なぜ「自然は真空を嫌う」ように社会は等価交換を嫌うのか その2 ポール・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々」

pikarrr2009-03-27

「社会は等価交換を嫌う。」質的に異質なものを量的に等価にして交換するというのは、「命がけの飛躍」であり、社会的信用、政治的権力によって「空間」を満たそうとする。

自由主義経済学では、「空間」を満たすのは「神の見えざる手」であり、このために完全自由競争世界が目指される。しかしポール・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々」ISBN:4480092072)で、QWERTY経済学として完全自由競争の困難が解説される。

歴史的な偶然が自己組織的に資源の偏在を生み、完全競争を妨げる。このような不完全競争経済では、フリードマンマネタリズムが考える市場の自己回復力は期待できず、ケインズ経済学的な積極的な金融政策が有効である、といことだ。

QWERTY経済学では、不完全競争の説明は、「近似的合理性」「歴史的偶然性」「自己組織化」という際どいタームにより、かろうじで自然科学の領域にとどまろうとしている。

しかしクルーグマンが言っているのは、環境とそこに住む人々の慣習(コンベンション)という社会性の一部に他ならない。現実の生活の中で完全競争を妨げている当たり前こと、社会的信用や政治的権力は、気づいていたとしても、数学的に取り込むことの困難で、現代マクロ経済学の流行には早すぎるのだろう。




以下、ポール・クルーグマンの「経済政策を売り歩く人々」 (ISBN:4480092072)より

ジョージ・アカロフ 逆選択理論


小麦作農民は、他の何千という小麦作農民と、基本的に同じ作物を作っており、農民個人は、価格が市場から与えられる「完全競争」市場に直面していることになる。この市場では小麦価格は所与であり、個々の農民が設定するわけではないので、間違った価格付けすることもない。それに対して、住宅市場は不完全競争の世界である。どの家もそれぞれ異なっており、買い手も欲しい家を徹底して探し歩くわけではない。そこに価格を設定する余地が生じるし、少しばかり欲張りすぎて高値をつけてしまうこともありうる。

要するに、きわめて非合理に思われるような市場経済の結果も、煎じ詰めれば不完全競争市場と近似合理的な個人の行動から生み出されているものであるといこと、それが新しい経済学の考え方である。P304

新しいケインズ経済学


きわめて多くの企業は「寡占的」であり、各産業の中で寡占的企業は価格設定に大きな影響力をもつ。多くの市場で、売り手を買い手がそれぞれ欲しい物を持っている相手を探すのにたいへん費用と時間がかかることが知られている。

不完全競争市場では、企業が少し高い価格を付けても、それによって失う販売量の減少を埋め合わせるに足るだけの収益を高い価格によって上げることができたり・・・するのである。要するに、一企業がたとえ完全に合理的ではなく、賃金や価格を引き下げることをしなくても、そのために生ずるコスト(損失)はきわめて小さいので、そのままにしておくということである。

もし人々が現金をもっと保有することに決めたときに、物価が下がらなければ、その結果、不況下の生産と雇用情勢から自律的に回復できなくなってしまう。不完全競争経済では、個人としては分別ある行動をとっていても、それがまとまると、社会経済全体として不都合が生じかねないのである。

これまでの議論から、積極的金融政策をとることの意義は明白である。・・・・不況に突入したとしよう。それに対して簡単な解決策がある。つまり貨幣をより多く流通させ、お金を多く使わせることで所得も雇用も上昇させるだけでいいのである。P305-307

QWERTY経済学


保守派が何よりも信じていることは、経済活動を組織するとすれば自由競争市場がもっとも効率的だということである。保守派は個人に自由に選択させるがいい、その方が計画したり、命令したりするよりずっと生産的で効率的であるという。ミルトン・フリードマンが示したように、「選択の自由」は強力なスローガンとなりうるのである。

QWERTYキーボードのエピソードは、・・・経済学に対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである。つまり、この考え方は、市場経済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済に結果はしばしば歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出しようとするかもしれないという意味で、この帰結は政治的な含意に満ちているのである。P317-318

経済地理学では経済的帰結を左右する歴史的偶然の役割が、しばしば重要な役割を果たす。・・・第一に、産業局地化は規模に関する収穫逓増の重要性を示唆している。・・・(ロンドンの金融街である)シティーの交通渋滞やシリコン・バレーの不動産高価格は、収穫逓増の原理が重要であることを証明している。

第二に、産業局地化は収穫逓増の原理が個々の企業レベルをはるかに超えたレベルで働いていることを示している。シリコン・バレーに集まって来ている個々の企業は決して大きくはないが、それら企業の集合体は個々の企業を単に足し合わせたものより明らかに大きいのである。経済学用語を用いれば、規模の外部経済が働いているのである。P319-323

新しい貿易論の世界観は次のようなものである。どの時点で見ても、各国は土地、熟練労働者、資本、気候、一般技術競争力など広い意味での資源を賦与されている。これらの賦与資源によって、その国が世界市場で競争できる産業が、ある程度まで決まってくるものである。・・・しかし賦与資源がその国の産物をすべて決めているわけではない。というのは、個々の産業の比較優位のパターンは、歴史的偶然で始まる自己増殖的な循環によって決まってくるものだからである。・・・究極的には歴史的偶然によって、つまりQWERTYの世界によって決まってくるものなのである。P333

収穫逓増と外部経済という便利な用語は彼(アルフレッド・マーシャル)が考え出したものである。それらの用語は一八九〇年代に出版された『経済学原理』の中で使われている。しかし、QWERTY経済学が本当に流行し始めたのは一九八〇年代に入ってからである。どうしてこれだけ明かなことに気づくのにこれほど時間がかかったのだろうか。

その理由は、・・・二〇世紀のほとんどの経済学者にとってQWERTY的要素は無視した方が便利であるからである。・・・収穫逓増は重要ではなく、外部経済は存在せず、また市場経済資源賦与条件によって形成されるもので、決して歴史の気まぐれによって形成されたりしないと仮定して経済をモデル化した方が、たまたま容易であったということである。

経済学はますますもって、数学的指向が強くなってきたので、多くの経済学者がQWERTYの重要性に多かれ少なかれ気づいていたとしても、経済学の主流派の議論は七〇年代後半まで、この要素を取り込むことを回避してきたのである。P324-325