牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオツアー田京

静岡県地学会東部支部主催のジオツアーに参加した。昨日の冬の嵐から一転、春の伊吹が感じられる旧下田街道を歩いた。田京という地名、伊豆国分寺、広瀬神社などから、この地に伊豆国分寺があったとする伊豆国府論に関わるコースでもある。

本日のGPSトラック

田京駅から南進し①狩野川中位段丘面に上がり、②深沢川扇状地に位置する広瀬神社で反転・北進し、③江戸時代の旧下田街道を北上して、④宗光寺・横山坂を通って、⑤伊豆長岡駅までのコース
田京駅前で、明治の旧下田街道と江戸の下田街道(奥の細い道)が交わる。江戸の旧下田街道を、狩野川が侵食した下位段丘面と中位段丘面と登っていくと、公蔵免遺跡に出る。約6000年前といわれる縄文海進時期にこの下位段丘面の近くまで古狩野湾が迫っていたので、サメ・イルカなどの骨片が出土している

深沢川の扇状地に位置する広瀬神社は、白濱に祀られていた事代主命三嶋大社遷座する途中、お休みになったと伝えられる元の伊豆国分寺があったとされる久昌寺跡


宗光寺の地名の由来となる廃寺の跡には長伝院が建つ参道左六地蔵堂の隣に、坐る石造物は地蔵さんか?


狩野川台風の洪水は、宗光寺の庄屋さんの家屋敷の石垣の上まで押し寄せた。白鳳時代から続く?)庄屋さんの庭には、廃宗光寺の礎石らしいものが置かれている


庭から出土したという廃宗光寺の瓦(表面に布目模様、真ん中は生焼けで橙色)花坂古窯産であることが判定されている須恵器もいくつか出土している


江戸時代の狩野川は横山付近で、山際まで流れていたので、旧下田街道は横山で坂越えとなる。峠からは、明治の旧下田街道・伊豆箱根鉄道・136号線が狩野川との間の狭い場所を窮屈そうに通る横山坂を下ると、観音堂の石造物群が迎える。


観音堂の横の道を少し上ると、左にローム層に覆われた多賀火山の土石流らしきものが露頭


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