役者がようやく配役を演じ始めた!!!

  • 鈴木 公雄1969「土器型式における時間の問題」『上代文化』第38号

 ふぅ〜、こっちもなんだか折々でこのテクストを挙げ、鈴木の名を挙げているように思う。しかしこれを最も語るべき立場として、JITな人物が、迂回ばかりをして、poliは個人的にかなりイライラしていた。(本当に身勝手な感情である)で、ようやく壇上に上がった模様である。ま、ほんとは、縄文時代中期の集落遺跡の、それこそ遺跡化に注視することから出発したアノ団体様が先に壇上に上がるべきだったろうけど、土器にいっちゃったわけだよねぇ。あんな煙の吹かない煙突ぎょうさんおっ立ててどうするのか、と思ったら、山梨の方から良いフイゴがやってきたってもんだ。あ、脱線。
 実は前回示したLyman&O'Brienは、ロングエーカーなんぞに、アナクロ呼ばわりされつつも、倦むことなく前掲書に至る諸々の学史のテクストを書き上げていった。(例えば、この本では1880〜1950年の研究を扱う。ちなみにロングエーカーが絶大な影響を受けたであろう、ビンちゃん達による大やんちゃくれ祭は、三日まで!!んなことあるか!このコーパスより10数年あたり後の事象にあることに注意!!!)
 と、、Lyman&O'Brienのイントロだけ読み進んだだけなのにこいつまで、上の「千両役者」にうってつけな内容に思えてきた。多分より良い読者に違いない。くそっ!!意味不明。
 Lyman&O'Brienのテーマは、オントロギーとエピステモロギーだそうだ。poliは、純粋な日本人なのでwaterは、ワタだのワラだのとは表記せずウォーターと書ききってやる程日本男児です。サムライブルー??そんなんウ○コって、開催時はいってやりかった。だってオレ、鼻リーグマンセーだもの、昔から観戦なんかつまらん。以上、毎度おなじみの脱線なんのことはない、オの字とエの字って、何かって、存在論と認識論ってこと。、、、ほれほれ第一だの第二だのなんていうアジアジな言説に幻惑されてるみなさ〜ん、
読め!!!
ま、poliは、へろへろと、ちんたらと。
「射撃しつつ前進」
ここでその科白つかっても、わかってもらえないと思うよ、poli。ほ〜そんなもんですか、とほほ。決まったと思ったのに、、
あ、そうそう。

qwertyの眼前で厨先生、人格崩壊!!

 こわれてます。っていうか、三角眼鏡の自称セレブなババアの口調にどはまり。ウドちゃんを真似る関根勤のようで、ちと異様だ。おかげでqwertyが何か、初見のやつには、全く伝われねぇ、「自分で調べろ」ってか?キビシィねえ。poliめは、これを思いだしました。