我が故郷・福岡へご案内致します⑥
本当は昨日が最終回だったんですが、ホークス敗戦の事を記事にしていると長くなり過ぎたので、福岡最終日の記事を今日に持ってくることにしました。最終日に取り上げるのは、僕の生まれた町、北九州市についてです。
苦悩の百万都市〜僕の生まれた町・北九州
僕は福岡県北九州市戸畑区で生まれました。大学に進学するまでを過ごした街です。旧門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市が合併して誕生した、まだ歴史がそんなに古くない(42年だったっけ?)政令指定都市ですが、最盛期は重工業地帯として栄えた故に「空気が汚い町」として有名でした。鉄冷えが進行し工場が次々と閉鎖していくうちに北九州の人口は減少し、今ではついに100万人を切ってしまうなどの苦しい状況が続いています。(恒例の夏祭りとして、「わっしょい百万夏祭り」というのがありますが、そのうち「約百万」に訂正されるのでしょうか?心配だ・・・) 総人口における65歳以上の割合も、全ての政令指定都市のなかで最も高く、なにかと若く活気のある福岡市と比べられてはみじめな思いをさせられていますが、この街も大分きれいになり、駅前もずいぶん整備されてきました。写真にあるのは北九州市の玄関口・JR小倉駅前です。駅ビルは九州では一番大きいんだそうです。競馬場や新興住宅地が沿線にあるモノレールも、ここから出発しています。確か僕が予備校生の頃、つまり、北九州最後の年あたりから駅前の発展が始まったのです。何もなかった駅前にそごう(現在は伊勢丹)がオープンし、人の流れが変わりました。大学4年生の頃に今の小倉駅が完成し、最近ではちょっと離れた所に、複合商業施設「リバーウォーク北九州」がオープンしました。
このリバーウォークはキャナルシティを造ったデベロッパー、FJ都市開発という会社が造ったのですが、城のお堀や市内を流れる川を上手く取り込んだデザインが、このさびれかけの街に彩り豊かな花を添えているかのようでした。(オープン当初、日本シリーズのパブリックビューイングをやっていて、当時のダイエーホークス優勝の瞬間には多くのファンがお堀に飛び込んだのにはびっくり!) いろんな問題を抱えている街ではありますが、街は進歩を止めてはいません。ちなみに北九州市は、焼きうどんと競輪とパンチパーマの発祥の地だという事はけっこう有名な話です。こんな北九州ですが、これからも老化せずに発展してくれることを期待したいと思います。
そして、再び戦場へ・・・
休みの日はあっという間に過ぎ、早くも大阪に帰る日がやって来ました。どうやら休み明けからいきなりハードな仕事が予定されているみたいで、今回は泊まりがけになる事から、本格的にその設備工事が始まったら、当ブログも一時休止せざるを得ないのです。それがいつ頃になるかは分かりませんが・・・ホークスのプレーオフの結果が気掛かりだったせいか、何か落ち着きのない帰省になってしまいましたが、体は充分に休めることができました。美味しい物もたくさん食べたし、それでは再び次のゴール目指して突っ走りましょう!