AUスマートパスは私のようなにわか旅行家にはいいかも

年に3〜4度は海外には出るので 人より多いのかと勘違いしていた時代もありましたが 周りを見ると 全然そんなこと無いなと思う今日この頃名わけです。
私の場合ほかの方ともっとも大きく違う点は 
まず、言葉がしゃべれない。
これは現地語とかいうなまっちょろい話ではなく日本語以外は話せないというちょっと心細い条件なのがひとつ。
もうひとつは、旅行とは・・・のせかいですが 比較的目的を持ってゆくことが少ないので
ほとんど行き先に対して調べものをしない。
という どうにもならない性格が災いして いろいろとトラブルを起こすことになるわけです。
 
例えば・・・
韓国にいったときの話です。
今まで4度ほど行ったのですが うち二度は個人的に行ったのです。
一度目は人に宿の予約をお願いしたのですが その方の知らなかった事実に 同じ宿なのですが新館ができていて まったく違う場所にあったことなのです。
地図を見ても 永久にたどり着くはずは無いのです。
宿から帰ってきた予約メールには 近接した駅が。
地図は異なる駅名からのスタートなので その間にまったく何の関係性も無いわけです。
永久にたどり着かなかったわけです。
二度目は、前回の失敗を覆すべく 自分で宿を取って出かけるわけですが
駅から5分となっていたので、地図なんか用意しなくても大丈夫と高をくくってでかけて 今回もたどり着かなかったわけです。
両方とも、日本語で話しかけて 最初は配達をしているおにいちゃんが、二度目はインテリそうなサラリーマンが 宿に電話してくれて何とかたどり着くこととなったわけですが 治安の悪い国であればどうにもならなかったわけです。
未だ書いてないですが 今回出かけた中国深浅でも わずか1cmぐらいと駅からホテルまでの地図を見て 安心して出かけたわけですが ついて駅で地図を見ると わずか1cmなのですが その距離は500m+ぐらい。
もちろん、困難短い距離はタクシーで行くこともできません。
駅前なので、太い道路が(バスが進入し タクシーが多く入れるよう)走っていて 道を渡るのも簡単にはいかないところで 道そのものが印刷されていない地図なので 方向以外はまったくわからないという素敵な地図でした。
ホテルが1件しかないところであれば それなりに何とかなるのでしょうがホテルの密集した地区で なおかつ客引きがびっくりするほどたくさんいて 雨がじゃんじゃん降ってて傘を持ってない私という非常に困った事態に追い込まれるわけです。
まあ、そういった素敵な思い出が少なからず行った国の多くであるのは 言葉が通じずに調べないという自分の性格によるものだろうと思うわけです。
それでも、新しい国には何かあるかもしれないと 毎年何とか理由をつけては出かけて行ったりもするわけです。
 
まあ、当たり前なのですが
多くの私の知っている お出かけ好きな方々は まず、英語ぐらいはとりあえず話せる という大前提の上に
うまく言えば好きな国があって 片言ぐらいその国の言葉が話せる。
そうでなくても よく調べていて 行き先への交通手段などは わかるようにされている。
もちろん、片言の挨拶ぐらいは何とかなるようにされている。
など、旅を楽しむための手続きを踏んでられるのですが そのあたりが私に欠落している部分。
とにかく、新しいところ見たことの無いものを見たい 以上の感覚が欠落しているので 後は電話とか見たいな程度なので 全然なわけです。
フィリピンは治安が悪いので どうしようかな?というのが今の感覚なのです。
 
先日、電子辞書を借りて使ってみたりしたのですが やっぱり まったく言葉ができないとよしあしすらわからないというか どのタイミングでどの言葉を出していいのかもわからないわけです。
もうひとつ、出かけるにあたり 切符を買うのに会社の人に中国語で8ワードほど 切符を買ったりするのに出せばわかるという単語を書いてもらったわけですが その単語のなかの一つが相手に通じなかったようで「窓側」という単語だったようなのですが このあたりで苦労するわけです。
じゃあ間違えているとなったときにその先の展開が無くて困るわけです。
ゆえに、こういった固定式なものでは 生きた会話にはなりようが無いわけです。
というか 生きて帰ってこないとだめなので それで困ったときには いつもどおり身振り手振りが有効なのがいつものパターンとなるわけです。
 
先日来、AUのSmartPathというサービスを利用しています。
これは月々の定額で 500本以上のアプリが有料のものも含め利用可能になるというもので 月額390円という価格も魅力のものです。
もともとは、子供にAndroid SmartPhoneを持たせるようになったのですが アプリケーションをいれずに使うSmartPhoneは結局使えないに近いもの。
しかし、購入となるとクレジットカードを紐付ける必要があるし キャリアの課金を使うにしても 変なことを覚えさせて 際限なく使っても困るというところで
こういった定額サービスがはじまるということもあったので 進めるためにまず自分で・・・・ と入ったのがきっかけなのです。
子供向けには モンハンをはじめアスファルト5などのゲームは充実しており その範囲をわかるようなサイトもあり なかなか親が子供向けに提供するにはよいサービスだと思っているわけです。
無料オンラインゲームとかに行かれるよりはずっと健全なわけです。
まあ、お父さんも子供に話をあわせることもあり そのまま加入し続けているわけです。
 
仕事で、海外の商品を見たりするときに キャッチフレーズの英単語がわからなかったりして(そこからか!って言われそう)調べるのに便利なので 英和辞典を入れたのですがこれが便利。
てなわけで まあ、一年分は元を取ってるので(買うと高い)それはそれでいいかという使い方なのです。
で、先日中国に行くときに さすがに不安がいっぱいだったので(そのあたりも書きたいのですが・・・PCが壊れていて お休み中の宿題が増えてゆく)何か無いかと探していて 行き当たったのが「指差し中国会話」というアプリケーション。
「旅の指先会話帳」というシリーズの書籍のAndroid向けアプリケーションで 書籍と異なるのはAndroid本体がしゃべってくれることです。
スマートパスには Basicという基本会話パッケージと Bussinesというビジネス向けの会話集が入っています。
そういえば10年ほど前にメキシコに言ったときにこの書籍を見たような気がします。
最大の特徴は 絵入りで書かれた 書籍となっていて いざとなればその絵を指差せば絵で相手にもわかるという点でしょう。
おかげさまで身振り手振りが流暢なもので、幸いにも使う機会は無かったわけです。
しかし、いざというときにあればどれだけ心強いかということぐらいはわかるわけです。
で、今回フィリピンに行くに当たり 念のため・・・と調べてみるとフィリピン版もあるのですね。
おもむろにダウンロードしたわけです。
 
調べてみると、このアプリは1本700円。
出かけるたびに入れたり出したりして使うとして、大体二月分で1本となるわけです。
ほかの端末に移せないのが玉に瑕ですが それでも自分の持っている端末ということなら使えるわけです。
行き先にあわせてダウンロードして使ってというのなら これはなかなかいいかもって。
もちろん、時事問題は刻々と変化するので もっとも最新の子の書籍を使えるということで そういう便利さがあるわけで
実は結構安心感が増したわけなのですが
スマートパス自身は月単位で入ったり出たりできるサービスなので 旅行のときだけという使い方でも なんて
にわかで調べない私に向けた・・・・なのかもしれませんね
written by HatenaSync

そういえば、昔 家の階段の足元にはケーブルカーが走ってました

今日、いつものように家を出たのですが 地下鉄の駅に向けて歩いていて あまりにも天気が良いので近鉄電車で行こうと歩く方向を変えたのです。
何が違うかわかりますか?
今里という駅からなのですが、地下鉄今里は言葉通り地下からスタートなのです。もちろん到着するのも地下なのです。
近鉄線は 高架からスタートなので 二階相当ぐらいの高さからスタートして鶴橋から上本町六丁目に行く途中で地下に潜るわけです。
日本橋に行くには わずかながらお日様を浴びながら出かけることができるわけです。
勿論、電波も届きますから(笑
 
駅に着くと、いろいろとゴールデンウイークを目指した広告があったわけです。
で、見ているうちに なんとなく行きたくなるわけです。
方向を180度変えると近鉄線は生駒の山の方向に走ってゆくわけです。
まあ、普通電車でゆっくり行くならなので一駅動いたところで乗り換えて そのまま生駒まで行くことにしたわけです。
と言っても快速急行にのるとわずか20分の距離なのです。
そちらに向かっている間に思い出したのですが 奈良川から生駒山に登ると 途中に「宝山寺」というお寺があるのですが その境内に名物の「草餅」があることを。
昔はもちろん 生駒の駅から歩いて登ってゆく最中に 一休みと休憩するのに途中でその境内に入ると 休憩ができるわけです。
思い出したら妙に行きたくなったので ケーブルカーに乗って出かけることにしたわけです。

なぜ、こんなことに思いをはせるかというと
むかし、小学校のころに自宅の 木造の古い古い家の木の階段の 手すりの下側に模型のケーブルカーが走っていたのです。
以前書いたかもしれませんが、子供のころはむちゃくちゃ貧乏な生活をしていました。
この当時としてもかなり貧乏な生活をしていました。
その際に、私のおじいさん(まあ、貧乏の原因の多くを担っていたとあとできるのですが そういう自由な生活のお爺さんのほうが子供は好きですよね)が作ってくれたのがこのケーブルカーだったのです。
Hoゲージという模型ぐらいのサイズで 全部がフルスクラッチです。
列車本体は ブリキの板で作られていて 真鍮の加工を私が生まれる前まではやっていたので その部材のあまりかなにかの部品と、模型のHOゲージの車輪などを組み合わせて作られていたようです。
ケーブルカーというのは ほかの電車と異なり実は列車の中には全く動力はついていません。
ケーブルカーの山側の駅にモーターがあって 両方の列車をワイヤーロープでつないで 片方が下がれば片方があがるという仕組みになっています。
線路が日本あるとよいのですが、それは勿体ないので 線路は真ん中部分以外は 単線で 真ん中で左右に分かれるように作られています。

これは実際のケーブルカーの線路ですが ポイントはついてなくて両方の車両の外側になる側の車輪に本来列車では脱線止めのためについている 車輪のつばの部分が外側にもついていて 外側になるべき線路に沿って走るようにできています。
ゆえに 右側列車と左側の列車はポイントの切り替えなしに交差することができるわけです。
もちろん、階段についていた模型も同じ仕組みで 内側にしたつばの無い車輪の外側には ブリキ板で作られたつばが車輪に半田付けされていました。
色は青だったり、茶色だったりと二度ほどモデルチェンジしてかっこ悪い色だと当時は思っていたわけですが 子供のおもちゃのためにわざわざペンキを買ってくれることも出来なかったのでしょう、何かのあまりのペンキだったので色のことまで気が回らなかったのでしょう。
 
モーターは小型の模型用のもので十分動きます。
実は両方の車両は同じ重さにできているので 乗客の差分だけ重さが違うだけで 後は動きにあたるこすれる分の運動エネルギーを与えてやるだけで動くという非常に省エネなつくりになっています。
今のエレベーターなどもそうなっていて カウンターバラストといわれる重りとエレベータのかごプラス数人の重さが均衡するようにできていて そのかごをモーターで引き上げることで1トン近い重さのある籠を比較的軽く上下動させることができるわけです。
昔、高い塔の展望台行きのエレベータなどは 二台を直結したつくりのものもあったそうですから。
電源は、子供が抱えるほどの大きなトランスが家にはあって それにせれんという半導体でできた整流器で直流化し、トランスで5V〜18Vぐらいまで可変できるものがもの語ごろついた頃からおいてあって(手作りだった)それを使いました。
車両も手作りで、ワイヤーロープを線路の真ん中の滑車に通して車両を上下させるわけですが 本物でない分軽くて このワイヤーがあっちへこっちへ暴れるので 気がついたら脱線なんて日常茶飯事。
また、小学校に上がるかどうかの子供が 階段を走る車両を追いかけるわけですから 何度か勢いあまって自分が滑落したこともあって なかなか動かしては見せてくれませんでした。
今考えたら 私でも子供が階段で遊んでいるのを見るのは怖いですし だいたい階段を使うたびに広くは無いわけですから そんなものがあったら邪魔でしょうがないわけです。
よく我慢して遊ばせてくれていたなと今でも思います。
そして、それを飽きるほど見たら 本物が見たくなって生駒山まで連れて行ってもらったわけです。

ただ、前述したとおりあまり裕福ではなかったので おそらく生駒までの電車代もままならず、途中の枚岡なんて駅から山越えして頂上の生駒山のケーブルカーの駅まで見に行くような状態でした。
と、いうのは生駒山を越えると 今の新阪奈道路でもそうですが 山を突き抜ければ10分足らずで大阪からならに抜けれるわけですが 山を登って降りると30分以上となってしまいます。
近鉄電車はその山を抜けるトンネルを作ったことで ほかの電鉄会社に比べて圧倒的に早い時間で奈良と大阪を結ぶ移動手段を提供したことで大きくなった会社です。
このトンネルには多大な価値があって、ゆえにこれを通るかどうかで電車の料金が大きく違ったわけです。
当時はケーブルカーに乗るのも高かったので どうせ山の上から見れるからと 大阪側から上ったんだと思います。
ただ、山登りも十分楽しいので 子供の私としては喜んでついていったわけです。
 
久しぶりに生駒の駅に降り立ってみると 昔の登山道の入り口というより ショッピングモールのある大きな駅という感じになっていたわけです。
ともあれ、子供時代には枚岡駅にしか行ったことがなかったわけですが この駅の周りには山に行くまでに両方におみやげ物や産が並んで たわいの無いビニール風船のおもちゃなどが並んでいて子供心はときめくわけですが 最後まで勝ってもらうことは無かったわけです。
これも今思えばなのですが 当時でも500円とか1000円とかして 電車代が100円ぐらいの時代に高すぎるおもちゃではあったわけです。
枚岡から生駒までの電車賃を削ろうかという親に無理なお願いを何度もしたと思うと 子供って残酷だなと思ったりもするわけです(自分のことだけど)。
そこから 全時代的なゲートをくぐって

昔も今もあまり変わっていないだろう 乗車料金は今となっては山登りするならと考えると十分安いもの

ただ、驚いたのは車両が・・・どう考えてもブリキ板を曲げては出来ないレベルになっていたこと。

これはにゃんこさんだそうです。
 
宝山寺という駅で一旦乗り換えて 生駒山上まで・・・・というのは実は目的ではありません。
生駒山を登る話を先ほど書いてますが いつもいつも大阪川から上るので 山の上でとまることが多かったのです。
つまり上りきったらもときたほうに帰ってゆくわけです。
それでも、余力があったときに 山を越えてそのまま奈良側にずんずん進んだ事が数度ありました。
そして 山を降りる方向に行った途中に 宝山寺というお寺があって そのお寺の境内で休憩した記憶があって それをさかのぼりたくて・・・
お寺の名前は実は覚えてなかったのですが ケーブルカーの止まる駅としては覚えていたのでここで間違いないわけです。
今日は、そのお寺までが目的です。
と、いってもお寺そのものが好きなわけでもないので どちらかというと食い気のほうの話。
 
駅を降りると、降りたことも無いのでびっくりなのですが 寺に行く道の両サイドには旅館が軒を連ねて お寺までに20件近い旅館があるわけです。



今でこそ閉まっていますが あちこちはもともとお店だったような佇まいです。
坂はかなりきつくて、ここで暮らすのはつらそうなレベルです。

交番もいい味を出しています。

 
山道を登ると大鳥居があって



お寺の中に入ります。


で、このまま上に上ると・・・・・なのですが 目的はそこに無いので 私はここどまり
 
目的はここ

名物 草もちなわけです。
思い出・・・といっても最後に言ったのは20数年前。
実は味なんか覚えてなかったのですが なんとなく記憶に残っているわけです。
ここで売っている草もちが名物なのですが 実はここで食べることも出来るのです。
細かい注文は出来ないものの 一皿にそのときしだいですが今回は草もちひとつと桜餅二つで400円という価格で食べれます。
お店は もう前に来たときにおばあさんだったと思うのですが 今見ても十分おばあさんで同一人物なのかどうかわかりませんが お店を見る限り時は20年前から進んでないように思われます。

という訳で お願いしたのは一皿。

お茶は ぶんぶく茶釜か!と突っ込みたくなるほど大きな茶釜にずっと火にかけられているもので 小さなやかんに注いでもらって自分で湯のみに入れて飲みます。
で、お茶代は お心づけを・・・と書いてあるので 100円だけ入れて 甘いものとセットで500円という形としました。

この日は もうじっとしていても日がさすと汗ばむ天気だったのですが
ここの日陰に入ると 風が強かったこともありスーッと汗が引いてゆきます。

もうこのセットでその雰囲気が十分伝わると思います。

もうこれだけで十分堪能してきました。
 
実はここまで 大阪から15分ほどで生駒までやってきて 10分おきに走るケーブルカーで約5分ほど。
そこから徒歩10分以上かかったのは 体力の関係でしょうか(笑
つまり約30分で大阪の市内から そのままこの空間にたどり着くわけです。
まあ、歩くという意味では少し物足りないかもしれませんが 気が向けば生駒から歩けばここまでたっぷり一時間とちょっとぐらい。
実は、上の駅から見通せば下の駅まで見えている距離なのです。

それだけの景観つきで 500円+ケーブル代で味わえるわけですから ホテルのトップラウンジでスイートをというのとコストはあまり変わらないわけです。
実は奈良に向かう龍脈の上に立つこのお寺は どちらかというと神社かと思わせる場所にあるわけです。
 
ただ、もう誰も訪れないのか十分寂れていました。
写真を撮るにも、歩くにも 結構よい距離で 疲れたらケーブルカーも使えるという絶好のロケーション。
鳥居のそばには近代的なというか どこにでもあるおみやげ物や兼のコーヒーショップも。
で、そこには人が3組ほど入っていて 私がここに来て30分以上でしょうか くつろいでいた時間私イガにお客さんはいませんでした。
おいしいかと聞かれると これは個人差の世界
と、言うのはここまで歩いて体力を使ってくればおいしく、そうでなければというのは 少し癖のある味なのです。
昔から営業しているのでしょう ここまで歩いてくること前提なので 少し塩が強めなのです。
でも、ここであったかいお茶 おそらく柿の葉茶か何かの感じのお茶と合わせると なんともいえない風情なのです。
こういったところがあまり混んでいても興を削ぐわけですが あまりにも人がいないと なくなってしまわないかと心配になるわけなのですが・・・・

written by HatenaSync

香港・中国(お仕事)三日目の夕方〜夜

もうだいぶ前の話にはなるのですが 書いてないこともあるので自分の記録も含めて・・・・
 
しゃむすいぽーに行くのが残念ながら 香港の最後。

旺角に戻りホテルに預けてあった荷物を拾って そのまま旺角東からそのまま中国本土に入ります。
でも、この辺りからがけちのつきはじめとなるわけです・・・・
 
まず、ホテルに着いたところで もう動けないぐらいに足がへたへたになっていました。
私の足は巻爪で、一応出かける前には手入れをしてい出かけるわけですが それでも前日持つことは少ないわけです。
この日はいつもより多めに歩いたので 人に言える話ではないのですが 足がじゅくじゅくなのです。
勿論、汗をかいたりもあるわけですが それ以上に足に爪が刺さって 血まみれというのが正しいのです。
穴が開くだけではなく 件の理由で靴下が継続的に使えない・・・ということもあるわけです。
まあ、どこから血が出るかはわからないので 血が出るまで対処もしにくく 一度血が出てしまえば あとはバンソコウなり対応が取れるのですが 外ではできずホテルの部屋に行くその火が一番つらいわけです。
Twitterでもしきりにこのころ辛いとうごめいてます。
 
ホテルで荷物を受け取って タクシーに乗って・・・と思ったわけですが 運の悪さがこの辺から出はじめます。
ホテルの前の道路が前日から工事中で 残念なことにホテルの車を止める場所に車が入れないような状態。
普通なら前にいつでも2〜3台のタクシーが止まっているわけですが この日には当然止れないのでないわけです。
それでも、表で拾えばと思っていると しとしとと雨が降ってくる。
雨の降り始めは危険なのです。
もともとタクシー代がさほど高くないこともあって あめが一気に降ってくるとタクシーに乗る人が一気に増えてなかなか拾えないわけです。
でも傘も持ってない私は表通りに出てがんばって見るのですが 重い荷物を引きづっている私には見向きもしてくれない。
8台ほどに逃げられて もう待っててもだめだと 旺角東まで歩くことに決めたわけです。
 
それでも、何度も通った道なので一応何かと知っているわけです。
先達廣場の前の道を東に向かって移動してゆき 反対側の道をまっすぐ行くと 歩道橋があるのですが ここで15段ほど階段を登れば KCRの乗り場まで到達するわけです。
ごろごろと荷物を引きずっている私にはこれしか選択がないわけです。
その15段の辛かったこと・・・・・
で、そこをあがってKCRのホームに出ると 行先違い。
次の電車を待って 高くはなりますがファーストクラスに乗り込みます。
荷物を横に置いて ほぼ座れるというありがたいことなのです。
これに乗るとそのままシンセンまで到達するわけです。
シンセンのLo Wuという駅まで向かいます。
ほぼ40分ぐらいで到着します。
 
実はここも慣れているわけで、ここで通関をして 中国に入国します。
香港は未だ別の国扱いなので・・・・
ここでホテルを目指して移動するわけなのですが・・・・・
なぜ、こんなところに宿を取ったのかなのですが、実はこれには意味があるわけです。
私が目指すのは お仕事で広州に向かうわけですが ここで大きな展示会が開かれるので この時期の広州の宿はとにかくとりにくい。
関係があろうとなかろうと 本当に取りにくいのです。
ましてや交通の便の良いところなど皆無に等しいわけです。
その上、一応は当たってもらいましたが 3万円オーバーなのです。
これが シンセンで宿を取ると 4000〜5000円なのです。
移動が大変では・・・なんて思うかもしれませんが ここから特急に乗れば約一時間ちょっとで広州東まで到達します。
つまり約一時間早く起きれば(駅から行先まではタクシーで20分ぐらい、おそらくこの時期取れるホテルなら同じ以上に遠いはず)一緒で1/4だという判断なのです。
なるほどと言い分に納得できるものの、個人的な辛さは解決しないのです。
 
Lo Wuの駅からホテルまでは500mと聞いていたのですが 地図を見ると方向しか書いてない適当なもの。
そこから 500mをごろごろカバンを引きながら 客引きのおじさんに何度も何度も声をかけられ 耳筋あたりを撫でに来るお姉さんの誘惑を振り切りながらというか この重い荷物を引っ張っている状態で何かしようとは思わないわけです。
約一時間かかって ホテルに倒れこむように到着します。
フロントで予約した紙を見せて チェックイン終了!!ってなる筈なのですが 予約が見つからないと言ってカウンターの女の子が焦りだす。
後ろにいた男に何か聞いているのだが、男のほうは ふんっ と横を向いて話を聞きもしない。
もう一人に聞いても同じ反応で、余計に女の子が焦りだす。
その子は英語も話せない様で、私ももちろん話せない。
何とか意思の疎通を図ろうと その少女といっていいあどけない顔が 固まり笑顔を繕おうとして泣きそうになっているのです。
見かねた奥の女性が助け舟を出してくれて判るのですが 私は会社の人に予約を頼んだのですが どう間違えたのか 止まるのは予約した人で登録されていたのです。
幸いにも書類には予約した人の名前もあったので それに気が付いた後で助けに入った女性が 私の予約を見つけてくれました。
そして、ようやく部屋に・・・・・
 
部屋についてまずするのは PCの接続です。
この辺りも確認しておいてくれたので 優先のLANがあります。
ACアダプターを電源にコンセントアダプターを経由して繋ぎ(200Vなので コンセント形状が日本と違う)PCの電源をオンすると System Diskが無いという表示。
USBに何かとか DVDメディカなんかがはいっているのかと チェックしてみたのですが そうでもなさそう。
HDDをSSDに換装したので その影響でフラットケーブルが外れたのかと 疲れた体にムチ打ってドライバーを取り出して分解を始めました。
どうも、こういったことが起きるのがIntel SSD 320シリーズだったようですね・・・・・
その場ではわからないのでしばらく 固まったままで約一時間ほど呆けていたのですが 呆けていてもしょうがないので出かけることにしました。
本体を組みなおしても改善せず(いまもSSD単体で全く動かない)そっとトランクの中に仕舞いました。
 
なぜ、出かけなければならなかったか・・・
おなかがすいていたからなのです。
もう一つ明日の列車に乗るための切符売り場を探す必要があったわけです。
そして、こうへこみだすと気になってくるのが パンツ(下着のほう)と靴下が計算を間違えたようで 足りなかったこと。
正直、シンセンの駅はぼったくられるのがわかっているのでここで買いたくなかったのですが 広州は行ったこともないので 明日買えるかどうかがわからないのが不安になってきた。
通信手段がないことがこんなにも不安なのかと・・・・
PeopleのSIMは買ってあったのですが これは従量制なので使いすぎると一晩で切れてしまう。
ここに至って 3のSIMをチャージして 一日HK$98の定額を切っておくのだったと後悔しても始まらないわけです・・・
会社に連絡して、今の状況を伝えて、明日から会社の回線でローミングをすることでクリアするようにしたわけです。
仕事がメインであるのは二日だけなので何とかなる筈・・・・
 
とにかく駅に戻って切符売り場を探す。
一応確認してもらっていた1Fの切符売り場は中国人専用。
中国のIDカードがないと購入できない。
ようやく地下に売り場を見つけて・・・・
向かいのビルはバスターミナルで ターミナルビルは21頃に閉まり始める。
何とか開いているショップを見つけて 下着を買おうとすると RMB300とぼろうとする。
3枚ずつで パッケージも肌触りも良いものだったので 高いのはわかるが(ブランド品のコピーでかなり良くできていた)それでも300は高い。
100と言いたいところだが へそを曲げて売ってくれないと嫌だな・・・と余裕の無いときは うまく買えないのである。
なんとかRMB150まで値切ったところで締めようとした店から購入した。
おそらく香港でも同じぐらいで買えたろうに・・・と
 
ホテル近くの中華料理店に入ったが 正直外れだった。
何がだめって 漢方薬臭すぎて 私には食べられない味だった・・・・
と、踏んだり蹴ったりで夜が更けたわけです。


written by HatenaSync