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悠久バプテスマ このページをアンテナに追加 RSSフィード

思考をそのまま文章としてアウトプットする実験、あるいは普通の雑記

2016年03月30日(水)

[]やよい

 言葉を紡ぐことこそが前に進むことだ。デスクワーク風情の者からしたらそう言うほかない。生命体の大きな目的、それはやはり自身の情報の伝達だと思うんです。子孫を残すというのは、自分の形を、有限時間後に少し残すこと。so-fiが言うように、100年後の化石の中に残るのは、今日焼いたサンマの骨なんでしょうね。そうしたって、俺のような者が残せるものは、子孫じゃないですよ。そういう磁場にいないから。だったら何だって言ったら、マジで今日焼いたサンマの骨ぐらいしかないわけですよ。俺が食んだっていう、その程度の爪跡しか残せない。これが偉大な政治家だったら、そいつの創った制度とかが、すげー長い歴史の上をわたりあるいて、まんまと遺る。たとえば消費税を導入した元首の爪跡は今も色濃く残っている。忘我の民にああだこおだ言われて、存続している。それが有限時間内でしかないから、その有限時間+1以降には結局、爪跡消失。という議論はいいんだ。そいつの知覚は、さらに短い有限時間内であるところの、そいつの生涯に閉じているから。噛み砕いて言うと、そいつが持つ煩悩のひとつ、「何かを遺したい欲望」。その欲望が満ちるのは、そいつが生きている間に、「ああ、これで、未来永劫に等しいくらいに俺の意図が、俺の行動が、世界に遺る」と確信する時。でもそれを知覚するのは、そいつの生涯において、そいつの生涯からせいぜい想像できるスケールの「未来永劫」の間。それは決して永遠じゃない。無限じゃない。人間は、無限という概念を定義することはできても、体感することはできん。だから、そいつが未来永劫だと思っても、それはそいつのちっせえ物差しで、永劫を誤認したに過ぎない。だから無限じゃないじゃん。という議論は俺は却下したいということ。人間なりのスケールで、そいつなりのスケールで、そいつの心が満ちればいいのである。だって無限はないからさ。永劫はないからさ。実質。要はクスリでパッパラピーになれば、ぜんぶ解決なんだよなあ。酔ってるんですけど、大丈夫すか? 俺はいつもクリアサのロング缶3本ですべての酒宴を終えるのですが、今日はさらに追加のウイスキーまで行って、なお、眠気が来ないので、いつものように管巻きバプスススですよ。ブログのタイトル、忘れちゃったい。酔った時にしかしないこと。掃き溜めみてえになっちゃってっけどよ。こういうシーンは、必要だと思うんだよ。だって、言葉を紡ぐことでしか俺は、遺せないんだもんよ。

 ふと、自分と何の接続もないような、匿名の媒体で、こういうことをしてみようって思うことはある。つまりそれは、はてな匿名ダイアリーのような欲望だ。俺は、はてな匿名ダイアリーを軽蔑している。記名せず、あえて記名せず、ネットのハンドルさえも記名せず、放言する、そんな空間が、尊いわけがない。塵芥。消えろ。という感情を、俺は厳然と持っている。しかし、その欲望も十分に理解できるんだ。それを知った。俺は、その軽蔑の気持ちから、自分の情報を過剰にネット上のアドレスに接続している。自分の実名は出さずとも、自分の時間を十分に、リアルよりも深くコミットさせて構築した自分の仮想人格は、何より確かだし、そこにすべてを集約することを、覚悟としてきた。噛み砕いて言うと、俺にはネットでやってること以上のリアルなんてほとんどないし、そこに「Revin」という名前を用いてすべて接続することで、矜持を保っている。逃げも隠れもしないぞと。それは、実名とか住所という、それがバレたら、いやがらせを全通しするだけのセキュリティホールみてえなレイヤー以外のすべてを賭けているという矜持だ。しかし、それが肥大しすぎていて、俺は家庭環境やら学歴やら職歴やらもほとんどみんな公開情報になってしまっている。けっこう生臭いレベルで明らかになっている。そしてそこからいろいろと実益を得ている。たとえば、暇な時にゲームやってりゃ、誰か寄ってくるような、ブロードキャスト環境が常に横にあるとか。たとえば、ささやかなアフィリエイト収入やら。欲しいものリスト経由の贈与や、仕事や、生きがいや。これは、どうしても、ブランドイメージみたいなものはあって、たとえば俺がリアルに前科あるとするじゃないですか。それを開陳したとしたら、どうですか。前述したどれか、おかしなことになるでしょ。今んとこ前科ねえけどね? 念のため。そういう、享受してるもんと、あんまり接続したくねえってものは、どうしてもやっぱ出てくるんだよなあ。でも、そういう込み入った事情をつぶさに書きてえって欲望が掻き立てられる瞬間ってのもあるよ。やんねえけど。匿名ダイアリーってのは、そういうところに寄生してるんだろうねえ。その欲望は理解できてしまうんだよなあ。

 で、この欲望ってのが根ざすところはね、1行目の話にも関わってくるんだよ。これ、今、まだ3行目だってよ。つまり2つ前の段落で巻いた話のことね。遺したいもの。俺は、作家志望なんて揶揄されたこともあって、今でいうところのワナビ、という状態で20代前半を過ごした経緯がありましてね。それで、売文に憧れたこともありながら今はナリを潜めましたが、というか、自分の生涯のこうした懊悩には、「注目されるべき価値がある」、という風に考えていたんですよ。つまり、俺が感じている悲しさとか、喪失感とか、無念とかは、純文学よろしく、注目してもらえばきっと面白くて、討論されてしかるべきであり、それを小説やら何やらで形にして、上梓すれば、間違いなく重要であると、思い込んでいたことがあったんです。で、それは歳をそれなりに減ると、俺のそのブースは、別に傑作を出し物にしてないし、例えば苦境感ではブラック企業に勤めて自殺に至る人とは比べものにならないぐらい平穏としているし、親がギャンブル狂で離婚してDVで、みてえな家庭に比べればいくぶんまだマシな環境で生育してきているし、そんなに大したことないわけですよ。んでもって、別に俺より知能が高い人はけっこうな数いるから、例えば俺が考えつくようなことって、ほとんどがどっかの人が既に考えついてるわけっすよ。俺とかより、レディ・ガガの方が面白いんすよ。でもレディ・ガガにあんまり傾倒せずに、今の俺に傾倒してる人って、すげー低確率を撃ちぬいて、数奇にここにいるんすよ……。なんかよー分からん確率を引いたんです、あなたがたは。

 そういう意識になっちゃってしまうと、もう別に何も吟じないですよ。なんかよーわからん俺という落とし穴にハマった人が、抜け出せずにいるだけで、そのことを俺自身が分かってしまったら、まあ、ゆるくレディ・ガガみたいな人を軽く指差して、あっちでもいいんじゃないの……? みたいなことを小声でつぶやきながら、それでもアンタ、ここにいるんなら、演るけど。ぐらいのモチベーションで、事を成しているだけですよ。日陰だから、そんなもんですよ。

 まあ……。ほんと、どうでもいいっすよ。死ぬほど物食うし。酒飲んでる時、死ぬほど物食うし。太ったらええねん。見た目など知ったことかよ。糖質なんざ1日1kgに制限じゃい! んで別に死期が迫ったらそれでええやないか。俺の意識以外、何もないんじゃ。ボケが。ほら、これで俺が出会ってなんかいないことが証明されたでしょ? そんなことになってないから。これ、俺の真に迫ってる感じで、完全に確信してほしい。お前ら、なんか配信とかニコ生とかやってるやつなんか、裏であんじょうやってるんやろ、みたいなことを信じてやまないやろ? そんな面従腹背のベロ出してるやつに、こんな言葉、紡げます? 俺だけは本物であると、確信しなければならないだろ!

 はよiphone se届けや!

2016年02月01日(月)

[][]酔

 管巻きバプテスマ。この深刻さをどうやって解決するのか。というのも、俺が青春のうちに設立したはずのこのブログが、酔っ払った時に書き込むだけのしょうむない空間と化している事実。こんなはずではなかった。かつての自分への贖罪。どれだけ落ちぶれても精神世界同然にこの世の中を扱えて、酒や麻薬などの力で自分の実存が揺るがされるなどと想像だにしなかった時代がありました。もっぱら、今は酒の力によってしか、この程度のまとまった文章を書けなくなっている、むしろ、書くモチベーションを維持できずにいる。どうだっていい。本当に、この管巻き、どうだっていい。まさに、「しょくざい」を入力するのにお前はどれだけかかったんだ? 手元がおぼつかなく、入力したいキーをひとつ入力するたびに、体感では、2回に1回のペースで、余計な衍字を繰り出している始末。入力の衝動と、入力の実現性、もしくは正確性、をトレードオフにして、俺はこのブログを書いている。情けないといえば情けない。脳に身体がついていかない。脳の陽気さが、身体を操って、その陽気さに任せて、いろいろなことをここに記述しようとしているが、その陽気さを産んだ脳はいいが、身体に対して、アルコールが為した所業は、かなりの手もとのおぼつかなさであり、このトレードオフは原始時代を彷彿する。なんでだ。平易な言葉で表現するなら、酔っぱらいでもしなければこれほどの長文を書く気はしないということだ。なぜか。むしろ、なぜ、昔は無償の長文をここに綴ったか。それは、パトスによるものである。パトスでのみ、衝き動かされる時代というものがあった。思いのままに行動し、それに殉じる覚悟を常に持っていた時代があった。ああ、タイプミスが著しい。キーボードで入力をおこなうことが必然である時代に生を受けたことが少し口惜しい。この機会の喪失に乗じて、より有用なことを言えればよかったのに。ノイズ。思いのままに行動し、それを公表し、安定していた時代があった。フェイズが変わったのだろうか。うーん、なんか前に提起したような気がする問題なので、この辺で終わっておく。酩酊状態にあっての入力が困難であることが、文量の現象に繋がったことはテクノロジーの敗北を予感する。特に諸君らに共有しない。

2016年01月28日(木)

[]権威

 たかがゲームで、たかがゲーム実況で、たかがまとめで、金が稼げることを「ずるい」と感じるのは、単純に権威がないだけであり、その権威は、自然発生したものとマーケティングによって人為発生したものの区別は、表面的にはつかないもんだなあ。将棋ポーカーもたかがゲームだが、権威がある。将棋棋譜格ゲーもフレームごとに区切ればローグライクみたいなもんだから棋譜として書けるし、小説も文字の組み合わせで紡がれている。ならどれも無限の猿定理で再現可能なわけだが、その会心の組み合わせをなんかよく出してくるのがトッププレイヤーで、そのすごさを支えるのが権威。でもその権威には人々の感動が少なからず添えられないと、すぐに破綻する。また、実際にすごくなれる、つまり、ある特定の資質を備えた人物でないとその組み合わせを軽々には、あるいは有限時間内には繰り出せないという制約も必要で、例えばスロットや宝くじで引きがすごくても尊敬されない。まとめブログに権威が宿らない(叩かれる対象になる)のは、プレイヤーがそれぞれの損得に基づいて行動しているばかりで、権威を保とうとするプレイヤー、あるいはデザイナーが存在しないからだと思う。もちろんポーカー将棋だって、PokerStarsなりカジノなり将棋連盟なり、そういう集権組織みたいなチューナーも、総体としては自らの立場に則って、より得になるように、プレイヤーじみて行動しているだけだと思うのだが、「そのロールを担っている」、いや、「そのロールを担うプレイヤーが存在する」というだけで、うまく権威を錬成する相互作用がはたらく。しかしまとめブログには、そういうロールを担うプレイヤーが自然発生しないし、しにくい。公務員がそれほどまでにいい目を見ていると思うなら、アンタも公務員になればいいじゃない、という論理と同じ構造で、まとめブログを作ることがそんなに楽して儲けてるだけなら、アンタもまとめブログを作ればいいじゃない。と言えるのに、なぜアナタは作らないの? 作らないんじゃなくて、作れないんだよね。ということは何らかの技能あるよね。というところで、まとめブログにも技能は必要であり、その結果金を稼いでいるわけで、偉大なる発明で金を稼ぐ偉人や企業と構造的には何も変わらないわけだが。という部分を時に人は「無視」する。この「無視」のされ具合が、権威を構成するといって差し支えないだろう。あなたは羽生善治のように将棋を指せない。あなたはまとめブログ作者のように記事をまとめて集客できない。この間にある受け取られ方の違いは、権威の存在に他ならない。と思う。何を言いたいわけではないが、なんかこの動画見てたらそんなことを思った。

D

2016年01月06日(水)

[][]少量

 はてなのヘッダ、いや、はてなダイアリーの一番上のヘッダのバーって、スクロールに追随して付いてきてなくないすか? という枕詞から始まりました、2016年一発目の悠久バプテスマ。遂にはここは、俺が酔っ払った時にくだを巻くだけの場となりつつありますな。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。ヘッダのバーの話をしたのは今回が最初じゃないような気がしないでもない。笑点の出演者は、間違えて同じ入りをやったことはないんだろうか? あんだけ長くやってると、一回ぐらいまったく同じことを言ったパターンとかありそうだけどな。

 業務的な修羅場を乗り越えて、やって参りました。新年。謹賀。年末にWindowsPCがぶっ壊れましてね。もう20年来ですかね、WindowsデスクトップPCと共にない年末というのは。速攻で注文しましたが、年末年始休暇の憂き目に遭いまして、もう1週間できかないほどMacBookAirで過ごしてますが、それもようやく今朝に、注文していたパソコンが届くようです。よかった。早くしてくれ。Gabage Collectionの新曲をアップロードしたいんだよ。あらゆることが制限されていて辛いです。ゲームもできないし。Windowsが強い理由のひとつですよ。Macじゃあ、フリーゲームのひとつもできやしない。Airなもんであんまり性能がよくないから、Flashゲームぐらいしかできやしませんよ。中に誰もいませんよ。文化的に縮小している感じがするよ俺は。やはりキーボードマウスと複数のディスプレイがないと、生きた心地がしない。相当のことをPCに依存していたんだなあ、俺は。もはや家にいてPCに触れ合っていない時間がほとんどないですからね。最近じゃあ、宮崎章夫のサーチエンジン・システムクラッシュという小説を久しぶりに読み返した時ぐらいですかねーコンピュータデバイスに触れていないの。あれはいい小説だ。雑談してる時に、話題が話題を呼んで、あれえ、もともと何の話をしてたんでしたっけ、みたいなノリで池袋をウロウロするだけの、リアルな小説だ。なんちゃらっていう喫茶店で待ち合わせしてたんだけど、どこにあるのかよくわかんなくて、104みたいなところに電話して、なんちゃらって喫茶店はどこにありますか、って聞いたら、なんか元の喫茶店の名前と似てるけど一文字違いの店の場所を教えられて、まあしょうがないから行くか、と思って行ってみたら、全然関係ない人たちがいて、そこでそれなりの出来事があって、元の待ち合わせ相手との話と関係なくなっていく……と思いきや、途中で関係があったりして、みたいな、ほんま雑談してる時の話題みたいに、あるいは、猫が目の前のものに飛びつくみてえな感覚に塗り潰された小説なんですけど、やっぱりいいねえ、こういうのは。世の中のランダム性を象徴してくれてるよ。こんなもんなんだよ、世の中とか。とどのつまりは。ミクロには。まあそれはいいとして、この辺にしとくね。明日は午前中にPCが届くからね。

2015年12月14日(月)

[][]師走

 悠久バプテスマ定期。何ヶ月かに一回、書きたくなる。それはどういう周期なんでしょうね? 基本的には酔った時だが、酔った時が書きたくなる時の必要十分条件ではない。この辺が確定的に明らかになるまでが科学の務めじゃあないかい。俺のしょうもない機微ひとつ分からないで、どうして大手を振って真実を探究できようか。あるいは、俺の機微など芥。おー迷子。世界は俺に関心がない。

 んな戯れ言はどうでもいい。最近、オートマティスムに関してはめっきりやる気がなくなっちゃったね。意味付けを求めるのが人、意味を求めるならやるべきはオートマティスムではない。俺も歳をとったか。もともと、俺は別に大衆を逸脱できてはいないんだ。ちょっとばかり、常人の域を超えた執念、あるいは能力がちょこっとだけあるだけで、重力の矛先はどうしたって、凡庸な水準さ。悲しいね。悲しいかな。今日はね、糖質オフのハイボールを買ってきて、チビチビ、そいつを舐めながら、舐めながらってレベルじゃないロング缶を呷って、任せるがままに眠たくなり、電気を消してしばし経ったが、なんか寝はせず、呑み足りないと、布団を剥ぎ、ウイスキーを開けて、グラスに氷を注いで二回戦というわけ。そんで景気づけに、散文さ。安上がりな趣味さ。無料の倉庫に、益体のないアスキーをぶち込むのさ。んであなたがたがこのしょうもないアスキーをせっせと眼球から網膜に焼き付け、脳に処理させてるのさ。ざまあみろ。俺のしょうもない文章の解読に、カロリーつかってやがるぞ。損益だ。ざまあみさらせ。へへへ。皆様方のダイエットに貢献じゃ。

 何だってできるぞ。何にだってなれるぞ。ここでは俺の独壇場じゃい。次のセンテンスが何になったっていいんだぞ。俺は3兆円持ってるぞ。やったぜ。すごい世界だ。何だってここでは実現できるぞ。ややこしい、現実でのプロセスなんて、ここでは存在しないぞ。実際に3兆円持とうと思えば、すごい手続きが必要だ。抽選も必要だ。それがなんと、ここでは俺は何の制約も受けないぞ。受けるとすれば、それは言語の制約だけだ。ヴィトゲン……なんとか? お前は正しいよ。俺は自由な世界でも、想像力を言語にだけは規定されているぞ。口惜しい。悔しい。やりやがったな。俺を言語で制約しやがって。言語でしか物事を考えられない身体にしやがって。ディスコミュニケーションでよかったんだ。コミュニケーションさえ企図しなければ、俺は言語の制約から自由でいられたんだ。イラレなんだ。フォトショじゃないんだ。ほら見ろ、駄洒落に走るのも言語の制約だ。言語の近所付き合い。どうでもいいレトリックで俺の思考が邪魔されたぞ。これだからいけない。現世に縛られているぞ。どこかに拠り所がないと人はもたないんだ。それは大事なものなんだ。恋人だったりするんだ。自分以外の領域こそがそれになり得るんだ。それを、この自由さで代替しようっていうのが俺だ。何にだってなれるはずだった。頭の中ならどんな世界も展開できるんだ。そこはフリースペースだったんだ。それがどうだ。コミュニケーションできるような窓口のために、言語を覚えて、他人と交信できるように最適化したせいで、俺の自由な領域まで言語で統一してしまったために、想像力に制約が加わっちまった。社会が悪い。俺というより社会が悪いとはたろちんの弁だ。君は正しかったよ。

 一段落してしまって、オートマティスムが途切れた。しかもけっこう変換ミスが多くて、いまいち疾走感がなかった。これも制約だ。言語の制約の上の入力の制約だ。それを修正している間に、酔いってのは覚めちまうもんさ。限界だ。貧乏人の入力デバイスの限界だ。もっと金持ちなら、俺のこのぶつくさを、速記してもらうんだ。一流の速記スキルを持つ人を、法廷から引きずり出して、俺のこのひとり酒の席に連れ込んで、この能のないクダを、正しく書き取ってもらうのさ。そして、この人何言ってんの、頭逝ってんの、と韻を踏みながら軽蔑されながら、誤記してもらう。俺の懊悩を、俺の熱狂を客観的に見た妥当な解釈で、俺からすれば誤記となる表記で、俺の独り言ちを書き取ってもらうわけ。それは何の意味もない産物だね。誰得だね。でもニコニコ公式生放送の中での談話なら、それは全文が文字起こしされるのさ。

 なんか冷めた。この具体的なキータッチの感触を味わうだけのために、俺はブログを書いているのかもしれないね。もう低糖質のつまみは食い尽くしたから、素飲みなのだ。これは酔うよ。しこたまね。でも俺は俺の無限の可能性を信じている。俺の中に、無限の可能性もなければ、なんだ。どうだっていいじゃねーか。俺はどうしてこの世界に固執しているのだろうか? 親切心じゃないかな? だって、この世界を人質にされるようなことが何にもないんだもん。効力がない。分かりにくいよね。具体的に説明するか。まあ、愚痴だが、俺は特に守るべきものも何もないわけじゃんか。つまり唯我なわけじゃない。とすると、俺の中にしか世界はないわけでしょう。俺がたまたま訳わからん幸せ物質を、脳で分泌すれば、どうだってなるわけじゃん。ということは覚醒剤とかやってラリってたらそれでいいわけやん。そうしないのは、俺の親切心。道徳さんが目配せしてくるから、まあ、そこまでやるでもないか、っつって、普通に真っ当に、社会の流儀に則ってやってんだよ。ほんと、親切だと思うよ? なんか空気的に、そうするのがいいようだから、まあそれを破ってやるでもないか。って感じで、法律とか守ってるわけやんな。いえーい最高、みたいな、中島らもとかみたいな感じで、俺が最高を追求し始めたら、しょうがないわけですよ。でもそこを押して、なんか他人から金とか払ってもらって、トレードの対象になるような働きをですね、この世の中で営んでるわけだろ。良すぎる。善良すぎない? この価値観、分かる? 尊いと思うよ。たっといしとうといよ。とか自画自賛してるけどあくまでもトレードオフなわけ。やりたきゃ勝手にどうぞでしょ? たばこ税払ってる人に感謝なんかしないもんね。分かってんだよ。別に俺はこんなことが言いたいんじゃないんだよ。話の流れだよ。

 mozell先生の音楽がゴキゲンなので、俺もゴキゲンだよ。すべてのことを水に流そうよ。酔っぱらいのクダも、リアルに対面して垂れられると鬱陶しいけど、文章になるとそこそこでしょう? そうでもない? 距離感があるだけいいじゃんね。俺も楽しんでるからwin-winだよ。ここまで読んでるからには、それなりに興じてるよね? そうでもない? 答えられない疑問は虚しいね。観念的な放言に終止するからね。社会的な動静にかかずらっていられないからね、こんな気分じゃあ。政治がどうとか、いざこざがどうとか、刹那的な話題を取り上げたって、それは一過性のものだからね。この酒の勢いが、少しでも正当化されるためには、そんな浮世のスクリーンショットを相手にしても、小さくまとまっちゃうからね。どんどん本来的な話題を扱って、スケールを大きくして、人間とは、みたいなレベルにしないと、芥と消えてしまうからね。芥と消えてしまうのは必然でも、それへの抵抗として、哲学みたいなものにリンクさせることで、ちょっとでも意義あるように見せかけて、生き残りを図るしかないんだ。つまり、今の俺のこの談話が、それそのものが覚醒して、生き残りの道を模索しているわけだね。健気だね。ただただアルコールと生体の反応が重なって、活発になっているだけの、生理的な現象から生まれたこの状態の産物が、それ自体が生命であるかのように、生存を目指すだなんて、不思議というか、オブジェクティブ指向みたいだね。おっと、すごいな。ね。ね。で終止している。なんか我に返ったわ。うざい。

 前の段落を読み返してしまった。酔ってんなあ。無自覚だった。こんなに、ね。ね。とか言ってるとは思わなかった。思わず段落を変えてしまったのはそのせいだよ。思い至らないことってあるなあ。万能感あったんだけどな。万能感っって、絶対に万能じゃない時に感じるよな。いやいやいや、万能な瞬間なんてねーだろ。isBannoukanの返値は常にfalseだよ。function isBannoukan(){ return false; }だよ実装。へへっ、プログラマアピールしてみました。public function isBannnoukan(){};。普段コンパイル言語なんて書かないくせに、*.hでの宣言しちゃったよ。知らんけど。おい、ブログでもプログラム書いてんのかお前。やめとけやめとけ。それがアイデンティティになっとるぞ。お前の本分はニートだろうが。ニートになることを夢見て、生きてきたはずだ。大学生活が終わって、殺されたが、それでもニートになる瞬間を夢見て、まだ生きてるんだお前は。土曜日日曜日だけを仮初ニート期間としているだけじゃあ飽きたらないから、普通のサラリーマン辞めてまで訳わからんキャリアに首突っ込んでんだろうが。お前、面白いことしてきたっていう自負があって、なんか得意気に自分の有能性をプロダクトに落とし込んでいるようだが、そんなもん40歳にでもなってみろ、ただの、過去にいろいろやってけどパッとした成功もなく、コツコツやってきた人には大きく水をあけられた、どうしようもない中年になるだけだぞ。今の不思議な経歴を面白がってくれるのは、せいぜい今ぐらいの歳、30代前半までだぞ。そっからはもう、摩耗だよ。当然、男も閉経するんだ。今までと同じようなペースで、馬鹿やったり成長できたりすると思うな。純粋に鈍化していくし、セメントのように固まっていくんだ。凝り固まっていく。こうして努めて客観的に叱咤していく自分がいるが、実際には、この凝り固まっていくという実感だけは、ない。自分を取り巻く環境が、自分をどう見ていくことになるのかは分かる。可能性というものはさすがに、自動的に、年齢と共に閉じていく。先細っていく。それを閉経と表現していくが、実感はない。オヤジがオヤジになっていくのを実感しているケースは少ない。だから凝り固まっていくことを凝り固まっていっていると自覚していないということは、傍証のみをヒントに感づいてはいく。でもぜんぜん実感はない。かつて、俺は親に「あんたも大人になったら分かる」と言い含められたことがたくさんある。でも、30を超えてもそれが分かることはなかった。この経験は大きい。ただの反抗としてではおそらくなく、お前の言っていることはやはり非合理で承服しかねたわ、という事柄がこの歳にしてもまだたくさんあったので、やはりあくまで俺の判断は妥当だったわ。という経験が大きく作用し、いや、人間やっぱり質と思考と自我と論理で、年齢で自動的に閉経していくとかないっしょ。という信仰は根強い。しかし、俺が明らかに優秀だと思っていた人が、いざ面と向かってコミュニケーションをとってみると、こいつ、年齢と共に閉じていってしまったんかな……。という判断になり、しかし無碍にできないから、あはは……まあそうすね……みたいに調子を合わせた。というようなケースがいくらかある。それはこちらをナメているから現れた適当な態度と捉えることもできるが、確実に、年齢による衰えから、凝り固まって、示唆に富まない反応を示している、と捉えるほかないだろう。かつて凄かったおじいちゃんが、例えば「youtuberってのは感心しませんな」みたいなことを言っていたとして、我々から見れば、あはは……じゃないですか。彼らyoutuberなんてのは、単に時代や運に愛されたわけではなく、独自の戦略を企てて、それが見事にヒットした、紛うことなき実業家なわけだ。でもその機微は分からずに、感心しない人もいる。その事情を知ってる我々から見れば、あはは……となる。所詮、自分が引き寄せられる経験則に照らしてしか、語れないんだよ、人間は。どの世代も。人間、世代ごときの差異では、優劣は生まれないと俺は思う。つまり、ゆとりもクソもねえんだよ。環境の差異、時系列の差異ぐらいしかなく、集団になった時、世代ごときでは能力的差異はない。ユダヤ人とそれ以外でさえ、能力的差異はねえと思うよ。ただ、環境の差異。後天的な差異だけがある。だから、それぞれの世代で、それぞれの、同等の能力にしたがって、似たようなアルゴリズムで探り当てた最適解に至って、似たようなパラメータの振り方をしたと思うんだよ。先代は、その世にコンピュータなんてなかったから、コンピュータにパラ振りようがなかったし、振らなかったから、機械音痴が多いんだよ。別に俺らの世代の先天的優位じゃねーよ。んで、そのコンピュータに技能値振らなかった世代が、初音ミクが馬鹿みたいとか言うのは、いいんだよ。まあそこは別の議論もあるが、当時なかったものを排斥するというか評価しないのは、妥当な一反応なわけだ。でも、それが、パラ振ってる者からすると、無用な毀損だとも思うわけ。ああ、そのパラ振れてないから、コンピュータなかったせいでコンピュータ技能振れなかったという環境の経緯があるせいで能力のせいじゃないけど時代のせいで、そういうステータスになってるから、この良さが分からないんだ。と、同じく時代のせいでそのパラ振れてる人からしたら、順当でない評価だなと映る。これが閉経だよ。もう経験を凝り固めて、その行使を粛々としていく形態になった年代というのは存在し、学習コストを意図的に閉め出し、判断をズンズン下していくモードになるんだ、年を経ると。そのモード担った時、柔軟性を失うのは、当然なんだ。これが閉経。もう、今更、時代に適合することを失う。あくまで柔軟な人はいる。将棋界の福崎文吾さん、この前の、叡王戦という、コンピュータ将棋と対戦する棋戦で、解説で出演してた人で、全くコンピュータに触れてこなかった、もう御年60近い、ガチンコのアナログ将棋世代の只中という人だったが、この人がコンピュータ将棋に言及した際のその内容は、「コンピュータ将棋は、大昔から遅々として人間による進化のみで発展してきた将棋の世界に、大きな変革をもたらした存在で、面白い」と肯定的な感想だった。これは凄いことで、普通であれば、内藤國雄氏のように「人間の方がいい」みたいなことを言うところだが、アナログ只中の時代で経験が築かれたにしては、かなり柔軟というか、経験による凝り固まりを埋め合わせるような優れた感覚といえる。しかし、それでさえ、かなり稀有なことだ。これが稀有である、ということだけで、凝り固まることの恐ろしさが分かる。そんな風にはなれない。年齢による自然な経年劣化に抗うには、並じゃない。ちょっと能力があった、ごときでは、容易にこの経年劣化の潮流に飲み込まれて、老害と化す。それが加齢の恐ろしさである。自然に、柔軟に振る舞っているつもりでも、周りから見たらいつの間にかお爺ちゃん、みたいなことになるのだ。容易に。怖すぎない? 20代後半の諸君、これはマジだぞ。多いだろ、ここまで読んでる20代後半の人。これ、容易じゃないと思うぞ。これ、俺の一種の遺言だよ。飲まれる。若い感性ではいられない。そうして失われるものは多大なんだ。怖すぎ。

 疲れたので終わる。いっぱい書いたね。6000字超えたらしい。またな。