結婚式に出席してきた

カソリック式の結婚式。よく知らないが、たぶん結婚式のために作られた教会*1で。なかなか立派なつくりで、ステンドグラスは100年前だかにヨーロッパで作られたものを持ってきたらしい。美しい。神父が何か話している間、ずっとそれを見ていた。
新婦がカソリックらしい。たぶん出席者のほとんどは日本的「無宗教」者*2(私もそう)なのだろうけれど、立派な教会だとかで神父の進行のもと一連の儀式が執り行われ(賛美歌を歌うとか)ている中にいると、フェイクだなーと思いつつも、なんとなくその気になってしまうような。そう感じたのは私だけではなかったみたい。
ていうか、「オプションでつけた」というゴスペルシンガーの歌「アメイジング・グレイス」がすごくて、それで持っていかれたという感じだ。これもみなが口々に言っていた。新婦などは、リハーサル(それも前の組のそれが行われているのを外で聞いていて)の段階で聞いて落涙したほどだという。
 
そのアメイジング・グレイス、非常に複雑な来歴を持つ曲であるらしい、と帰宅してツイッターのタイムラインで言及されていたウェブサイトの記述を読んで知った。
ちょっと長くなるが引用する。

スピリチュアルズは神を賛美する歌であるが、同時に黒人奴隷たちの自由や希望を表現するための歌でもあった。スピリチュアルズの中には旧約聖書のモーゼらが迫害を逃れてエジプトを脱出する「出エジプト記」を題材にした歌が多いといわれている。もちろんモーゼらを救う神の力を讃えているわけだが、それは表向きの表現で、その裏には自分たちへの救いの願望が込められていた。エジプト王に迫害されるイスラエルの民の姿に自分たちの境遇を重ね合わせ、いつしか自分たちも神が導いてくれると神に祈っているのである。また、天国へ連れて行ってくれる馬車や舟とかいう表現も多いが、それも自分たちの生まれ故郷へ帰してもらえるようにという痛切な願いが、その裏には隠されていたといわれている。
 こういう内在された彼ら自身の希望を込めていたことのほかにも、スピリチュアルズはもっと直接的な役割も担わされていた。歌詞に暗号のようなものを忍ばせて、連絡のための手段として使っていたといわれる。見えない教会での礼拝はもちろん、集会ですらも、主人である白人たちは認めていなかった。奴隷たちが徒党を組むことを危険視していたのはもちろん、分断しておくことが黒人支配には都合が良かったからである。そのために、白人たちに気づかれないように、歌詞の中に見えない教会での礼拝の時間や方法、逃げるときの合図、果てには白人領主への反乱をアジる文句が、言葉を換えて忍ばされていたといわれている。黒人たちが神に近づくためにスピリチュアルズを歌っていたのはもちろんだが、こういう実用面でもスピリチュアルズは彼らの役に立っていたのである。
 ジョン・ニュートンによる「アメイジング・グレース」の歌詞は、1772年、まさに黒人たちがスピリチュアルズを作り出しはじめていたこの時代に生まれている。1779年、「アメイジング・グレース」が納められた『Olney Hymns』が初めて出版され、この曲はオルニーの教会で歌われただけの歌ではなくなった。同年にニュートンはオルニーの田舎町からロンドンのロンバード通りのセントメリー・ウールノース教会に教区牧師となったことは記したとおりである。ロンドンという当時の世界の大都市の教会に移り、説教を頻繁に行っていたニュートンは次第に有名人になっていくことになる。それとともに彼の賛美歌作品も世に出ることになったが、彼の歌はイギリスよりもアメリカで支持された。
 『Olney Hymns』が出版される直前の1776年、アメリカはイギリスから独立を果たし、一つの国家となった。17世紀にクロムウエルによってイギリスの支配下に置かれたアイルランドは、アメリカ独立に刺激され、1798年、大規模な反乱が起きることになる。これを機会にイギリスはアイルランドを完全に自国領土として取り込み、1801年連合王国を発足させた。この一連のイギリスによるアイルランドへの圧力は、アイルランドからのアメリカへの移民を加速させることになる。このアイルランドからの移民によって、「アメイジング・グレース」はアメリカに伝えられたといわれている。アイルランド移民の集団の中でよくこの歌が唄われていたといわれているのだ。その論拠は何かははっきりしたものはないが、アイルランド移民社会の中ではそう伝えられているらしい。「アメイジング・グレース」はアイルランド移民から奴隷たちに伝わり、彼らが南部へと売られて行くに従って、アメリカ南部の大プランテーション地帯でこの歌は広まったといわれている。

http://www.smilefilm.com/3m/amazing_grace02.html

なぜだかわからないが、こうした記述を読んでいると涙が滲んでくる。
大西洋を囲む三つの大陸を舞台とする、奴隷貿易奴隷制度という人類史上でもたぐいまれな惨禍の中から複雑な相互作用を経てさまざまな音楽が生まれた。その多くは奴隷とされた人たちおよびその末裔たちの辛苦の日々のエコーであり、残虐な抑圧に対する抵抗の技術でもあったのだった…などと、資本主義的な世界システムの中で圧倒的に搾取する側である日本国に住む日本国籍を持った男であるという、かなり特権的な位置にあってヌクヌクと生きてきた私が感傷にまみれて書き付けるのは、やっぱりこっけいな振る舞いということになるんだろう。

それにしても、このような来歴を持つ「アメイジング・グレイス」という曲が、日本の片田舎に建つヨーロッパのゴシック様式を模したものと思われる教会において、カトリック式の婚礼の一連の儀式の中で、おそらくは日本人であるゴスペルシンガーによって歌われ、たぶんそのほとんどが日本的「無宗教」者でしかない出席者の多くが、「おごそかな感じ」とでもいうしかない感動に打たれてしまう、というのは、なんてちぐはぐで不思議なことなんだろう。
音楽ってとても神秘的だ。

*1:まあなんというか、とても資本主義的な感じのする

*2:この点についてはほんとうにそうなのか疑問を呈する向きもあろうが、とりあえず措く