ウェブは幸福な助け合いのエコノミーを実現するか 「ネットワーク型贈与交換エコノミー」

pikarrr2010-02-06

「フリー」はウェブの幸福なイメージを解体する


ウェブでは実社会のような貨幣交換ではなく、助け合いの贈与交換が働いていると言われる。これは、実社会のような「冷たい交換」ではなく「熱い交換」で成立しているという幸福なイメージを意味している。そのイメージは「グローバルビレッジのように回帰し続ける。

貨幣交換は瞬時に精算するために「冷たい交換」である。だからこそ不特定多数との円滑な交換を可能にして資本主義社会を成立させている。それに対して贈与交換は相手が誰であるかによって贈与し、そして返礼される。贈与交換では精算は行えずその残差が信頼の繋がりとして継続される「熱い交換」である。だから資本主義のような不特定多数との交換には向かない。

クリス・アンダーソン「フリー」ISBN:4140814047)が画期的であるのは、漠然と幸福なイメージで語られるウェブ上の贈与交換が実社会とかわらない現実的な貨幣交換のエコノミーで動いていることを明らかにしたことだろう。

マチュアの創作意欲を動機づけるのは、お金でなければなんだろうか。贈与経済を動かしているのは寛大な心だ、と多くの人は思っているが、ハイドが南太平洋の島の住人を観察したところ、彼らは強い利他主義者ではなかった。つまり、アダム・スミスは正しかった。啓発された利己主義こそ、人間のもっとも強い力なのだ。人々が無償で何かをするのはほとんどの場合、自分の中に理由があるからだ。それは楽しいからであり、何かを言いたいから、注目を集めたいから、自分の考えを広めたいからであり、ほかにも無数の個人的理由がある。P250


「フリー」 クリス・アンダーソン (ISBN:4140814047




ネットワーク型贈与交換


ウェブでは情報は簡単にコピーされる。このために希少性がなくなり貨幣交換は難しく無料で公開される。またそこにかかった労力の対価としてアテンション(注目)が期待される。特にウェブでは不特定多数のアテンションを回収することが容易であるために十分な対価がえられる。このようにウェブの交換は個人から不特定多数への無償提供、そして不特定多数から個人へのアテンションの集約によって全体として贈与交換が成立している。これを「ネットワーク型贈与交換」と呼ぼう。

Googleもこのようなネットワーク型贈与交換エコノミーを活用している。優秀な検索技術でアテンションを集め、そのアテンションへ的確に広告を提供し購買につなげる。すなわちアテンションを貨幣価値にかえる効率的な仕組みを考えだした。

このようなネットワーク型贈与交換エコノミー上で一個人の価値観は実社会のエコノミーとそれほどかわらない。情報はただだから公開することに利害を感じない。さらに対価として多くのアテンションを得ることができる。もし仮にウェブでも貨幣価値を高く維持できるもの、たとえば電子マネーや商業的は価値を持つ作品は当然無償提供などしないだろう。ただ「フリー」にも示されているフリーミアムのように、無償公開することで普及させて、プレミアム製品によって課金することでより収入をえるマーケティング手法もある。

だからウェブは決してみなが助け合うという「熱い」ものではない。そして個人は実社会の貨幣交換とウェブコミュニティの贈与交換という異なるエコノミーをシースレスに生きることができる。




それでもウェブには幸福な贈与交換は存在するか


再度問えば、それでもウェブには幸福な贈与交換は存在しないのか。実社会では贈与交換は身近なものに働く助け合いの力学である。ウェブは実生活と比べられないぐらいの出会いがある。だから人との関係が強くなり、贈与交換が働くると言えるだろうか。

孤独は現代社会の慢性的な問題であるが、問題が深刻化しているとは聞くがウェブの発達により緩和されたとは聞かない。ウェブでは簡単に出会えるからこそ離れることも容易であり、ウェブの「コンビニエンスな繋がり」はむしろ強い繋がりを回避しているともいえる。

また慈善団体への多額な寄付や、災害時にみずからの命をかけて子供を助ける行為など、贈与交換が見ず知らずの人に働くとき、人類愛的な「崇高な行為」として賞賛される。ウェブは身近な人を増やし贈与の輪を広げることが期待されている。しかし自己犠牲をしてまでの「崇高な行為」が起こる可能性が高まるとは言い難い。むしろウェブでは自由が重視され、問題は自らを解決する自己責任が基本とされている。

クロポトキンは一九〇二年の著書「相互扶助論」の中で、ある意味では、今日のインターネットという<リンク経済>を支配するいくつかの社会的な力を予想していた。人に何かをあげることは、お金のためではなく自己満足のためだと彼は言ったのだ。その満足はコミュニティや相互扶助や支援に根ざしている。すすんで他人を助けることで、相手も同様にふるまうようになる。「原始社会」はそのように動いていたとクロポトキンは主張した。贈与経済は市場経済よりも、人間の自然状態に近いのだと。

しかしそれを実践しようという試みはあらゆる規模で失敗した。集団の人数が一五〇人を超えると、相互扶助を監視する社会的絆がゆるみはじめるのが主な原因だった。一五〇人という数字は「ダンパー数」と呼ばれる。これは経験則によって割り出された数字で、人間のコミュニティで各メンバーが強い絆で結ばれたままでいられる構成員の上限数だ。P56


「フリー」 クリス・アンダーソン (ISBN:4140814047




サイバーリバタリアンの源泉としてのネットワーク型贈与交換


最近、ウェブを活用した「ソーシャル・ビジネス」が注目されている。ソーシャルビジネスとは貧困などの社会問題を営利活動を通じて解決することだそのきっかけの一つがGoogleの擬似的なソーシャル・ビジネスの成功だろう。

Googleはネットワーク型贈与交換を活用し利益を上げる。ユーザーのためにより的確に広告を挿入することで広告収入を得る。1件ずつはわずかな収入であるが世界中から掻き集めるというロングテールによりって巨額の利益をえた。そしてその利益は人々へのサービスとして再配分する。すなわち営利活動を行いつつ、ウェブ上のソーシャルなサービスを向上させている。

だからウェブを活用したソーシャル・ビジネスは、決して助け合いの幸福なイメージのものではない。むしろ「ネットワーク型贈与交換」のエコノミーは贈与交換の助け合いを回避する傾向さえある。

情報はただで公開されることで他者からの強い助けを必要としない。だからウェブでは必要以上の他者依存は嫌悪され、「セフルサービス」が基本であり、そしてもっともうまくDIY(Do It Yourself)した者が尊敬される。だから情報は自由化されるべきであり、その活用は自己責任である。「ネットワーク型贈与交換」はウェブ上に(サイバー)リバタリアニズム自由至上主義)を広げる源泉になっている。