ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 神去なあなあ日常

神去なあなあ日常

神去なあなあ日常

 ここのところなぜか古い本を読みなおしてばかりいて、雑誌以外の新しいものを読む気があまり起こらなかったのですが、この本は朝日新聞に広告が出ていて、それを見ただけでどうしてもほしくなって買いました。
 あらすじは、横浜の高校を卒業したばかりの「フリーターでもまっいっか」と思っていた男子が、親と担任の策略により、携帯も通じないような山深い林業の村へ研修生として送り込まれるところから始まります。
 林業の世界なんてどんなものなんだか想像もつきませんが、最近宮大工の西岡常一さんの「木のいのち木のこころ」という本を読んで「木」についても興味を持ったところだったので、ぜひぜひ読んでみたいと思いました。
 そもそも三浦しをんさんの文章はそんなにむずかしくないし、使う言葉や比喩がわかりやすいしシャレてるしでとっても好き。
 たとえば主人公がわけがわからないまま住む場所や仕事が決められていく自分の境遇を「ドナドナ気分」なんて表現したり、地震で山の花粉が一斉に降り注ぐ様子を「ふ、腐海!俺は思わずナウシカを連想した。」なんて言ったり、「言い得て妙だわ!」と思うシチュエーションがたくさん出てきます。
 主人公の勇気は、あまりにも刺激がない村での過酷な暮らしからなんとか逃げ出そうと思っているのですが、なんせ林業の修行で毎夜毎夜体力を使い果たし、夜はひたすらに眠りをむさぼってあっという間に朝が来てしまいます。 
 しかも、その過疎の村には小さい子どもがひとりしかおらず、若い独身男子は自分だけ、働きざかりの男すら数えるほどしかいないのです。
 そんな村でチェーンソーの使い方から指導を受け、実際に山に入りひと癖もふた癖もあるたくましい先輩たちに仕事のいろはを習いながら村での暮らしをしていくうちに、次第に林業のやりがいに目覚めていきます。 
 徐々に山の暮らしにも馴染んでいき、季節の移り変わりに目をみはり感動して、気がつけばこの季節のダイナミックな移ろいを一瞬たりとも見逃したくない…と帰省さえもためらうようになります。
 物語の中で自然や山の神様に対する畏怖や、迷信や風習について語られる場面は、まるで昔話の中の一場面!?時代錯誤?とびっくりすることも多々ありますが、一方で、これらの風習とともに山に生きる人たちの知恵もまた、たくさん受け継がれてきたんだなあと思います。
 この物語を読んでいると「育てる」というキーワードが浮かびます。神去村の(林業の)職人たちが、新しい職人候補生の勇気を育てます。職人たちは日々山に入り、木を育て山を育てる手助けをします。山は村の人々を育て、気の遠くなるような時を経てたくさんの恵みを人々にもたらします。
 主人公勇気を通して読者もまた、奥が深い山の話、様々な木を育てる話、現代の山林経営の話などを大変興味深く聞くことになります。
 タイトルにも入っている「なあなあ」というのは「まあまあ」とか「のんびりいこう」みたいな意味の方言です。この言葉以外にも、しゃべり言葉の語尾に「なあ」が入っていたりして、とてものんびりとしています。この「のんびり」というキーワードは今日の仕事の結果が出るのは100年後という林業という職業の性質から来るものなのかもしれません。
 もうひとつ印象に残った方言に「なっともしゃあない」とう言葉があって、これは「なんともしようがない」という意味で、過疎の村の人々の限界を知っている覚悟が決まった暮らしぶりがその言葉の中に凝縮されているような気がしてとても印象に残りました。
 主人公の勇気は普通の今どきの男子で、彼が自分の生活を話し言葉で語っていくというスタイルなので、とても読みやすいです。
 神隠しに関する話や後半のお祭りのあたりの話はかなりファンタジックでもあって、特に後半に行くにつれ読むスピードもどんどん増していきます。おもしろいです。
 三浦しをんさんの別の作品「風が強く吹いている」ともちょっと読後感が似ています。とてもさわやかで読んでよかったと思える本です。
 勇気を巡る周りの人々は、とてもユニークでひと癖もふた癖もありますが、とても好感が持てる人たちで、読んでいると自分まで孤独とはほど遠い、温かい気持ちになれます。
 ぜひぜひお勧めの一冊です。とりあえず我が家では、そろそろ進路を決めようとしているオトートに「こんな世界もあるんだよ!」と回してみようかなあと思っています。