくくってしまえば、「暦の上では春が来たのに、未だに春らしい春が来ない」という泣き言に尽きる。雪やうぐいすなどの歌題を中心に、そうした同想異曲の歌が並んでいる。「だから古今集などつまらない」と即断を下してしまうのは簡単だが、歌を味わおうとする者は、そのことの意味を考えて見なければならない。今日のように暖房器具が揃っていない当時、今よりも寒さがきつかったと考えることもできるし、実際そうであったかもしれないが、詩心の核心はそんなところにはあるまい。

当時は、暦が現在とは比較にならぬほどの重みを持っていたという事情を想像してみなければならない。現代では、学校の時間割から会社員の業務時間まで、時間は社会に生きる人間を管理する枠組みとしての側面が強いが、言うまでもなく平安の人々にそんな抽象的な時間観念はなかった。平安貴族にとっての時間とは、宮中行事と、それに伴う季節感こそが重要な枠組みであり、それが経験の根として息づいていたはずだ。和歌というものが発生してくるとき、こうした経験の在り方が深いところで働いていたと見なければならない。暦に対する思い入れがこれほど深いものであったというのは、それが宮中を中心とした彼らの生活とそれだけ密接に結びついていたからである。平安人の立春には、暦の上での春と、感覚的な肌寒さという二つの矛盾する側面があった。暦は単なるカレンダーではなく、平安人にとっての生活実感そのものである。そして、体で感じる寒さもまた体験的な実感である。

字余りを顧みずに元方が裁ち入れた助詞「に」は、こうした二つの実感の相克を歌にするために、どうしても必要な一字だったはずだ。

年の内 春はきにけり ひととせを こぞとやいはん 今年とやいはん

既に述べたように、こちらのほうが歌の形としてはすっきりする。だがこのとき、歌に現れる感情もすっきりしたものになってしまう。これでは、歌の詞書にあるような、「経(ふ)る年に春立ちける日詠める」(既に過ぎ去ったはずの年内に立春が来てしまった、まさにその日に詠んだ)気持ちは色褪せ、歌は平板になる。これに対して「に」を入れた場合、字余りという形式上の逸脱が、そのまま「春ならぬ春」(立春ではあるが新春ではない)に対する戸惑いを表現することになる。

そして、この「春ならぬ春」に寄せる戸惑いは、「一年(ひととせ)を去年(こぞ)とや言はん今年とや言はん」(春が来てしまった、この一年を、去年と呼ぼうか、今年と呼ぼうか)という歌の後半部の戸惑いに対応するものである。『古今和歌集』春の歌の部の前半に収められた歌を、私は泣き言といったが、それらはこうしたずれを埋めようとする心の働きから出て来たものなのである。子規は、「年の内に」の「に」を不用意に見逃すことによって、こうした平安人の実感をも見過ごしてしまったことになる。

だが、これを見落とした子規の価値観は現代人の私たちにむしろ近いものであって、単なる誤解だとして片づけてしまうわけにはいかない。この誤解の仕方そのものの中に、私たちの価値観が逆説的に照らし出されているからである。暦上のずれに寄せた元方の実感を、単なるリクツだと眺めた子規の価値観は、彼が確かに近代的な物の見方に属していたのだということを教えてくれる。それは、私たちの季節感、時間観、そして事物や人間に対する心の持ち様と一続きになっている。元気だった頃の祖母や祖父を思うすきっぱらの感情は、現代人のものである。

ぞうりむし
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写真一口説明:

祖母が倒れ、祖父が倒れ。
そんな年末年始。
元気だった頃の思い出が頭をよぎる。

すきっぱら