かけらを集める(仮)。

2018-07-12

[][]高松にもう1日

  • 早朝の高松港 4:30過ぎに起床。身仕度をして、5:00頃、ホテルをチェックアウト。6:15発のフェリーに乗ることにしたので、6:30からのホテルの朝食は食べられなかった。残念。早朝の高松港、サンポート高松を散策し、コンビニでパンを買って、朝食とする。まだそれほど暑くはないが、でも、今日も一日暑くなるんだろうな。

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ジョゼ・デ・ギマランイスによるサインボード、《ハッピースネーク》。瀬戸内国際芸術祭の際に設置。高松港と芸術祭が開催された島の港周辺に観光案内板、サインボードとして設置されている。高松港にも、いくつか設置されているが、これはその一つ。先日、釧路に行ったときに、ギマランイス作品を見て、瀬戸内国際芸術祭や大地の芸術祭のサインボードを思い出した。

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大巻伸嗣《Liminal Air -core-》。こちらも瀬戸内国際芸術祭作品。すっかり高松港の顔になっていた。

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朝の屋島。

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中央に小さく赤灯台が写っている。

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昨日も掲載の、高松港から見た女木島。

  • 小豆島(には行けなかった。) さて、今日の予定は、小豆島の北村西望作品を回りつつ、寒霞渓など、何ヶ所か、観光するつもり。いろいろ検討した結果、今回は坂手港から土庄港へ、東から西へバスで移動しつつ、野外彫刻を探るつもり、だったのだが… ということで、早朝散歩に続き、JR高松駅BTの┐里蠅个ら6:00発の東高松港のジャンボフェリー乗り場に向かう無料連絡バスに乗車する。10分ほどで東高松港に到着。フェリーが6:15発なので、慌てて、乗船券を買って(690円)、そのまま、今日乗船するフェリー、こんぴら2に乗船。しかし、出航予定の6:15になっても、いっこうにその気配がない。どうもまだフェリーに乗船する自動車の搭載作業をやっているらしい。オレは客室をひとわたり見て回ってから、屋上展望デッキに展示してあるヤノベケンジ《ジャンボ・トラやん》を観に行く。写真などを撮っていると、6:30過ぎになって、ようやく船が動き出した。

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ヤノベケンジ《ジャンボ・トラやん》。手にオリーブの枝を持っている小豆島仕様。

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ようよう出航。フェリーが岸壁を離れる。

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朝の屋島を背景に、とらヤンを撮っていると…

  • 高松東港を出て、いよいよ小豆島へ向かう、というときに、異音がして、船首の方からモクモクと白い煙が上がり、船が止まってしまった。あれれ、何かしら。事故? 小豆島でのバスの時間があるのだから動けよ、とは思うものの、船はいっこうに動き出す気配がない。客室に行くと、電灯が消えている。どうも停電しているようだ。はてさて。エアコンももちろん停止していたが、船室はそれほど暑くはないのは助かる。
  • 6:50頃、全乗客が4Fに集められ、船員から状況を聞かされる。なんでも、エンジントラブルで機関が停止してしまったので、アンカーを打ったとのこと、状況が進展次第報告するが、現状では全乗客に下船していただき、高松港に戻ってもうらことになるとのこと、その準備のため、2、3時間かかると思われるので、船内で待機をお願いするとのことだった。さて、こんなこともあるのか、と驚きもしたが、ありがたいことに、現状では危険があるわけでもないし、こうなれば、オレとしては帰りの飛行機に乗れればまあいいやというところなので、気長で待つことにした。和室?というか、カーペットが敷いてある部屋で、ごろんと横になり、いろいろと耳に入っている話を聞いたり、うつらうつらと眠ったりと時間をつぶす。馬鹿話をしているおっさんのグループや、熱心に2時間ドラマについて話し込む大阪の夫婦とか、何とはなしに聞こえてくる話がなにかおもしろい。
  • 外ではぼちぼちと陽が差し始め、だいぶ暑くなってきた。そのためか、冷たい水が準備され、船員が乗客の体調をチェックしつつ、ペットボトルを渡して回っている。トイレの前にはバケツに汲んだ水が準備されていた。1時間ほどして、何やら、エンジンをかけようとする震動がするが、全く動き出す気配はない。
  • 9:00を回った頃、船員より、乗客全員が小型船に乗り換えて、全員下船することとなったと伝えられ、乗船口付近に集められる。乗客は全部で46名、20名ずつ小型船で東高松港のジャンボフェリーの乗り場に戻ることになった。オレは最初の便に乗船した。乗り換え前にライフベストを着せられる。さすがに暑い。20名の乗客が乗ったところで、小型船が動き出す。10分ほどで、東高松港に到着。下船し、ジャンボフェリーの待合室に誘導される。
  • 今後については、個々の乗客ごとに対応するとのこと。オレは、まだ時間が早いので、高松から土庄港他に渡るなどして、小豆島へ行くことも不可能ではなかったが、ケチがついたので、今回の小豆島は中止にすることにした。なので、乗船券の払い戻しを受けた(他にお詫び金が出た)。乗客を待たせないように、対応窓口を5、6箇所設けて、対応を行っていたのはよかった。あまり長く待たされることもなかった。ここまでで10:00過ぎ。サンドイッチ、おにぎり、ペットボトルなどが準備されていたので、これを食べながら、高松駅行きのバスの発車を待つ。当初は急ぎのお客にはタクシーを使って高松駅まで送るつもりのようだったが、タクシーの準備に時間を要するためか、結局、希望者をバスに乗せて、高松駅まで行くことになり、10:30過ぎにバスが出た。10:45頃には、高松駅に到着した。同港のスタッフに丁重にわびを言われ、オレとしては、振りだしにもどった次第。
  • 後の報道によると、事故が起きたのは、高松港沖1.2kmの海上で、海保の調査では配電盤がショートして船内に電気が供給できなくなったとのこと。オレらの乗った小型船は、ジャンボフェリーの手配した船と、高松海上保安部の巡視艇とがあったようだ。13日、運輸安全委員会は、今回の事件を船舶インシデントに当たると判断し、船舶事故調査官2人を高松港に派遣した、とのこと。
  • 15:00過ぎに、高松港から遠望するに、こんぴら2は、まだ同じ場所でゆらゆらしていたが、船はどうなるんだろうか? まあ、修理して、動かすんだろうけれど、自動車ごと乗船した人たちは、自動車や積み荷を無事に回収できるのかしら?

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こんぴら2から小型船に乗り換えた。小型船の客室の窓にフィルターが貼ってあるので、こんな色合い。

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小型船が高松東港に着いた。窓からこんぴら2が見えた。写真中央に小さく見える。

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15:00過ぎ、高松港から、沖合でゆらゆらしているこんぴら2が見えた。

行けなかった思い出に(笑)、今回の小豆島計画のメモしておく。リベンジ用。

連絡バス/高松駅BT6:00→6:05高松東港 フェリー/高松東港6:15→7:30坂手港 ■坂手港周辺 オリーブバス/坂手港8:41→8:55草壁港9:00→9:14紅霞亭 ロープウェイ/紅霞亭→山頂 ■寒霞渓/山頂→紅霞亭 バス/紅霞亭11:55→12:09草壁港 ■島醸の西望作品 バス・清水12:40→12:44オリーブ公園口 ■オリーブ公園 バス/オリーブ公園口13:55→14:27土庄港 ■土庄港周辺 フェリー/土庄港15:45→16:55高松港

■ジャンボフェリー・屋上展望デッキ ヤノベケンジ《ジャイアント・とらヤン》

■坂手港 ヤノベケンジ《スターアンガー》、北村西望《平和の女神》、ビートたけし+ヤノベケンジ《アンガー・フロム・ザ・ボトム 美井戸神社》

■寒霞渓

■草壁港近くの、島醸に、北村西望《獅子吼》、創業者の肖像彫刻など。

■オリーブ公園/オリーブ記念館 北村西望《母子像》など

■土庄港 矢野秀徳《平和の群像》、《塚本文次翁》、《オリーブの女神》、チェ・ジョンファ《太陽の贈り物》


  • うどん 先ほど、船会社が準備した軽食を食らったばかりだが、昼時も近いので、まあ、うどんでも食らって、落ち着くべえ。それから、午後のプランを立てるべえ、ということにした。

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駅前のうどん屋にて、ぶっかけ(小)、330円。今回の、初さぬきうどん。すだちを絞ってから、写真を撮り忘れたことに気づいて、慌てて撮るなど。

  • レンタサイクル放浪 プランを立てるといっても、何も思いつかず、結局、自転車を借りて、市街をふらふらすることにした。うまく行き着いたら、栗林公園でも、とは一応の計画。JR高松駅前の地下駐車場で自転車を借りだし、出発。料金は100円。

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JT高松支社前の、野外彫刻。作者など不明。香川県塩業組合連合会の寄贈。ビルの落成に際し、寄贈したものか? 自転車をふらふら乗り回しているうちに出会った。

  • 栗林公園 裏道や細い道をふらふらしているうちに、JR栗林公園北口駅に行き当たった。すぐ近くに栗林公園の北口があるが、ここからは入らないで、公園沿いに進み、中央口から入る。自転車を駐輪場に停め、券売機でチケットを買って、入場。410円。正直なところ、暑いので、

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栗林公園北東の、《三木武吉像》(1958.9.23建立)。三木会による。像の制作者は不詳。

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  • レンタサイクル放浪再び

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  • 17:50、JR高松駅発のリムジンバスに乗車して、高松空港に向かう。17:50から3分ごとに何台かのリムジンバスが高松空港の夜の出発便に間に合うように出るのだが、17:50発の最初の便は必ず混み合う。ここのところ、このバスに乗るのが嫌で、丸亀や坂手から空港に向かうようにしていのを思い出すなど。18:35頃、高松空港に到着。オレの帰りの便は、Jetstar GK418便、高松20:35→22:00成田の予定なので、まだ大分時間がある。適当な夕食を適当に食らったり、展望デッキに出て、沈む夕陽や飛行機の発着を眺めたり、本を読んだりして、時間を潰す。オレの乗る飛行機は、予定どおり19:25には到着し、20:05頃から搭乗が始まる。窓際席なので、早めに搭乗しようと、スマホ画面でチケットを提示したら、読み取るまさにその瞬間に電池切れで画面がブラックアウトした…最後はこれかよ…苦笑 電池の残量表示がおかしくなってきたので、注意していたのだが、残量50%弱で電池切れになったのは初めて。ここのところ、30%前後でシャットダウンするのが常だったのだが…そろそろ本気でなんとかせねば…モバイルバッテリーに繋いで、再始動し、無事に搭乗したが、あまり心臓にいいものではないな。飛行機の方は、20:35に高松空港を離陸、順調なフライトで、21:43成田着陸、駐機場はT3の近くで、2台目のバスでの移動だったが、21:55には到着ロビーに出ていた。そんな次第で、22:15発の終バスにはらくらく乗ることができた。帰りは電車かな、と思っていたのだが、まあ、よかった。23:30頃には、なんとか帰宅できたのであった。

2018-07-11

[][]高松

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  • 高松に行ってきた。成田-高松の往復チケットをバーゲンで入手したので、これを使って、高松空港から行けるところに行こうと思った。行く場所については、坂手や丸亀、岡山あたりも含め、いろいろと検討したのだが、結局、高松に行くこととし、1日は高松市内に、もう1日は小豆島に渡ることにした。目的としては、高松の街中の野外彫刻を探ること、あじ竜王山公園へ行くこと、そして、小豆島の北村西望作品を探ることの3点である。ただ、このうち、最初の高松市街の野外彫刻以外の2件は、残念ながら、目的を果たすことはできなかった。あじ竜王山公園については、レンタサイクルで行くので、行程のハードさから、もともと行けたら、ラッキーぐらいのつもりでいたのが、行程のハードさに加えて、猛暑で、あえなく挫折してしまった。(もっとも、行けたところで、先だっての豪雨のため、公園自体が閉園中だったようだ。)2日目の小豆島については、行きは高松東港から坂手港にフェリーで渡る予定だったのだが、船のエンジントラブルで、小豆島に渡ることができず、これまた、挫折してしまった。といういう次第で、今回の旅行では、予定の3件のうち、1件しか目的を果たせなかったが、船の件など、なかなかおもしろい体験もでき(少し負け惜しみ)、それはそれで楽しい旅行ではあった。
  • 最寄り5:30発のバスで成田空港へ向かう。ほぼ定時の6:35頃、T3に到着。出発まで間があるが、早々に保安検査場を通過して、出発ゲートに向かう。ゲートは161だが、もう少し奥の方の静かなところで一寝入り。このあたりはいつものとおり。行きは、Jetstar GK411便で、成田8:50→10:15高松の予定。8:20頃、搭乗が始まり、9:06に成田空港を離陸、10:10頃高松空港に着陸。10:15頃に到着ロビーに出た。
  • 高松空港の野外彫刻 今回は、バスにはすぐに乗り込まず、空港入口に設置のイサム・ノグチの野外彫刻《time and space》を観に行く。高松空港付近のイサム・ノグチ作品は、この石組み彫刻の他に、空港から行ったら、最初の交差点の北東側に壁面彫刻がもう一つある。意識して観ないと、見逃してしまいそうだが、こちらも、高松行きのリムジンバスの車窓から観ることができた。

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イサム・ノグチ《time and space》(1989)。イサム・ノグチの遺作となった、庵治石をつかった巨大な石組み彫刻。前方後円墳ならぬ、前三角後円墳という感じか。空港側から見ると、モスラ感も…

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空港には、もう一つ、野外彫刻があった。濱野年宏《響き Dual Energy》(2013.7.3設置)。2013年3月に高松空港の国際線Tの増築が完成した記念に、メセナかがわ・浜野年宏芸術交流協会が寄贈した。濱野年宏(1937〜)は高松市出身の美術家。

  • 高松市のレンタサイクル 空港に戻り、JR高松駅行きのリムジンバスに乗車。10:30過ぎに発車し、11:20頃に到着。760円。駅の地下駐車・駐輪場で、高松市のレンタサイクルを借りる。今日は、天気もいいので、自転車に乗って、高松の野外彫刻を探る。地下の受付で一時利用の申し込みをし、利用案内のビデオを観て、利用方法を頭に入れる(一度利用すればどうということもないの)。自転車はすっぴんのママチャリで、変速機もついていないが、きちんと整備されていて、乗り心地は悪くない。大量にある自転車から自分で適当なものを選び、自転車の状態をチェックして、借り出す。出入り口は機械対応で、利用者カードを使って、料金を支払い、出入りする。ポートは市内に何ヶ所かあり、借り出し、返却はそのどこでもOK。利用時間は7:00もしくは7:30から22:00までで(ポートにより開始時間が異なる)、料金は、6時間まで100円、オーバーしても、もう100円で当日終了まで乗ることができる。便利で格安である。

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高松稲妻号。リュックを搭載するので、かごの大きなやつを選んだ。ファミリーマート古高松店駐車場にて。

  • 高松市立美術館の彫刻 まず高松市立美術館に立ち寄った。展覧会ではなく、館内に設置されている佐藤忠良《バレーの女》という作品がお目当て。市美には何度も来ているが、この作品を観たという記憶がない。なので、ちょっと確かめたくなった。エントランスロビーの流政之作品など、いくつかの彫刻はすぐに目に入ってきたけれど、《バレーの女》はなかなか見つからない。1Fから2Fにあがるスロープを歩くと、その途中の壁面の上の方に《バレーの女》はいた。あまり大きな作品ではなく、ちょっと見づらい位置だ。もっと間近に観られるように展示すればいいのに…館内なので、写真は遠慮した。ところで、ここのところ、高松へは瀬戸内国際芸術際とそれに関連する展覧会などの観覧が中心で、他に観光などもしなかったせいもあるが、高松市内にこんなに流政之作品が設置されているとは知らなかった。市美のエントランスロビーで観た《ナガレバチ》は、今回の高松旅行で出会った最初のものだが、以下続々と流政之作品に出会うことになろうとは…
  • 高松市中央公園とその周辺の野外彫刻 続いて、高松市中央公園へ。事前のリサーチによると、ここにはたくさんの野外彫刻が設置されている。ただ、彫刻公園と呼ぶには、顕彰系の肖像彫刻やら、記念/祈念系の具象・抽象彫刻やら、イサム・ノグチの遊具やら、いささか雑然とした設置ではあるが… まあ、こういうのもおもしろいかも。

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高松市中央公園の案内図。地図中に、野外彫刻の位置と作品名が明示してある。

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自由広場。以前は地面は土のままだったらしいが、今は芝生がはられている。

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では、具象・人物像から。菊池一雄《平和の群像 あけぼの》(1986.4設置)。平和の群像建設期成会による寄贈。1980年高松市で、市民の総意として制定された「高松市民のねがい」のシンボルとして建立されたもの。高松市役所前に、高松市民のねがいを記した銘板を備えた台座の上に、この像の小像を据えたものがあるのだが…

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行ってみたら、メンテ中か、保護シートが被せてあり、観られなかった。ちなみに、翌日も立ち寄ったが、ダメだった。残念。

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阿部誠一《女の子二人》(向かって右が1987、左が1988/1989.10設置)。高松屋島ライオンズクラブが結成25周年を記念して寄贈。少し弓なりになった石のベンチの左右に少女の裸像が設置(こういうのはもう設置できないぃ)。阿部誠一(1931-)は愛媛県今治市出身の彫刻家。佐藤忠良に師事、主に新制作協会で作品を発表。愛媛県に野外彫刻が多くあるようだ。

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池川直《大気》(1987)。池川直(1958-)は、高松市出身の彫刻家・大学教員(鹿児島大学教育学部)。主に日展、白日展、日彫展で作品を発表。1987年当時は高松工芸高校の教員で、本作で県展の知事賞を受賞したとのこと。

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続いて、抽象彫刻を。山田正治《源泉》(1989設置)。香川銀行の寄贈。像の上部から水が流れ出ている。

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速水史朗《サヌキ 一九八八》(1988)

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三枝惣太郎《伸》(1989設置)。ライオンズクラブ国際協会336-A地区・第35回地区年次記念事業として設置。

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寺田武弘《裸の王様》(1988)

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イサム・ノグチの遊具。上が《オクテトラ》、下が《プレイスカルプチュア》。

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次は顕彰系の肖像彫刻。まずは、水原クンと三原クン。《水原茂》・《三原脩》(1993.12.4建立)。制作は渡辺庄三郎。水原・三原銅像建立委員会による。

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《玉楮象谷先生》(1958.4.20設置)。制作は新田藤太郎。玉楮(たまかじ)象谷先生顕彰委員会による。新田藤太郎(1988-1980)は香川県出身の彫刻家。主に官展で活動。戦後は香川県に戻り、制作を行うとともに、香川県美術展の創立に尽力。東京青松寺にあった爆弾三勇士像の作者。空襲で戦前・戦中の作品のすべてが失われ、150基あった野外彫刻/銅像の類も供出でほとんどが溶かされてしまった。

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《國東照太翁像》。制作は新田藤太郎。国東照太翁顕彰銅像建立会による。

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《菊地遏奸1956.10建立)。制作は新田藤太郎。菊地邯仮寛颪砲茲襦

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《小河謙三郎翁寿像》。作者は不詳(未確認だが、新田藤太郎作か?)。高松市立中央球場建設に際し、多大な寄付をした縁で、はじめ同球場に設置された(同球場は1957年5月完成なので、設置はその頃か?)。同球場跡地に中央公園が整備されたのに伴い、1985年12年に現在地に移設された。

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流政之《雨ごいジシ》

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そして、最後は、《ハゲさん》。

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中央公園の花壇の花々

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最後に中央公園周辺の野外彫刻を。まずは、中央公園南側(菊地酊未蠅涼鷦崗譴琉豎僉砲痢⇔政之《大黒天》(2017)。設置者:公益財団法人 流財団、土地所有者:第一法規株式会社。銘板に「この地に菊地遒寮顕箸あった 世に福多きことを願い 大黒天をおくる 2017年 流政之」とある。

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香川県文化会館前の、流政之《おいでまあせ》(1966)

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高松市役所前の、渡部順子《昊に舞へ》。高松市主催の(第7回石のさとフェスティバル)石の彫刻コンクール2006優秀賞。

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高松市上下水道局前の、萬木淳一《水邊》(1981.3設置)。高松市水道局庁舎落成記念。萬木淳一(1936-)は香川県出身の彫刻家で、主に二科展で活動。最初チラ見したときには、水道局だけに《水道》かと思った笑

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香川銀行本店前(工事中!)の、《父帰る像》(1995.2設置)。高松市が菊地酊未蠅魄象づけるために菊地遒梁緝什遒琉譴帖嵒禝△襦廚琉貍賁未鮓気棒作した群像。像の制作は池川直。

  • 中岡慎太郎の彫刻がマイブームというのは何回か言っているが、あじ竜王山公園内の彫刻広場に、その中岡慎太郎《セレナード》(同タイトルの異なる作品がいくつかある)があるとのこと、他にも野外彫刻もあるようだし、眺望もいいらしいので、行ってみようか、と思ったわけだが、ここはマイカー利用以外にほとんど交通の便がない。無理にでも行くとしたら、ことでんバスの庵治線でできるだけ近くのバス停まで行き、あとはタクシーか歩くしかない(4km強の上り道)。あるいは、自転車利用か…自転車といっても、ネットを検索する限り、小野田坂道か真波山岳でもないと、ちと無理という雰囲気。ましてや、すっぴんのママちゃりでよたよた上るというのはいかにも暴挙…という次第で、あじ竜王山公園はあくまでも行けたらラッキーぐらいのつもりにして、ずっと手前にある石匠の里公園と高松市石の民俗資料館をとりあえずの目的地にすることにした。ここにも、石の彫刻作品がたくさん設置されているらしい。(そもそも中岡慎太郎《セレナード》は、石匠の里公園→高松サンポート・アート広場→あじ竜王山公園・彫刻広場と移設されたもののようだ。)※帰宅後に見たのだが、あじ竜王山公園の公式サイトに、7月7日付で、先日の大雨で道の状態が悪いため、閉園している、とのお知らせが出ていた。15日現在で変更されていないので、もしチャレンジしても、そもそも行き着けなかったみたい。
  • ということで、中央公園から志度街道をひたすら西進する。琴電の志度線とつかず離れずという感じ。詰田川を渡って、少し先の道ばたにコンクリート彫刻が立っていた。もちろん立ち寄り、これを観覧。その後、再び西へと走り、琴電の古高松駅近くで、県道36号線に折れる。どこかで、昼メシなぞ食らおうと思っていたのだが、県道に折れたとたんに、それまで数珠なりだった飲食店がまったくなくなってしまった。コンビニがあったので、やむなく、立ち寄り、一休みし、地図などで位置を確かめる。王墓の交差点で左に折れ、スーパー(マルナカ八栗店)前の交差点で右に折れ、いよいよ上りに入る。このあたりから、道の両側は石材店ばかりになり、店の前や空き地には、見本とおぼしきさまざまな石彫が置かれている。これが量的に(一部は質的にも)なかなかすごいものがあった。そろそろ石匠の里公園に着いてもいい頃なのだが、上っても上ってもそれらしきところが見えてこない。道に迷ったか…と焦る。もう暑いし、汗でどろどろだし、引き返しちゃおうかなと思い始めた頃に、公園らしきところが見えた。さらに少し上がり道なりに曲がると、左手に八栗ケーブルの八栗登山口駅があった。さらに進み、やっと公園の入口に到着。自転車の駐車場の片隅に停めて、一息つく。それにしても、暑い。いろいろと野外彫刻らしきものが多く見えるが、暑さに耐えかね、冷房を求めて、先に石の民俗資料館に行くこととする。

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途中の道ばたにコンクリートの野外彫刻があった。手を挙げた母子像(横断歩道を渡るところなのか?)で、交通安全のためのものと思われる。作者など詳細はわかならい。

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左手に屋島が見えてきた。

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石材店の店先や空き地には、石彫の作品、とおぼしきものがごろごろ…

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石材店の店頭にて、えっ、中岡慎太郎作品!?…よく見ると…違うか…これは帰り道で見かけたものだが、他には、空秋充風のものがわりと多かった気が…

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で、とあるマンション前にて、またしても空秋充風…よくできているな、と思って、自転車から降りて観るに、ほんとうに空秋充作品だった、という…空秋充《出会い》(1977)。

  • 高松市石の民俗資料館/石匠の里公園

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  • よれよれとはいえ、石匠の里公園までは来ることができた。進むにしろ、戻るにしろ、一度、海辺の県道まで戻る必要があるが、今度は下り道だ。どうするべえとばかり、今少し先に進むことにした。来た道を下るのもしゃくなので、別の細い道を選び適当に道を下っていく。次は城岬公園を目指すことにした。ここにも石彫作品がいくつかある模様。さて、県道に出ると、道の左右は大規模な石材店/工場が続く。これがなかなかの壮観。作品!?もでかいやつが多い。牟礼町・庵治町が、石材としてよく使われる庵治石の産地であることはなんとなく知っていたのだが、これほどとは思わなかった。なんでも大小200の石材店があるそうだ。丁場(石切場)も遠くに見える。

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  • しばらく海辺を走り、屋島などを遠望したり、石材店で野積みされた石の山に目を驚かせたりしていたのだが、しばらくするとだらだらと上りが始まり、一挙にやる気が萎えてしまった。ダメダメだ。もう少しで城岬公園までたどり着けたようだが、いい加減バテバテなので、ここらで引き返すこととした。
  • ここに来るまでにも、野外彫刻が設置してある公園がいくつかあったようだが、予習不足で見られなかったのは失敗。まあ、そのうち、再戦に臨みたい。ちなみに、ネットで検索した限りだが、以下の情報を得た。牟礼町と庵治町が主催して、1988年からトリエンナーレ形式で「石のさとフェスティバル」を開催、そのメインプログラムとして石の彫刻国際シンポジウム(招待作家による石彫作品の制作)と公募による石の彫刻コンクールが行われる。牟礼町と庵治町は2006年に高松市と合併するが、その年は高松市が主催となって、第7回石のさとフェスティバルが開催された。2009年からは、高松市が主催して、石のさとフェスティバル "瀬戸の都・高松" 石彫トリエンナーレと名を変えて開催。2009、12年開催の第8、9回は、招聘作家+コンクール受賞者による作品制作が行われたが、2015年からは招聘作家による制作のみとなり、ジュリアン・オピー作品が制作された(瀬戸内国際芸術祭によるものばかりと思っていたが、正確にはそうじゃないのね)。今年、2018年は開催年にあたるはずだが、情報が出てこないところを見ると、2015年で終了になったのかもしれない。なお、フェスで制作された作品の多くは、牟礼町、庵治町を中心に高松市内各所に展示されているとのこと。また、未見だが、2015年にカタログ「石のさとフェスティバル・"瀬戸の都・高松"石彫トリエンナーレ : 1988-2015」が実行委員会から出されていることも知った。

  • 屋島ケーブル

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  • 玉藻公園前の野外彫刻その他

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  • 高松港とサンポート高松周辺の野外彫刻

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Banker(銀行家):大理石に黒いペイントの描線

Nurse(看護師):庵治石に金箔で象嵌

Detective(探偵):モカクリームに赤いペイントの描線

Lawyer(弁護士):黒御影石に白いペイントの描線



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流政之

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流政之

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JR高松駅構内の、流政之《DAITEMMAI》(2001)。「抱いてんまい」は香川方言で「抱きしめてごらん」の意。

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高松港から見た女木島、重なるように右側に小さく男木島、さらに奧に豊島。

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2018-07-08

[][]彫刻放浪:市川編(2)

  • 市川市の野外彫刻をいくつか探ってきた。市川編のその2である。今回は、下総中山から本八幡あたりを探った。まずは、京成線の最寄り駅から鬼越駅まで移動。駅から千葉街道に出て、真間川を渡ってすぐの緑地に、最初のお目当ての彫刻、大須賀力《回想》があった。

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大須賀力《回想》(1991/1992.3建立)

  • 鬼高遺跡公園の野外彫刻 続いて、総武線の高架をくぐり、ニッケコルトンプラザの中を抜けて、鬼高遺跡公園へ。ここの彫刻は、たまたまgmで見つけたのだが、全部で4基あった。ここは古墳時代後期の遺跡跡を公園にしたところで、1988年7月に市川市の指定史跡になっている。公園もだいたいその頃整備されたようだ。彫刻はブロンズと石彫が各2基設置されていたが、全くメンテはなされていないようで、うち、2基からは銘板も失われていた。ちょっと残念な感じ。

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渡辺成良《'88バレリーナ》。特に制作年などは記されていないが、タイトルに「'88」とあるので、1988年の作だろう。

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石彫の裸婦像。作者など、不詳。

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ブロンズの少女像。作者など、不詳(像の足下に「Toru」のサイン)。写真ではわかりづらいが、台座に銘板の跡があった。

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西川淑雄《時のはじめに》

  • 千葉県立現代産業科学館前の野外彫刻

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高田洋一《好奇心の門》(1994.1)。石でできた門の上にある赤い部分は風でゆっくりと動いている。

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高田洋一《不思議のたね》(1994.1)

  • 市川市生涯学習センター(メディアパーク市川)の野外彫刻 千葉県立現代産業科学館に隣接する複合施設で、中央図書館、こどもとしょかん・こども館、文学ミュージアム、教育センター、少年センターが入っている。エントランスに福田繁雄デザインの壁画がある他、いくつか、大型の彫刻/モニュメントが設置されていたが、うまく写真が撮れなかったので、今回は大須賀力作品だけ掲載。

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大須賀力《ママ・・・ご本をよんで》(1998)

  • 市川市文化会館 生涯学習センターから少し距離はあったが、文化会館まで歩く。いや、暑くて、まいった。ノックアウト寸前で、たどり着く。入口前にも野外彫刻、原武典《水の中の太陽》(1985.5)があったが、逆光でうまく撮れなかったので、これについては次回を期したい。ちなみに、市川市文化会館は1985年11月開館。エントランス・ロビーに大須賀力作品があった。ロビーで一休みした後、最後の目的地に向かう。県道6を本八幡駅方向に歩くと、最初の交差点にスーパーがあったので、つい吸い込まれてしまう苦笑 それはそれとして、この交差点を渡ったところに、平和祈念の小さな少女像があった。

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大須賀力《歓》(1985)

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渡辺成良《地球・平和・未来 平和の祈りをこめて/未来(みき)ちゃん》(2005.3設置)。アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983.7)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984.3)、日本市川市市川市立大和田小学校(1985.3)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として、大和田小学校近くのこの地に設置されたようだ。

  • 市川市八幡市民会館(全日警ホール)前/葛飾八幡宮参道横の野外彫刻 文化会館から15分弱で到着。いや〜、暑い暑い。まずは葛飾八幡宮に参詣し、八幡市民会館前(というか近く)の、2基ある野外彫刻を観覧。先頃、八幡市民会館は建て直され、しばらく、この2像は観られなかった(?)ようだが、再オープンもしたようなので(2017年3月1日)、今日の最後に訪ねることにした。この2像の設置場所について、市川市の街かど野外彫刻のリストには、「市民会館」とあるのみで、それがどこかわからず(ネーミングライツで「全日警ホール」と呼ばれるようになったので、なおさらわからん!)、探すのにちょっと苦労したが、まあ、なんとか、観覧できた。全日警ホール内には、第一展示室として、中山メモリアルギャラリーがあり、ここで市川市の所蔵の美術作品などが展示されているのだが、今回は時間切れで観られなかった。あまり大きな展示室ではない模様。帰路は、本八幡駅から最寄りまでJRで帰ってきた。

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大須賀力《蒼空へ 自由、愛、平和》(1989設置)

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《浮谷竹次郎先生》(1967/1967.4設置)。像の制作は、藤野舜正(後の天光)。浮谷竹次郎氏胸像建設委員会による。浮谷竹次郎(1887-1965)は、市川市の初代市長で、8期22年にわたり市長を務めた。レーサーの浮谷東次郎のおじさん。

市川市の野外彫刻

2018-07-04

[][][][][]「水のうつわ・空のうつわ 涼を招く東洋陶磁」、「エコール・ド・パリを中心に」、常設展示(松岡美術館)

野外彫刻は、庭園(ただし、庭園には出られない)の創業者肖像彫刻以外にはなかったが、館内にエントランス・ロビーのブールデル《ペネロープ》はじめ、ヘンリー・ムーアやエミリオ・グレコらの彫刻が数点展示されていた。ジャコメッティの猫もいた(これだけ、ケース入)。以上、メモっておく。それにしても、《ペネロープ》、いったい日本に何体あるんだろう?…松岡美術館、北九州市立美術館(本館)、島根県立美術館、野外だと、仙台市の七北田公園、栃木県立美術館…まだあるのかな?

2Fの「水のうつわ・空のうつわ」展は、東〜東南アジアの青花や青磁の展示だったが、涼しげでなかなかよかった。ベトナム青花も出ていたし。

[][][]「ブラジル先住民の椅子 野生動物と想像力」(東京都庭園美術館)

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ブラジル・サンパウロの出版社、ベイ出版のブラジル先住民の椅子のコレクションによる展覧会。メイナクの人々の動物を象った椅子を中心に、90点で構成。また、会場構成は、伊東豊雄が担当した。無銘のいかにも無骨かつマジカルな椅子から、(アートと出会って以後の)作者名のあるより洗練された工芸的な椅子まで、なかなかおもしろい。豹やアリクイなどの造形が興味深かったが、いちばんはエイかな。エイを椅子にだなんて、ちょっと思いつかない。ユニーク。本館の展示は、円を基調にした台を利用。その上に類似のモチーフの椅子が2、3種並ぶ。新館では、外周に少しずつ椅子を半円形に置き、点点を床に描いて結界とする。中心部には、観客が座って眺められるように円形のソファ、スツールをたくさん置いた。椅子の半円、弧の連なりが、いかにも伊東豊雄らしく思われた。床面に点点を描いた結界も緩くていい感じ。メイナクの人々による椅子制作の様子を撮った映像上映もあり。


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新館前の、エドゥアール・M・サンド《座る豹》(1930/ブロンズ)

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東京都庭園美術館には、安田侃、オシップ・ザッキンと、上に載せたサンドの豹の他にも野外彫刻があったはずだが、先頃の再整備の際に移設でもされたのかな?

[][]「TOPコレクション たのしむ、まなぶ イントゥ・ザ・ピクチャーズ」(東京都写真美術館・3F)

2018-07-02

[][]幕張舟溜跡公園と幕張メッセ周辺の野外彫刻

  • 幕張舟溜跡公園の女性像 以前、gmで見つけて、気になっていた幕張舟溜跡公園の野外彫刻を観てきた。公園の最寄り駅は幕張、または京成幕張だが、京葉線の方が、自分としては便利なので、海浜幕張から歩くことにした。京葉線で海浜幕張に出て、駅からゆっくり歩いて、15分ほどで、公園に到着。すでに汗でどろどろ。暑いのは覚悟していたが、こんなに暑いのか…さて、このあたりに来たのは初めてのこと。住宅街の中の公園で、かつて、埋め立てられる前は、公園の名前にあるように、漁船を繋留するための舟溜だったようで、漁撈碑などもあった。(そういえば遊具も船の形をしていた。)さて、お目当ての、野外彫刻はすぐに見つけることができた。髪の長い女性が腰掛けて足を組んでいる姿の像で、公園の名標の上に据えられている、あるいは、台座に公園の名標が付けられている。肝心のタイトルを記した銘板は見当たらなかったが、像にサインがあり、作者は久保田俶通とわかった。年代は80年代前半というところか。

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千葉市花見川区幕張舟溜跡公園の、久保田俶通の女性像。タイトル・制作年などは不詳。


  • 胸のつかえがおりたので(大仰だゾ笑)、このまま、帰ってもいいのだが、せっかくなので、幕張メッセ周辺の野外彫刻を改めて探ってきた。幕張本郷方面に向かう途中にある谷口吉生建築の日本IBM・幕張事業所のビルの回りを久しぶりに観ていたら、入口前に流政之作品があった。他に、池の中にもそれらしきものがあったが、こちらは立入禁止なので、確認できなかった。遠目にはこちらも流政之作品でないかと。

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日本IBM・幕張事業所ビル(千葉市美浜区)入口前の、流政之《TAMMA》(1972)。

  • メッセモールの野外彫刻 続いて、メッセモール設置のいくつかの作品を観覧。メッセモールは、幕張メッセから東北方向に続くやや大きな遊歩道/公園で、ここに、鈴木徹、峯田義郎、山本正道の大きな彫刻作品が遊水施設とともに設置してある。どれもけっこうやばい。寒い頃は水が出ていなかったが、さすがに今回は流れたり、噴き出したりしていた。ただ、100%稼働ではなかったのは、ちょっとさみしいところ。週末は100%稼働しているのかな?

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鈴木徹《星の川》(1989)

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峯田義郎《明日の空へ》(1989)

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山本正道《海からの風 I》(1989)

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山本正道《海からの風 II》(1989)

  • もう少し歩いて、幕張メッセの西側にある鉄の彫刻2点も観てきた。

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フィリップ・キング《トワイライト・オベリスク》(1989.10/普通鋼)。※「鉄の彫刻展 千葉'89 都市と人間ー鉄との対話」出品作

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ロバート・オーン《VESSEL》(1989.10/普通鋼)。※「鉄の彫刻展 千葉'89 都市と人間ー鉄との対話」出品作

  • 最後に、おUを上から撮ってみた。

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2018-06-28

[][]広島→呉

  • 4:30過ぎに目覚ましで起き出す。例によって早朝の野外彫刻探索。こう暑いとやはり早朝は貴重な時間だ。ホテルを起点に、広島城を抜けて、中央公園、こども文化科学館周辺、グリーンアリーナ周辺、昨日も見たが、基町クレドのあたりと歩き、2時間ほどで、ホテルに戻る。早朝だというのに、歩いただけで、すでに汗だく。Tシャツを多めに持ってきて、よかった。それにしても、今日も一日暑いのか?

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広島市中区アーバンビューグランドタワー前の、黒澤明、板倉竹之助、倉田光太郎《太陽と月》(2004.3.12)

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広島城東の、池田勇人の肖像彫刻、《内閣総理大臣 池田勇人君》。今回の広島旅行で観た最大最強の問題作! ポーズといい、微妙な笑顔といい、お茶目過ぎる!! やばい!!! 銘板の名前、「君」づけだが、「おぼっちゃまくん」みたいなニュアンスか(違う!) この像は2代目で、初代は1970年12月3日に建立。制作は森野圓象。この初代の傷みが激しいため、2代目の像が複製され、2015年7月に置き換えられた。初代は溶解処分され、現存していない(「修繕の銘」にわざわざ書いてある)。新調されたうきうき感が伝わってくるようだ(違う!!)

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広島城南西の、圓鍔勝三《花の精》(1974/大理石/1974.10.22設置)。

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広島市中区中央公園の、北村西望《飛躍》(1977.10.23)。広島鯉城ライオンズクラブが創立20周年記念事業として寄贈。

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広島市中区中央公園の、《内閣総理大臣正二位大勲位 ワシントン軍縮会議主席全権 加藤友三郎 像》(2008.8設置)。先の勇人君に比べると、ずいぶん厳つい感じ。制作チームは、題字:森井一幸、彫像:吉田正浪、石工事:(有)三好石材店、基礎工事:野村建設(株)。加藤友三郎の銅像は、1935年に建立されたものが比治山公園にあったそうだが、これは戦時中、例によって供出・溶解され、台座を残すのみだった。加藤友三郎没後85年に際し、現在地に新しく建立された。

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広島市中区中央公園の、桑原巨守《風と花》

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広島市中区5-daysこども文化科学館前の、空充秋《トーテム・愛》(1979)。広島市こども文化科学館が、現在のところ、ネーミングライツにより、「5-daysこども文化科学館」と呼ばれているとのこと。「5-days」は学習塾・予備校らしい。

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広島市中区5-daysこども文化科学館前の、速水史朗《友愛》(1981.3.21設置)

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広島市中区5-daysこども文化科学館前の、《三重吉記念碑》(1955/1955.5.5設置)。鈴木三重吉顕彰会による。像の制作は圓鍔勝三。

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広島市中区5-daysこども文化科学館前の、朝倉響子《新聞少年の像》(1963.10.20設置)。有栖川宮記念公園にある像と同じもの。朝倉響子作品に限らず、各地に多くの新聞配達をする少年の像が設置されている。

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広島市中区5-daysこども文化科学館前の、清水多嘉示《躍動》(1982.2設置)。広島太田川ライオンズクラブがチャーターナイト5周年記念に寄贈。

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広島市中区広島市青少年センターの壁画。作者など、不詳。

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広島市中区広島グリーンアリーナ本館前の、山口牧生《輪になって》(1995)

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広島市中区広島市映像文化ライブラリー前の、北村西望《聖観世音菩薩像(平和観世音菩薩像)》(1978.5.5設置)。

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広島市中区ひろしま美術館前(西南角)の、林健《いこいの森》。広島銀行の寄贈。詳細はわからないが、もと広島市中央庭球場の近くにあったものが、現在地に移設されたもののようだ。

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広島市中区ひろしま美術館(西側)遊歩道の、清水九兵衛《道標》。もとはひろしま美術館前(西南角)に設置されていたものが、《いこいの森》移設にともない、現在地に移ったらしい。


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広島市中区基町クレド前の、木戸修《飛翔》(1994.9.29)

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広島市中区基町クレド前の、圓鍔勝三《大空》

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広島市中区広島YMCA3号館前の、桜田知文《150億の試行錯誤》

  • ホテルに帰りつき、シャワーを浴びて、朝食を食らい、再び部屋に戻り、9:00過ぎまで一寝入り。
  • 平和公園とその周辺 9:00過ぎにチェックアウトして出発。紙屋町東から広電に乗るつもりだったが、横道に入て、うろうろとしてしまい、結局、平和公園まで歩いた。これまでに何度か来ているし、今回もひとわたり回ったが、主に人物具象の記念碑をいくつか、以下に掲載する。

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「鈴木三重吉文学碑」

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「原爆の子の像」(1958.5.5設置)。広島平和をきずく児童・生徒の会による。制作は菊池一雄。「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」。

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「平和祈念像」(1977.8設置)。広島平和祈念像建設委員会による。像の制作は圓鍔勝三。

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「祈りの像(平和祈念慰霊国民大会祈念 祈りの像)」(1960.8.15建立)。平和祈念慰霊国民大祭実行委員会による。像の制作は横江嘉純。撮り損ねたが、像の傍らに、大木敦夫の詩を彫った石碑があった。

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平和の像「若葉」/湯川秀樹歌碑(1966/1966.5.9建立)。像の制作は圓鍔勝三。台座に湯川秀樹の「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」の短歌が彫られている。広島南ロータリークラブ創立10周年を記念して寄贈。

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本郷新《嵐の中の母子》(1960.8.5建立)。広島市婦人会連合会(現・広島市地域女性団体連絡協議会)による。

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「原爆犠牲国民学校 教師と子どもの碑」(1971/1971.8.6建立)。原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会による。像の制作は、芥川永(ひさし)。台座裏に「太き骨は先生ならむ そのそばに小さきあたまの骨あつまれり 篠枝」と彫られている。被爆歌人、正田篠枝(1910-1965)の歌集『さんげ』の中の1首。


  • 広島市文化交流会館の井上武吉

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広島市中区広島市文化交流会館前の、井上武吉《my sky hole '85》(1985/1985.3設置)。宝くじ設置。

  • 太田川を渡り、舟入町電停まで歩き、ここから広電で広島に向かう。180円(SUICA)。それほどお腹は空いていないが、やっぱり広島に来たのだからと、駅ビルの2Fで、お好み焼きを食べた。豚玉720円。まあまあか。予定より少し早いが、12:00の電車で、呉に向かうことにした。30分強で到着。500円(SUICA)。

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  • 呉駅前の野外彫刻を探り、

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呉駅駅前広場の、圓鍔勝三《未来》(1996.6設置)。呉信用金庫が創立70周年を記念して寄贈。

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同上、長岡強《飛翔》(1981.7.7設置)。中国新聞社の寄贈。

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呉市中央図書館前の、圓鍔勝三《ガラスのうさぎ》。JR二宮駅前の像と同じもの。

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呉市中央公園の大きな噴水塔。

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林健《和》(1972.4設置)。呉信用金庫が創立45周年を記念して寄贈。

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林健《愛》(1965.11.2設置)。呉ロータリークラブが創立15周年を記念して寄贈。

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大望の像》(2001.4.29設置)。作者は不詳。タイムカプセルを埋設した上に立てられているようだ。鬱蒼とした植え込みが像の正面にあり、写真はこんな感じになってしまった。

  • 美術館通りの野外彫刻 美術館通りは、呉市美術館や入船山記念館へのアプローチになる通りで、美術館開館に合わせ、1981年に整備された。通りの両側に、広島県や呉市にゆかりのある作家も含め、18基の野外彫刻が設置されている。

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美術館通りの、国道487号線側の入口付近。左手の赤い建物は、海上自衛隊呉集会所。

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圓鍔元規《春うらら》

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黒川晃彦《切り株に座って》

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関孝行《うでをくむ男》(1990)

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山本正之《思い出》(1985)

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柳原義達《しゃがむ女》(1958頃)

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飯田善國《天の小さな柱(鷗よ!)》(1985)

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上田直次《愛に生きる》(1931)

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水船六洲《斧》(1949)

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空充秋《くれの木》(1984)

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菊竹清訓《SKY-SCAPE》(1985)

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芥川永《帰る人》(1964)

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工藤健《トリオソナタ ハープ》(1991)

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工藤健《トリオソナタ バイオリン》(1991)

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工藤健《トリオソナタ フルート》(1991)

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茂木弘行《ゆめ》(1991)

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籔内佐斗司《走る童子》(2003)

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高橋秀幸《美の王国の入口で・・》(1990)

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日新製鋼株式会社制作・寄贈《自然に還る》(1993設置)。

  • 大和波止場の籔内佐斗司

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呉市大和波止場の、籔内佐斗司《犬も歩けば・・・ らぶ・やまと》(2007.6.19設置)。国際ソロプチミスト呉が認証30周年記念に寄贈。

  • これで、今回の予定は終了。実は、せっかく港に来たのだから、お散歩クルーズとかに乗ろうかと思いついたのだが、時間が合わず、今回はあきらめる。行き当たりばったりだと、いいこともあるが、なかなかうまくいかないことも多いよな。駅ビルの喫茶店で一休み。なかなか居心地がよかった。予定より1本早いバスだが、16:00発のリムジンバスで、広島空港へ向かう。運行は広電バス。1340円。1時間弱で、広島空港に到着。車中では、うつらうつらと寝入る。まだ時間があるものの、暑いのと、いささか疲れたのとで、出歩く元気もないので、おとなしく空港ビルで本など読んで時間を潰す。
  • 帰りの便は、春秋航空IJ624便、広島19:25→20:55成田の予定。霧も出ていないし、定刻通りの運航のようだ。ひとまずほっとする。18:50頃、搭乗する飛行機が到着。19:10頃から搭乗が始まり、19:40頃離陸、21:00頃着陸。駐機場はT3のすぐ近くで、バスも1台目に乗車できた。いちばん楽で早いパターン笑 21:25発の終バス1本前に楽々間に合った。23:00前には無事に帰宅できた。

2018-06-27

[][]広島

  • 広島へ行ってきた。特にこれといった目的があったわけでもないが、春秋航空の広島→成田のチケットが安く買えたので、久しぶりに行ってみよう、広島は野外彫刻を目当てに歩いて回ったことがないので、それじゃ、観て回ろうか、ということになった。春秋航空は、以前は、朝と夜の2往復、成田-広島便を飛ばしていたが、最近は徐々に国内便から撤退しており、今では夜便の1往復だけである。なので、行きは、ANAを利用し、結局、あまり安くはならなかった(といっても往復で、14000円弱)。かつては、春秋航空の爆安セールで往復3000円強で何度も往復したが(2回、欠航もあっけれど…)、そんなうまい話はもうない、ない…
  • さて、行きは、羽田からである。最寄り始発の4:58発のリムジンバスで羽田空港へ向かう。ほぼ定刻の5:50頃、羽田空港T2に到着。今日は乗客が少なめだった。B1Fのエアローソンに立ち寄ってから、保安検査場を通過して、68ゲートへ移動。って、南ピアのいちばんはしっこだぁ(先週は北ピアのいちばんはしっこだったなぁ)。例によって静かなところを探して、本を読むなどして、搭乗開始を待つ。羽田空港はきれいでいいのだが、テレビの数が多く、静かなところがあまりない。本日搭乗するのは、ANA671便、羽田7:00→8:25広島の予定。ほぼオンタイムの運行で広島空港の到着。8:35発の、広島駅新幹線口行きのリムジンバスに乗車。9:30頃、広島駅に到着。1340円(SUICA)。
  • 今日、初めての彫刻は、広島駅新幹線口(北口)の、圓鍔勝三の《朝》から。圓鍔勝三(1905-2003)は広島県御調郡河内町(現・御調町)の出身の彫刻家。なので、広島県には圓鍔勝三の作品が多く設置されている。出身地の御調町には、圓鍔勝三彫刻美術館もある。澤田政廣に師事し、主に官展-日展に木彫作品を出していたようだが、野外彫刻はもちろんブロンズ像。金色のものが多い。ということで、《朝》も金色。

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圓鍔勝三《朝》(1972秋/1979秋設置)。新幹線口周辺の再開発で、一時撤去されていたようだが(2014年12月〜2017年10月頃?)、再び戻ってきた。新幹線の1F・コンコースには、圓鍔勝三《再会》(1973/木彫)もあったようだが、こちらは、御朝町の美術館へ移されたようだ。この像は、広島市、広島鉄道管理局、広島商工会議所が設置。

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美女2人が踊り、

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少年がトランペットを吹く。朝から元気だ。

  • 南口に出て、駅前のバス案内所で、広島ピースパスを購入。700円。今日は、これを使って、移動する。ちょうど駅にいた、広電の宮島口行に乗車する。社会科見学の小学生でいっぱいだったが、原爆ドーム前電停でみな下りていった。オレは、商工センター入口電停までこれで行く。ここで、下車し、西部埋立第5公園の佐藤忠良作品を観に行く。このあたりは、1966〜1982年にかけて埋め立てられた地区らしく、駅前にはショッピングセンターなどがあるものの、少し歩くと、工業団地になる。ところどころに、西部埋立第○公園と呼ばれる公園が散在し、このいくつかに野外彫刻が設置されているようだ(全部チェックしたわけではないが…歩きでは無理!)。事前に野外彫刻のあることがわかった、第5公園と第6公園を訪ねる(途中、通りかかった、緑地や第4公園などには、彫刻は見当たらなかった)。最初に第5公園へ。それにしても暑い。Tシャツ1枚だが、もうべとべと。駅から10分ほど歩くが、寝不足で、すでにへばっている。続いて、5分ほど歩いて、第6公園へ。スケボー用のスロープが設置された公園だったが、ここまでスケボー、やりに来るのか!? 第5公園はウォーキングする人らがいくらかいたが、(工業団地の中の)第6公園には今の時間は誰もいない。オレとカラスだけ。電停まで戻る途中、ショッピングセンターの冷房で生き返るなど。

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広島市西区西部埋立第5公園の、佐藤忠良《黎明/裸のリン》(1977/1980設置)。《裸のリン》の初出は、第41回新制作展(1977)。十和株式会社が創立30周年を記念して寄贈。

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近くにもう1基あった。同、空充秋《西部の門》(1981)。空充秋も広島県出身。なので、広島に多くの作品が設置されている。中でも、この《西部の門》は大作。

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広島市西区西部埋立第6公園の、圓鍔勝三《花を捧げる》(1980)。

  • 来るときに、電車の中から見かけた彫刻を観るべく、途中、福島町電停で下りる。広島市西区役所前に設置された松本隆司の海パン青年像だった。再び福島町電停まで戻り、紙屋町西電停で下車。県庁前まで歩くと、ここにも、松本隆司の海パン青年がいた(こんな書き方をしていると、松本隆司は海パン青年像ばかり作っていたと思われそうだが、そんなことはありません! 他にも海パン青年いるみたいだけど…)。こちらの海パン青年は、木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』(2017.4・新潮社)所収の「股間風土記」に、「場違いな奴」として掲載されている。なお、同書には、後に掲載する平和公園の《祈り》も載っている。

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広島市西区役所前の、松本隆司《風雪》(1981.3)

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広島市中区広島県庁前(西側)の、松本隆司《夢の待ち人》(2001.4)。広島平和ライオンズクラブが創立40周年の年に紙屋町地下街の完成を記念し、寄贈したもの。タイトルがなあ… 《風雪》と海パン表現を比べるのもおもしろいゾ笑

  • 県庁前バス停から広電バス・4系統に乗車。20分ほど乗って、東本浦バス停で下車。歩いてすぐの、広島市立仁保小学校西門前の、本郷新作品を観覧。小、中学校の構内には野外彫刻が設置されていることが多いのだが、構内設置のものについては、基本的にあきらめることにしている。この像は、幸いにも、門の外に設置されていたので(SVで確認できた)、今回、訪ねた次第。

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広島市南区広島市立仁保小学校西門前の、本郷新《母子像》(1978)。花壇内に設置されていて、台座まわりを探れず、設置経緯などはよくわからなかった。今回の旅行のお目当ての一つ。

  • 比治山/広島市現代美術館・野外彫刻とまんが図書館周辺の野外彫刻 東本浦バス停から再び広電バスに乗車。10分ほど乗って、段原中央で下車。広電バス4系統、一方通行の道を通るためか、上りと下りで一部経路が異なり、東本浦バス停も降りたバス停と少し離れたところにあり、一瞬焦った苦笑 比治山スカイウォークで比治山山上に上がるのだが、その前にショッピングセンターのサイゼリアで遅い昼食を適当に食らう。ここのところ、比治山というか、広島市現代美術館へは、比治山下電停から歩いて上ることが多かったが、初訪問以来の比治山スカイウォークから行くことにした。やっぱり楽だわ笑 現代美術館の展示は、今回はパスして(企画展は埼玉ですでに観たもの、コレクション展は展示替え中のため)、美術館やまんが図書館周辺(比治山の北側)の野外彫刻を観て回る。比治山には何度も来ているが、そういえば、野外彫刻をじっくりと観て回ったことはなかった。なお、比治山にはこれらの野外彫刻以外にも、肖像彫刻などもあるようだが、今回は観ていない。宿題とする。 

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彫刻の丘の、新宮晋《私たちの星(風のサーカス)》(1988)

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彫刻の丘の、野田正《疾風 フラッシュバック》(2000/ステンレススチール)。個人の寄贈。案内板によると、脇田愛二郎《ねじられた錆の柱》が以前は設置されていたようだが、現在は(傷みのためか)撤去されている。

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彫刻の丘の、澄川喜一《安芸の翼》(1987-88/石・ステンレス/1988.3設置)。日本宝くじ協会が宝くじの普及宣伝事業として設置(以下、宝くじ設置、とする)。

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ムーアの広場(山陽台)の、ヘンリー・ムーア《アーチ》(1963-69作、1985-86鋳造/ブロンズ/1987.12設置)。宝くじ設置。

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野外展示場の、田窪恭治《広島ー1996》(1996/鉄)

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野外展示場の、フェルナンド・ボテロ《小さな鳥》(1988/ブロンズ/1989.3設置)。宝くじ設置。

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野外展示場の、岡本敦生《地殻-9》(1993/石)[写真奧]・《地殻-繭-97-2》(1997/石、ワックス、水)[写真手前]。ともに作者より寄託。

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野外展示場の、岡本敦生《地球電話・広島》(1996/石、電話機、マイク)

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野外展示場の、井上武吉《マイ・スカイ・ホール88-5》(1988/コールテン鋼)

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野外展示場の、山口牧生《四角い石と丸い石たち》(1988/石)

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野外展示場の、空充秋《根香》(1988/石)

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野外展示場の、菅木志雄《石で囲う》(1977/石)

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野外展示場の、マグダレーナ・アバカノヴィッチ《ヒロシマ-鎮まりしものたち》(1992-93/ブロンズ・40体/1993.3設置)。宝くじ設置。

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野外展示場の、藤本由起夫《ECHO(HIROSHIMA)》(2004/ステンレス、ガラス/2004.3設置)。宝くじ設置。

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野外展示場の、フィリップ・キング《ヘッド》(1982-83/鋼鉄彩色)

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井上武吉《階段モニュメント》

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広島市まんが図書館前の、舟越保武《笛吹き少年》(1967/1982.2設置)。広島ロータリークラブが創立50周年を記念して寄贈。

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御便殿跡広場の、最上壽之《テク・テク・テク・テク》(1983)

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御便殿跡広場の、田中薫《1・1・√2》(1983)

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彫刻の小道の、舟越保武《EVE》(1986/ブロンズ)

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彫刻の小径の、佐藤忠良《ポッケ》

  • ひとわたり観覧の後、比治山下電停まで歩いて下りる。広電で、比治山から広島駅まで戻り、そういえば広島駅南口周辺をチェックしていなかったと、ひと回りして、高橋秀作品を見つけた。この後、再び広電の広島港行に飛び乗り、市役所前まで移動する。

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広島駅南口の、高橋秀《翔べ未来へ向けて》(1989.3)。広島市の彫刻のあるまちづくりの一貫として設置。第2回彫刻コンペティション最優秀作品。広島市は、「広島市実施計画」の中で、1982年頃から「彫刻のあるまちづくりの推進」を行い、一時期、市内各所に野外彫刻を設置したようである。その作品の一つ。今のところ、広島市の彫刻のあるまちづくりの全体像はよくわらない…

  • 市役所前と平和通りにある柳原義達作品を観覧して、一応、今日の予定は終了。ぼちぼちとホテル方向に歩く。途中、公園があったので、立ち寄ったら、袋町公園だった。ここにも、平和記念碑が1基据えられていた。明日の朝早くにひろしま美術館の清水九兵衛作品を観に行くつもりだったのだが、ひょっとして、早朝だと、構内に入れず、観られないかも、と思いつき、念のため、最後に立ち寄ってみた。美術館のまわりの遊歩道に設置してあり、いつでも観られるようだった。安心して笑、ホテルに向かう。途中、適当な夕食を適当に食らう。歩き疲れて、繁華街に出る元気がないので、道筋にあったカレー屋でカツカレーなどを食らった。お好み焼きを食べるつもりだったのだが…

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広島市役所前の、柳原義達《道標・鳩》。1928年(昭和3)に建設された広島市役所の旧庁舎は、1945年の原爆投下により壊滅的な被害を受けた。旧庁舎のうち、原爆被災の痕を色濃く遺す正面玄関はメモリアルスペースとして、また、地下部分は旧庁舎を中心とする被爆の実態を伝える資料室(広島市役所旧庁舎資料展示室)として改修・保存されている。ちょうど、その資料室の上にあたる部分に《道標・鳩》は設置されていた。もちろん、資料室も観覧。

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広島市中区平和大通・白神社東交差点北東の、柳原義達《ラ・パンセ(瞑想)》(1952/1953.7設置)。味日本株式会社の寄贈。柳原義達の古い作品を観ることができた。野外彫刻はわりと設置時期が決まっていて、作品の制作もその前後がほとんどなので、なかなか1950年代前半の作品を観ることはできない。昨今、具象の彫刻家の大規模回顧展は、なかなか望めないので、その意味でも、古めの作品を観ることができたのはうれしい。

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近くに、「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」があった。

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広島市中区袋町公園の、袋町地区原爆死没者慰霊碑《母》(1992.8設置)があった。袋町地区社会福祉協議会と袋町地区原爆死没者慰霊碑建立委員会による建立。像の制作は、吉田正浪。台座裏の碑文には「爆心の袋町地区にあって総てを絶たれいまなおその証しさえなく眠る原爆死没者のみ霊に捧げるためこの碑を建立する」とあった。吉田正浪(1936-2011)は広島県因島市(現・尾道市)出身の彫刻家。主に新制作展に出品。長く比治山女子短期大学(現・比治山大学短期大学部)の教員を務めた。

>参考:ひろしまインターネット美術館 吉田正浪 彫刻展

  • 今回、宿泊したホテルは、アーバイン広島セントラル。ここの4Fのシングル、禁煙室に泊まった。まだ新しく、それほど広い部屋ではなかったが、まあまあ快適。Wi-Fi、シャワートイレなどもあり、アニメティも問題なし。バスタブが丸みの形のあるもので、よかった。フロントで氷が欲しいといったら、すぐに準備してくれた。枕元にコンセントがないじゃないか、と思ったら、延長コードが準備してあった。なかなかいいかと。チェックインする際に、前の通りで路面電車の工事があるので、うるさいかもしれない、ご迷惑をおかけします、と謝られたが、(工事はしていたようだが、)特に大きな音も聞こえなかった。6000円弱を、クーポンだの、ポイントだのを利用して、5000円弱で。風呂入って、すぐに就寝。

2018-06-25

[][]千葉銀座商店街の野外彫刻

千葉市にだって銀座はあるのだった。それほど長い通りではないが、飲食店を中心とする商店とオフィスが混在する地区で、通りの左右に野外彫刻が5基設置されている。よくわからないが、1990年(平成2)に完成した「ふれあい近代化事業」というプロジェクトの一貫で設置されたらしい。なんでも大型ビルを中心にビル街にして、商業地区とビジネス地区を混在させるプロジェクトだったようだ。千葉PARCOがなくなるなど、かつての賑わいはいずこへという感もあるが、いずれにせよこうして野外彫刻が健在で、観ることができるのはうれしい。

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登坂秀雄《無窮》

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工藤健《楽器と女》(1991設置) >参考:工藤健 作品設置歴

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久保田俶通《読書》

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高田大《蜃気楼》

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高嶋文彦《ベンチと花束》

[][][]企画展「岡本神草の時代展」、所蔵作品展「浮世絵黄金期からの展開」(千葉市美術館)

2018-06-23

[][]稚内・第2日

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  • 早朝の稚内港 5:00頃、起き出す。雲が多いが、ところどころ青空も見える。身仕度をして、ちょっと散歩に出る。昨日、天北緑地を探ったので、今朝は、釧路港、中型漁船が停泊しているあたりを少し歩いてみる。あまり人はいない。港から稚内方面を眺める。丘陵の上に昨日上った稚内市開基百年記念塔が見える。しばらく歩いて、日時計のある緑地に出る。少し小高くなっている芝地の山からぐるりを眺める。この緑地で一晩過ごしたらしいイージーライダーが出発の準備をしている。カモメの群れが一塊になって、海面をゆらゆらしている。風が少し強いが、気持ちのいい朝だ。ベンチの写真を撮ったりして、少しうろうろする。お腹が空いてきたので、国道沿いまで歩き、すきやで納豆たまごかけご飯などを食らう。まだ早い時間だと思うが、それでも仕事に向かう前に朝食をとるお客が幾組もいる。セイコマに寄って、念のために、おにぎりなどを仕入れておく。6:30頃、ホテルに戻る。

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  • 宗谷岬へ 今日は宗谷岬へ行く。テレビで天気予報をチェックすると、降水率が高めで、昼過ぎから雨が降ると言っている。さて、どうしたものか。作戦を練り直し、8:00過ぎのバスで宗谷岬に行き、12:00前のバスで戻ってくることにした。稚内駅まで戻ってきてもいいのだが、昨日の間にだいたい見るべきものを見たので、途中の自動車学校前のバス停で下りて、空港まで歩くことにした。加えて、天気次第だが、空港で一休みした後に、すぐ近くのメグマ沼へ行ってみることにした。パッキングも済み、まだ出発までしばらく時間があるので、一寝入りし、8:00過ぎにチェックアウト。近くの、南駅前バス停まで行ったら、バスまでま20分近くまであるので、次のバス停まで歩く。結局、さらに次の、大黒4丁目バス停から、8:46発の浜頓別高校行の宗谷バスに乗車した。オレのような宗谷岬に向かう乗客が若干名と、地元の方が若干名という感じ。バスは快調に走り、途中、宗谷湾の海辺の風景や宗谷丘陵、風力発電の大きなプロペラなどに目を奪われる。9:30前に宗谷岬バス停に到着。1280円。ちなみに、稚内駅前BTからは片道1390円で、往復で2500円の割引きチケットがある。

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乗車した大黒4丁目バス停。横に見えているのが、地元のショッピングセンターの西條。ミスドもあった。昨夕通ったときは、店内にあまり人は入っていなかった。

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こちらは降車した宗谷岬バス停。後ろに見えているのが、乗ってきた宗谷バス。


  • 宗谷岬公園のモニュメント/野外彫刻

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「日本最北端の地」碑。正確には、われわれが自由に往来できる最も北、宗谷岬の突端、北緯45度31分22秒の地に建てられている。北極星の一稜を象った三角錐と、中央に北を表す「N」、平和と協調を象徴する円形の台座によって構成されている。サハリンまではここから43km。この日は曇空で見えなかったが、天気がよければよく見えるとのこと。

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間宮林蔵》(1980/1980.7.13建立)。制作は峯孝。間宮林蔵は江戸後期の探検家で、江戸幕府の命を受けて、北方を探検、1809年(文化6)、間宮海峡を確認、樺太が島であることを確認した。これを記念し、稚内市が建立。

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宗谷岬灯台。日本最北端の灯台で、国境の灯台として、間宮海峡の航路を守る重要な働きをしている。1885年(明治18)9月25日に点灯が始まった。現在の灯台は、1912年(明治45)に建築された2代目の灯台を、1954年(昭和29)に大規模に改築したもの。

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《あけぼのの像》(1971.7.17建立)。あけぼの像建立期成会による。制作は峯孝。北海道の牛乳生産量100万tと飼育乳牛50万頭突破を記念して、「先人の偉業と未来へのロマンを永く後世にしる」(台座銘板)すべく、建てられた。牧柵の前に若い男女が宗谷丘陵を見つめ、力強く立っている。また、台座の3方には、北海道酪農の様子を彫ったレリーフがはめ込まれている。

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宗谷岬の海。

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宗谷岬突端から振り返る。

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宗谷丘陵のとば口から振り返る。

  • 宗谷丘陵 宗谷岬公園から少し、南の方、宗谷丘陵の入口あたりを少し歩いてみる。風が強く、いささか歩きにくいが、今のところ、青空が見えている。宗谷岬から宗谷丘陵を経て、宗谷歴史公園までの約11kmが宗谷丘陵コースとしてフットパスに指定されている。なにせ11kmもあるので、丘陵の入口付近を少し歩いて、宗谷漁港の方に道を折れた。宗谷丘陵のウインドファームを間近に見たかったが、まあ、仕方がない。宗谷漁港を経て、宗谷岬まで戻る。バスまで少し間があったので、少し早い昼食に某店でホタテ塩ラーメンを食べてみるが、ちょっと残念な出来映えだった。800円。どうもこっち方面は鼻が利かない… >稚内商工会議所 稚内フットパス

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緑に覆われた丘の上を道が走る。歩きもいいが、自転車も楽しそうだ(ここまで、自転車に乗ってこなくてはならないが…)。ただ、このコース、道の周囲は、牧場だったり、風力発電の施設だったり、あるいは自衛隊の管理している区域だったりと、立ち入ることができない。しかも、途中に休憩場所も、トイレもないという…ふらっと歩くにはなかなかに過酷…

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宗谷漁港。多くの漁船が大漁旗をたなびかせていた。

  • 稚内空港へ 宗谷岬バス停11:56発稚内駅前BT行に乗車。少し遅れてきたが、ほぼ定時の12:25頃、自動車学校前バス停で下車。車中は、何度かうつらうつらとしてしまい、危うく乗り過ごすところだった。相変わらず風が強く、歩くには少々難儀だ。ここから空港まで歩く。25分ほどだが、なんだか果てしもなく歩いたような気がする。途中、ウォーキングしているおじさんに出会い、すれ違うときに、こんにちは、と声をかけられた。もちろん、こんなところを歩いているのは、オレ(と、おじさん)だけ笑 空港で、少し休憩する。缶コーヒーを飲み、一息つく。外は雲が重く垂れ込めてきたが、雨はまだ降り出していない。

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自動車学校前バス停。左側が自動車学校。道路を挟んで、日本海。

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案内標識には、キリル文字による表記も。

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白鳥が2羽。白鳥の渡りの中継地として有名な声問大沼はすぐ近く。

  • メグマ沼自然公園木道 さて、メグマ沼に向けて出発。しばらく歩くと、ぽつぽつと雨が降り出す。しばらく逡巡したが、時間もあるし、やはり一回りしてくることとして、リュックから合羽を出して着込んだ。せっかく持ってきたのだから、使おうじゃないか。空港から西に500mほど歩いたところに、湿原を抜けてメグマ沼に出る木道の入口があった。ここから湿原の中に伸びていく木道を歩く。メグマ沼に向かうはずだが、そのメグマ沼が見えない。はてさてと思ったら、沼の縁には樹木があって、それが沼を隠しているのであった。湿原に出ると、遮るものがないせいか、とにかく風が強い。木道の脇に、橙色をした花がところどころで咲いている。15分ほど歩いて、沼の縁の樹木があるあたりまで来ると、雨が本格的に降り出してきた。合羽に加えて、傘も取り出す。沼の周囲が木で覆われているせいか、風はいくぶん弱めで助かる。木道に沿って、沼の縁を歩く。沼のたたずまいに心落ち着く。雨音が静かに聞こえてくる。

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  • 木道歩きを適当に切り上げて、空港まで戻ってきた。ずいぶん歩いたつもりだったが、まだ飛行機までだいぶ時間がある。思っていた以上に空港で長時間過ごさなければならなかったが、おおよその予定も無事にこなしたことだし、よしとしよう。で、いよいよ最後の難関、飛行機を乗り継いで、帰路につくのだが、はたして、飛行機は無事に飛ぶのでしょうか? 前回の札幌の時みたいに、最後の最後に最凶最悪キャラは登場するのでしょうか? …苦笑… 14:50頃、15:30発予定の羽田行きの飛行機が到着した。だいたい時間通りか。2Fの片隅に座って、本など読んで、時間をつぶしていたのだが、この飛行機、いっこうに出発する気配がない。と、アナウンスがあり、エアコン関連に整備が必要で(ジェットスターなどLCC各社と違い、きちんと説明するのはいいな)、少し遅れると。が、アナウンスは繰り返され、30分が1時間に、1時間が時間未定にとどんどん延びていく。地上職員による羽田で乗り継ぎ予定の乗客対応なども始まる。オレの搭乗する便ではないが、このあたりで、一挙に不安が募る笑 さて、オレの乗る便は、ANA 4844便、稚内17:30→18:25新千歳の予定だったが、まあ、これが10分ほど予定より遅れて使用機材が到着したため、出発も5分遅れた。これくらいの遅れなら大丈夫と思っていたら、飛行機は、なんと定時よりも早く、18:15には新千歳空港に着陸したのであった。続いて、乗り継ぎ。到着ロビーを抜け、ANAからみて国内線Tの反対側にあるジェットスターの出発ロビーに向かう。まあ、時間の余裕があるので、大丈夫。オレの乗る便が定時運行であることを確認して、保安検査場を通過、15ゲートあたりで、搭乗開始を待つ。新千歳から成田までは、Jetstar GK124便、新千歳19:55→21:30成田の予定。使用機材も予定どおり到着し、搭乗開始も25分前と定時に始まり、定刻に離陸、成田には少し早めの21:15頃、着陸した。何度も言うけど、今回の旅行の4フライトは、いずれも100点満点の運行、やればできるじゃん笑 到着口は175ゲートで、到着ロビーまでが遠かったのが少々の難。さすがに、21:25のバスには間に合わなかったが、終バスにはらくらく乗車できた(というか、時間をもてあまし、ロでおやつなど買ってしまった苦笑)。なお、稚内空港で遅れていた羽田行きは、欠航にはならなかったものの、出発したのは結局18:50頃とのことだった。
  • かような次第で、23:30前には無事に帰宅。野外彫刻をいくつか見落としてしまったのは失敗だったが、それはそれとして、思っていたよりも天気は悪くもなく、なかなか楽しい旅行だった。これで、春の北海道シリーズはひとまず終わり。
  • 稚内へは、はじめ、羽田からの直行便を考えたのだが、思っていたよりも料金が高く、片道30,000円弱だったかで、オレの懐具合では完全に予算オーバー。そこで、成田から新千歳までLCCで行き、新千歳からANAに乗り継ぐことにした。飛行機が遅れず、ちゃんと乗り継ぎが出来る、という前提だが、こちらだと、片道12,000円ぐらいで収まった(ANA便の発売直後に購入)。往復とも、1時間30分ほどの乗り継ぎ時間があり、多少の遅れは吸収できるだろうし、まあ、大丈夫だろう、という目論見だった。別飛行機会社の乗り継ぎなので、いくぶんリスクがあったわけだが、今回は、往復とも、100点満点な運行で、往復とも支障がなったのは、ラッキーだった。

2018-06-22

[][]稚内・第1日

  • 春の北海道シリーズ第9弾、いよいよ最終回である。今回は、稚内に行ってきた。お目当ては、稚内の本郷新作品を訪ね、併せて、稚内の町を歩き、野外彫刻を探ること、日本の最北端である宗谷岬やノシャップ岬を観てくること、などである。天気予報ではあまりいい天気にならないとのことであったが、幸いにもそれほど雨も降らず、荒天になることもなく、ひととおりの予定をこなすことができた。そうそう、一番の不安の種は、往復の飛行機。ここのところ、機材繰りによる欠航に何回か遭っていたし、今回は新千歳でジェットスターとANAを乗り継ぐプランだったので、飛行機が遅れることも不安材料だったのだが、往復とも、やればできるじゃん、とでも言いたくなるように飛行機は飛んでくれて、不安一拭、無事に行って帰ってこられた。楽しい旅だった。
  • 最寄り4:15の始発バスに乗車。成田空港T3に定刻の5:10に到着。少し早いが、次のバスだとぎりぎりになるので、このバスに乗った。まず成田空港から新千歳空港に向かう。搭乗するのは、Jetstar GK103便、成田7:05→8:45新千歳の予定。保安検査場を通過して、出発ゲートの161付近に行き、ベンチで一寝入り。飛行機はほぼ定刻通りの運行、新千歳には少し早めの到着。満点である。飛行機会社の違う乗り継ぎなので、一度、到着ロビーに出て、ANAの出発ゲートに向かう。次に乗るのは、ANA4841便、新千歳10:20→11:15稚内の予定。これがまた、ANAの出発ロビーは、国内線ターミナルの反対側なんだよな苦笑 再び保安検査場を通過して、出発の0ゲート付近で飛行機を待つ。0ゲートって、一番端っこなんだよな。朝っぱらから国内線Tの端から端まで歩いたぜ笑 稚内行きの飛行機は、正確にはANAウイングスの運航で、使用機材はボンバルディアDHC8-Q400。ターボプロップ機だった。機体の高さが低いので、ボーディングブリッジではなく、一度地上に下りてから搭乗。ANAの方も、ほぼ定刻どおりの出発、11:15ジャストに稚内空港に着陸した。機内はあまり広くはなく、搭乗時間も短かったのが、それでもちゃんとドリンクサービスがあった。雲が多い中での飛行だったが、思ったほど揺れない。ただ、稚内付近は、雲が低く、そのため何回か着陸をチャレンジすることになるかもしれない…と、機長からアナウンスがあったので、ドキッとしたが、無事に到着した。続いて、空港連絡バスで、稚内市内に向かう。バスは飛行機の到着に対応していて、11:35頃の出発だった。稚内駅前BTには30分ほどかかるとのことだったが、12:00前には到着していた。600円。

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新千歳空港にて。ターボプロップ機に乗るのは初めてのこと。揺れると聞いていたが、それほどでもなかった。

  • 駅周辺の土地勘をつかんで、稚内の駅前BT・2番乗り場から、12:08発のノシャップ行きの宗谷バスに乗車。5分ほど遅れてやってきた。ノシャップまでは20分ほど。220円。駅からノシャップまでは、1時間に4本ぐらいバス便がある。バスの中から窓外を何をするでもなく眺めていたら、突然、大きな雄のエゾジカがゆうゆうと現れ、道を横切り、家が建ち並ぶその間に消えていった。いや、びっくりした。そうか、いるのか…いるんだよな。稚内ではエゾジカだけではなく、キタキツネもうろうろしているのをよく見かけた。バス停から恵山泊漁港公園/ノシャップ岬までは5分強歩く。左手の丘陵には、自衛隊の稚内分屯地のレーダーサイトが見える。

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ノシャップバス停からノシャップ岬方向を見る。

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自衛隊のレーダーサイト。

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恵山泊漁港公園の「ノシャップ岬」標。ここからの夕陽が美しいそうだ。

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シンボルのイルカ時計塔から、灯台方向を臨む。

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稚内灯台。稚内灯台は1900年(明治33)に点灯を始めた。現在の灯台は、1969年に現在地に移転・改修されたもので、高さは地上から43m。全国で2番目、北海道で1番高い灯台(全国でいちばん高い灯台は出雲日御碕灯台の43.65m)。赤と白に塗られた稚内灯台が見える。隣接の水族館や科学館の外観と相まって、なんだか工場の煙突に見えなくもない。

  • 少し距離はあるが、戻りは歩いて、途中、何ヶ所かで野外彫刻を探ることにした。海岸から少し離れたところに波止めのテトラポットが設置され、岸辺近くには小型船が舫ってある。カモメがときどき鳴き声を上げる他は、とても静かだ。雲は低く、鬱々としていたが、この頃になると、晴れ間も多く見えてくる。暖かくも寒くもないいい感じの陽気だ。しばらく、海岸沿いの道を歩き、県道に折れる。小腹が減ったので、見かけたセイコーマートに入り、パンとコーヒーを買った。今回の旅行で感心したのは、セイコーマートの存在。他のコンビニが皆無だった一方、一町に一軒という感じで、ちゃんとセイコマはあった。地域に密着しているのが如実にわかる。

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  • 宝来公園 道道254をしばらく南へ歩き、宝来公園に着いた。ここに、本郷新《太陽の母子》像が設置されている。像を観覧した後、ベンチを借りて、先ほどの買ったパンなどを食べる。空の青い部分がだいぶ多くなってきた。宝来公園は、あまり大きな公園ではないが、いい感じのベンチもあり、気持ちのいい公園だった。オレ以外、誰もいなかったけど…

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本郷新《太陽の母子》(1976/1993.3設置)。稚内市による設置。(写真上)家と家の間から海が見える。(写真下)後方に見えるのは、稚内市体育館。

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ベンチと、

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消火栓。

  • 稚内公園 再び南に歩き、道を折れ、稚内公園のある丘陵へ向かう道を上る。稚内公園は、1954年に開園。市街地を一望できる丘陵の上にあり、隣接の森林公園も含め、市民の憩いの場となっている。碑やモニュメントがいくつか設置されており、ここを訪れる観光客も多い。かつてはロープウェイもあったようだ(1975〜2006年)。麓から《氷雪の門》のあるあたりまで、左右に短歌や俳句を記した駒板を配した遊歩道があり、ここを歩いた。以下、お目当ての本郷新制作の2碑と、いくつかの碑・モニュメントを掲載。

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公園へ向かう道の途中から。遠く、宗谷丘陵が見える。

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《氷雪の門》(1963建立)。制作は本郷新。もう帰ることのできない樺太への望郷の念、樺太で亡くなった多くの人々の慰霊のために建立された。高さ8mの門、黒大理石の台座、2.4mの女性像からなる。天気のいい日には、門の間から、樺太を見ることができるが、この日は雲で固く閉ざされ、何も見えなかった。

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《九人の乙女の碑》(1963建立)。制作は本郷新。終戦時、樺太の真岡郵便局で通信業務を死守しようとした9人の電話交換手の女性たちの慰霊碑。1945年8月20日、彼女たちはソ連軍が迫る中、碑にある「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」の言葉を遺し、青酸カリを飲み、自ら命を絶った。

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《樺太犬訓練記念碑》(1960設置)。日本学術振興会南極地域観測後援特別委員会による。樺太犬の像、レリーフは制作は、加藤顕清。1956年、南極地域観測に参加するにあたり、北海道各地から集まった樺太犬31頭がこの地で、約8ヶ月間、橇の訓練を受け、その中の22頭が極地に渡り、昭和基地建設や調査探検に活躍した。その功績を称えるためにこの記念碑が建立された。

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《南極地域学術観測隊樺太犬供養塔》(1961建立)。レリーフの作者は不詳。

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《測量の碑》

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稚内公園のベンチ

  • 稚内市北方記念館・開基百年記念塔 稚内公園の碑が多く置かれているあたりから、約1.5km歩いたところにある。上りが多く、ちょっときつい。欧米系の男性が一人、大きな荷物を担いで、猛然と歩いて行く、その後を追うように歩いたが、すぐに引き離されてしまった。ここまで歩いてくるヤツらは、彼とオレだけ…多く人は自動車でやってきていた。碑のあたりは観光バスで団体も多かったが、ここまでやってくる観光バスは少ないようだ。人は少ないながらも、途切れずにやってきていた。稚内市北方記念館・開基百年記念塔は、1978年稚内開基100円市制施行30周年を記念して建設された。基部の1、2Fは、稚内市北方記念館となっていて、稚内に関わる考古資料・歴史資料、あるいは樺太関連の展示を見ることができる。その上は高さ80mの稚内市開基百年記念塔になっており、エレベーターで高さ70mのところにある展望室まで上ることができる。ここが360°の絶景で、この日は雲がいくぶんかかっていたが、利尻・礼文まで見渡すことができた。高いところは苦手だが、ここは必見。入館料400円。

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稚内市北方記念館・開基百年記念塔

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稚内市北方記念館・開基百年記念塔前の、峯孝《出》(1978.7.1設置)。稚内市開基百年・市制施行30年記念に、稚内市町内会連絡協議会と民生委員協議会の寄贈。当時の市長、浜森辰雄の銘文(台座正面)によると「稚内二世紀創造の歴史を若者に期待するその姿を檜舞台の出番を待つ若きバレリーナに託しこの像を建立する」とある。作者の峯孝は特に稚内にゆかりはないようだが、宗谷岬も含め、稚内市内で、いくつかその作品を見ることができた。1Fの北方記念館にも、峯孝による《間宮林蔵立像》(宗谷岬のものと同じ)が展示してあった。


  • 市役所と稚内総合文化センターの野外彫刻 観覧後、来た道をふたたび戻る。実は碑のところに忘れ物をしたのだが、無事に回収することができて、ちょっとうれしい。さらに遊歩道を下り、途中から道を変え、北門神社の方向に下りる。道道254→106を南下し、稚内市役所まで。いささか歩き疲れた。市役所前に、稚内市2代目市長、浜森辰雄の胸像があったので、これを観覧。続いて、隣接の稚内総合文化センターも探る。センター前に野外彫刻が1基あった他に、写真は撮らなかったが、エントランスロビーに、峯孝《春》や、絵画などが、大ホール・ホワイエに、佐藤忠良《早蕨》があった(大ホール・ホワイエ内はガラス越しに遠望したのみで、作品には近づけなかった)。

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稚内市役所前の、《稚内第二代市長 浜森辰雄の像》(2000.11設置)。浜森辰雄(1916-2009)は、8期にわたり稚内市長を務めた人物。同氏の功績を称え、浜森辰雄氏の功績を称える会が設置。生前だから、寿像ですな。なお、像の制作は笹戸千津子(像に「CHIZUKO」のサイン)。ちなみに、初代市長の西岡斌の胸像も稚内公園にあるようだが、これは見落としてしまった。

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稚内総合文化センター前の、アリ・トラオレ《アフリカ》。作者は1964年セネガル生まれの彫刻家。国際ソロプチミスト稚内の寄贈。

  • 稚内駅と稚内北防波堤ドームの周辺

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稚内駅と「日本最北端の線路」。

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稚内駅構内の、流政之《カネポッポ》(2012設置/コールテン鋼)。JR北海道文化財団による。樺太が日本領土だった時代に、機関車の汽笛の代わりに鐘が使われていたという。日本とロシアの鉄道友好の証として設置。

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稚内港北防波堤ドーム。戦前、稚内・樺太間の定期船発着所として、1931年(昭和6)着工、1936年(昭和11)完成。老朽化のため、1978〜1980年にかけて、改良工事が行われた。古代ローマの柱廊を思わせる外観から「ドーム」と呼ばれている。土木学会選奨土木遺産、北海道遺産に指定されている。

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「稚泊航路記念碑」(1970.11建立)。1923年(大正12)鉄道省により、稚内と樺太の大泊間に連絡航路が開設され、1945年(昭和20)8月に閉鎖されるまで、稚泊連絡航路を定期船が行き来した。その22年間の業績を記念して、有志により、建立された。

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「C5549」。宗谷本線で活躍したC55型49号機蒸気機関車の主動輪一対。この機関車は、1945年までは、稚泊連絡線への接続列車を、戦後は、急行利尻号などを牽引していた。以前は、機関車自体も保存されていたが、塩害腐食のため、1996年に解体された。

  • 今日の観光は、このあたりで終わり。南稚内のホテルに向かうことにする。稚内周辺のホテルは、南稚内周辺に比べると、宿泊費がやや高めで、南稚内のホテルを予約したが、早朝散歩、というか、早朝徘徊?を考えると、多少高くても稚内周辺のホテルにした方ががよかったかも。それはそれとして、南稚内には、JRで向かうことにした(バス便もある)。ただ、列車の本数が少ないので、注意が必要。18:04発に乗車。1両編成のワンマン列車。3分ほど。南稚内までは170円だった。

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  • 天北緑地の野外彫刻 南稚内で、ちょっとスーパーにでも立ち寄って、ホテルにチェックインするつもりだったのだが、西條という地元のショッピングセンターまで歩いたところ、明日立ち寄るつもりだった天北緑地がすぐ近くなのを思い出す。天北緑地に、1、2基、野外彫刻があることはGMで知っていたので、ちょっと偵察がてらに立ち寄ってみることにした。この緑地は末広町の3丁目から5丁目にかけて、丁目ごとのブロックが横に連なっている細長い公園で、全長が1kmちょっとあり、ふらっと行って、すぐに野外彫刻を見つけることができるか、どうか、いささかおぼつかなかった、ということもあった。そんなわけで立ち寄ってみた次第。と、最初に入った、いちばん西側のブロックでまず1基発見。次のブロックに行くと、また1基。念のため、次のブロックは…また1基、という具合に…そろそろ暗くなりかけているし、いい加減疲労困憊だし、あと1ブロックだけ…が、いつの間にか、毒食わば皿まで…になってしまい、結局、端から端まで歩いてしまい、全部で6機の野外彫刻を観ることができた。緑が多く、芝生も瑞々しい、気持ちのいい公園だった。では、天北緑地の野外彫刻を西側から順に掲載。

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本間武男《追憶》(1992.3設置)。本間武男(1929-2006)は、北海道余市町出身の版画家、イラストレーター。彫刻作品も数は少ないながら制作しており、北海道内にいくつか設置されている。これまでに、恵庭で2基、釧路で1基、そして、ここ稚内で2基と、これまでに5基観ている。

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高橋洋《このはずく》(1986/1992.3設置)

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矢野秀徳《光》(1992.3設置)

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佐野文夫《飛翔》(1987/1992.3設置)

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佐藤範夫《躍動》(1990/1992.3設置)

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本間武男《大地》(1992.3設置)

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  • 例の西條まで戻り、飲み物とお菓子などを買って、ホテルに向かう。歩いて10分強といったところ。本日宿泊したのは、ホテルニューチコウというビジネスホテル。4Fのシングル。設備は古かったが、アニメティも含め、大きな難点はなし。Wi-Fiも、シャワートイレもちゃんとあった。ただ、窓が汚れていて、せっかくの眺望がだいなしだったのと、枕元に電源がなかったのは残念。素泊まりで、5600円。観光客もいたが、仕事関係の人が多いようだった。風呂に入り、今日撮った写真を眺めているうちに、寝入る。