博士の愛した数式

博士の愛した数式

博士の愛した数式

博士の授業でもう一つ不思議なのは、彼がわからないという言葉を惜しげもなく使うことだった。わからないことは恥ではなく、新たな真理への道標だった。

 前から気になっていた本を購入してすぐに読了。数学、というか数字の奥深さを語る博士とお手伝いの母子との交流が淡々と綴られる。最後には読む者に数学の永遠の美しさが刻まれて、死期を迎えようとする博士を穏やかに受け入れることができる。

 素数の美しさが繰り返し語られる。自分の中高生時代を振り返ってみると割り切ることのできない素数は計算問題の厄介者以外の何者でもなかった。大きな素数が途中に出てくると、どこかで計算間違いをしでかしたような気がして落ち着かない。計算はうまく割り切れるのが正しい結果、という思いこみが無意識のうちにたたき込まれて来たようだ。割り切れること、イコール優等生。これは現代教育の弊害かもしれない。

 この小説では割り切れない半端な過去を背負った人だけが登場する。そして半端な素数を賛美することで割り切れない思いを持つ読者を励ましてくれる。この作品は高く評価され、様々な賞を受けている。とても良いことだ。少しもの悲しく、しかし暖かい読後感を与えてくれる作品だ。

レインマン

 頭脳の障害と天才が同居する、というモチーフはこの作品に発する。感情を表さないレインマンを演じるダスティン・ホフマンと俗っぽさ丸出しの弟役トム・クルーズが好対照。留学中にアメリカで見たのだが最後にトム・クルーズが無表情のダスティン・ホフマンに向かって延々と語り続けるシーンがよかった。映画終了後に涙が出て立ち上がれなかった。映画で、それもあんなシーンで泣けるということ自体がそれまでにない経験だった。名優ホフマンと対峙してクルーズが俳優としてステップアップした作品でもある。