自宅→伊丹空港

朝、5:30に起床する。昨日はあまりよく眠れなかった。起き出してPCの電源を投入し、阪急の運行情報を確認。特に問題はなさそうだ。1Fに降りてシャワーを浴びる。嫁さんが起き出してきたので予定について少し確認。6:00になった時点でタクシーを呼んでもよいか確認する。都タクシーに電話し、迎車を依頼する。2Fに上がって荷物の準備など。と、1Fで電話が鳴る。嫁さんが取ったみたいなのでそのまま用事を済ませる。1Fに降りてくると、「新しいから住所がわからないって、言ってる」との由。変わりに電話を取ってみるが、無線担当は土地勘が無いようなのでらちがあかない。2Fへあがって地図を取ってきて、近くのアパートを示す。

タクシーは6:20頃になって迎えに来る。トランクにスーツケースを積み込む。これだと、予定していたより1本前の電車に乗れるかも、と思うが、大山崎に到着すると6:22発は出たばかり。次は6:35発なので、南茨木到着は予定していた6:40の準急と殆ど変わらない。大山崎駅バリアフリー工事の最中で、バリアフルな状態。重いスーツケースを持って階段を上る。。

やってきた梅田行き普通に乗る。車内は空いており、端の席を確保する。茨木市駅から乗ってきた人が、やおら書類を取り出すが、文章のレイアウトにデジャヴュが。よくみると、金曜日に出張した高岡の案件の書類である。顔を見ると、協力会社の御大であった。南茨木で降りる際に少し挨拶など。

南茨木はモノレールとの乗り換えが比較的容易。乗り換え時間はわずかであったが、それでも無理なく乗り換えができる。JRと阪急の2路線が選択できる立地はやはり便利である。モノレールは混雑していて、嫁は座席を確保できたが私は立ちっぱなし。宇野辺を出てしばらくすると、名神高速を超えて万博公園へ。エキスポランドの跡地を見るのは初めてである。てっきり更地になっているのかと思いきや、遊具類は撤去されているが、園内の造園などはそのままである。南極体験?だったかの建物もそのままである。色々な思い出のある地だけに、寂しい限りである。千里中央で座席を確保する。鈍足なモノレールは南茨木から25分を要して大阪空港に到着する。

伊丹空港へ到着して、南ターミナルへ。途中、嫁さんが「関空にはできなかったの?」と聞いてくる。以前は全日空関空発のパリ・ロンドン行きを運行していたのだが、成田の16L/34Rができてからは無くなってしまった。伊丹の国際線乗り継ぎカウンターに到着したのがちょうど7:30頃。国際線の乗り継ぎは30分前に締め切りなのであるが、いつも混雑していて20分前ぐらいに手続きが終わることが多い。ということで余裕をかましてモノレール駅7:26着の行程にしていたのだが、なんと誰もチェックインカウンターに並んでいない状態であった。若干恥ずかしい思いをしながら、チェックインカウンターに並ぶ。と、嫁さんのスーツケースが手荷物検査に引っかかっている。なんでもペットボトルが入っているので確認させて欲しいのだとか。結局、ペットボトルを取り出したが、これ、国際線のセキュリティーチェックにひっかかるんじゃないか?と思いながらも時間がないのでチェックイン手続きをする。

別切りのMUC-BCNの航空券と共にチェックインを依頼する。GHは端末をいろいろと叩き、しばらくして別の人に相談に行った。漏れ聞こえてくる話によれば、国際区間をインターネットチェックインしているためMUC-BCNを乗せれないのだとか。「スルーバゲージだけしてもられれば、MUCで手続きしますよ」と言って処理を進めてもらう。クレームタグと国内線区間の搭乗券をもらったのが7:42頃、もうあまり時間が無いのでまっすぐ検査場に向かう。

検査場を通過したのは15分前を切っていたが、特に問題なし。こんなことが通用するのも日本だけ....と書きたいところだが、FRAやLHRで鬼のようなギリギリチェックインを何度か目撃したことがあるので、飛行機の世界は意外とルーズなのかも。13番搭乗口に歩いていくが、こっちの方に売店があったかどうか...と、JAL系の売店があるのが目に入った。嫁を先に搭乗させて、私は売店に朝食を調達に行く。

私の前に並んでいた人が、ビール2本をオーダーしている。店員さんが「開封しないと販売できないんですよ」と言ってるが、外国人相手に通じてない模様。表示板などを示しているが、日本語しか書いてないので通じてない模様。思わず、英語で「only opend なんとか」と言ってみる。無茶苦茶な英語であるが通じた模様。「Because aircraft security」と追加で言うと、納得してどっかに行ってしまった。のっけから英語でけつまづく。すらすらと言いたいことが言えるようになりたいものだ。

サンドイッチとジュースを買って、飛行機へ。ゲート周辺はガラガラだが、まだあと10人近くが搭乗していない模様。結局、Door closeは7:55。7:59にプッシュバックを開始する。出発機が込み合う時間帯だが、一時期に比べると札幌便が別の時間帯に移ったり、NH16便が8:00から7:45発に移ったりして集中は少しマシになっている。8:14には32Lに入り、離陸滑走を開始する。国内線運用のため重量は軽く、やすやすと離陸する。少し雲が多く、西宮あたりは曇で見え隠れしている。新大阪上空あたりから地上は見えなくなる。

全日空の国際線は、機内での無料の飲み物サービスがお茶と水のみになってしまい、これもほとんど注文が無いのでCAはカートも押さずにやってくる。我々は伊丹の売店で調達したサンドウィッチを食べる。その様子を見たCAが紙おしぼりを提供してくれる。

早朝に起床したために、少し眠い。目を閉じてしばしまどろむ。エンルートは比較的順調な飛行であったが、果たしてPAで予告されていたように降下を開始すると少し揺れ始めた。10000ftを割ったあたりからは完全な雲中飛行になり、雨も降ってきた。降下を続けるにつれ、さらに揺れは大きくなり、上下方向のGの変化もかなり感じられるようになる。

9:02に成田国際空港の34Lに着陸、56番スポットに入る。

NRT→MUC(9,438km)

11:30ぐらいになって最終の搭乗案内が放送される。荷物を持って、搭乗口へ。53番ゲートはラウンジから近い。人数が少ないためか、既にエコのレーンも列がはけていた。

ANAの国際線B777-300ERは今回が初めての搭乗。-400はSuper StyleもNew Style Club ANAも何度も乗った。772のSuper Styleもサンノゼ出張で乗ったことがある。座ってみると、細かいところが改良されている反面、-400に比べて機体の幅が狭いため、荷物置き場などが細かく省略されている。

11:41にdoor close、11:46にpush backを開始する。1タミからA滑走路へ向かうのだが、それでもタクシーは長い。途中、横風用滑走路の途中にある民家が窓から見えたので、嫁に紹介してあげる。「音とか排気ガスとかすごいんじゃ?」と普通の感想。住んでる人は普通じゃないからね、と答えておく。

A13から34Lに入り、12:13に離陸滑走を開始する。これまで乗った-400に比べて加速は良い感じ。今日の場合、PAXも少ない影響もあるのだろう、滑走路中心の手前でローテーションを開始、離陸する。離陸後、まもなくして雲中飛行となる。新潟あたりまで高度を押さえられるといつまでたってもシートベルトサインが消えないよな、とか思っていたが、意外に早く雲の上に出る。

ほどなく、シートベルト着用サインが消える。ウェルカムドリンクは、私はいつもの通りシャンパンを。嫁さんは緑茶を選択していた。飲み物は白ワインを選択する。嫁さんはハーブティーの「おやすみブレンド」を選んでいた。

12:57に斉藤機長からPA

昼食は和食にする。海外発の和食にはあまり良い思い出が無く、和食を食べるならば日本発だと思う。13:15に前菜が出てきた。My Choiceとかいって大混乱を来たしていたビジネスクラス、果たして今回の食事はどのぐらい時間がかかるだろうか。

嫁さんは洋食の肉を選択する。

14:40頃になって、漸くデザートまで到達する。ティラミスケーキであったが、以前のANAオリジナルパフェの方が良かったように思う。嫁さんは、ハーブティーの「おめざめブレンド」を選んでいた。

初期到達高度はFL310であったが、ロシアの管制エリアに入ると9600m、実際はFL315で9601mに移行する。この高度なら燃費も良く、あまり遅れも出ないだろう。

現地時刻の17:02にミュンヘン国際空港の26Rに着陸、A6誘導路から離脱する。
定刻より13分遅れて17:13に219番スポットに到着する。

MUC→BCN

ミュンヘン空港は以前に一度着たことがあるが、それはTXL→MUCの移動のみだった。しかも到着時はバスだったので、あまり歩くこともなくバゲージクレームまで到着した。ところが、今回は国際線からシェンゲン協定国への乗り継ぎであり、複雑な経路を辿る。Level4へ上がったところに地上係員がいたので、バルセロナ行きの便の搭乗口を聞いてみると、「G44だがゲートはよく変更されるので、搭乗開始時刻が近づいたら再度確認してくれ」とのこと。長い通路を歩いて入国審査場へ。このあたり、関西空港の方がエレガントな構造だと思う。階段を降りて税関らしき施設を通過し、入国審査場へ。何も聞かれずに通過する。前回、フランクフルトでいろいろと聞かれたのと大違いである。その後、階段を下りたかと思うとそのまま外へ出てしまった。Gゲート(シェンゲン協定国間フライト)への乗り継ぎは、外部からやってくるのと同様の保安検査場を通過する必要があるようである。

このあたり、新EU規制と呼ばれるものが影響しているようだ。もともと、国際線搭乗時に保安検査は受けているはずであるから、再度の保安検査は不要なはずで、昔フランクフルト空港で乗り継ぎした際も入国審査はあったが、保安検査は無かった。ところが、世界各地からやってくる国際線は、出発国の保安レベルを信用しきれないということで、EU内に入る際に再度の保安検査を行うようになったようである。なので、ミュンヘン空港でもGとHが直接つながっておらず、奇妙な乗り換え経路をとる必要があるようである。フランクフルト空港でもこの関係で奇妙な箇所に検査場ができたりしていたが、こちらは改修工事が行われており、到着導線を分離するようである。もっとも、成田空港や関西空港では以前から国際線→国内線の乗り継ぎ時には一旦外に出る構造になっており、特にミュンヘンが悪いというものでも無いだろう。

手荷物検査場を通過する際、金属類はすべて外したつもりであったが、金属探知機にひっかかってしまう。どうもベルトの金具を検出したようである。どうりで周囲の人たちがみんなベルトを外して通過しているわけだ。通過後、いろいろと店舗が気になるが、とりあえずセネターラウンジに向かう。ラウンジ入場時、搭乗券に加えてSFCのラウンジカードをスキャンしていた。セネターラウンジで簡単に食事。加えて、iPassローミングでネットに接続してメールチェックなど。上長からメールが1通入っていた。ついでにmixiでつぶやき。

セネターラウンジのインフォメーションボードで確認すると、バルセロナ行きは搭乗口がG45になっていた。搭乗開始時刻が近づいてきたので、ラウンジを出てG44ゲートへ。

LH4484便は、19:17にドアクローズとなる。19:31に離陸する。

バルセロナ国際空港には、21:10に着陸、21:14にスポットインする。バルセロナ空港は高い天井を細い柱で支持しており、広々とした空間に圧倒される。

回転台が動き出したので荷物を確認する。嫁さんのスーツケースは比較的早く出てきたが、私のキャリーバッグがなかなか出てこない。プライオリティータグが付いた荷物が途切れた時点で嫌な予感がする。荷物の搬出が終わったが、まだ出てこない。同じように困惑している人が10人ぐらいいる。まだ出てくるのか?と思っていたが、とうとう回転台が止まってしまった。近くの職員に聞くと、インフォメーションへ行け、との由。嫁に荷物類を見させて、インフォメーションへ。

クレームタグを見せると、「残念ですが荷物はミュンヘンです」とのこと。人生初のロスバケである。思わず天を仰ぐ。日本の住所を書け、と紙を出されたので、住所を記載する。バッグの形状・色などは見本があるのでその中から番号を選ぶ形態。ホテルの住所を聞かれたので、嫁のところへ走って戻ってホテルの予約のプリントを持ってくる。追跡番号等が書かれた紙をe-ticketなどと一緒にホッチキスで止め、スターアライアンスのロゴが書かれた封筒に入れて手渡してくれた。明日の9時頃には配達されるであろう、ということだそうだ。

さすがロスバケ慣れしているだけあって、手際は非常に良い。以前、友人とドイツに行った際、ミュンヘン空港で友人の手荷物がなかなか出てこないことがあった。「ロスバケか?」と心配する彼に対して、「大丈夫、ほらあそこにロスバケ専門のカウンターがあって、スタッフも大勢いて、すぐに対応してくれるし、最近は追跡システムがしっかりしているからインターネットから現在の状況も簡単に確認できるし」と、人だかりが出来ているカウンターを示して言ったことがあった。「そんなシステム整備するより、そもそもロスバケ無くされへんのか?力入れるところが違うやろ」と呆れていた。まあ、欧米の空港はこんなもんである。

バルセロナ空港→バルセロナ

自宅を出発してから20時間以上が経過して疲れているが、とりあえずホテルまでたどり着かねばならない。気合を入れてバゲージクレームを出る。ここからはスリなどにも気をつけて行かねばならない。看板などを見ながらバス乗り場へ向かうが、この後も苦労するスペイン式の理解に苦しむ矢印表示に惑わされながら、バルセロナ市内行きの空港バス乗り場にたどり着く。ちょうどバスが行ったばかりであったが、すぐに次のバスが来た。料金は地球の歩き方では3.1ユーロであったが、2人で10ユーロ札を出すと4ユーロが釣りで戻ってきた。

バスはそこそこの人数を乗せて出発する。カタルーニャ広場行きであるが、手前のウルジィで降りるので注意が必要である。バスは順調に走り、スペイン広場に到着、次のウルジィで降りる。

バスを降りたが、通りの名前が書いてないので困る。地球の歩き方を取り出して通りの名前を確認するが、現在位置がわからないので困る。この点、アメリカやフランスの方が交差点に通りの名前が書いてあるのでありがたい。とりあえず、こっちだろうという方向に向かって歩き出す。時刻は夜の23時過ぎである。人通りもさほど多くなく、心細くもなるが、ホテルにたどり着かないとどうしようもない。2ブロックほど歩いた時点で通りの名前を確認すると、行き過ぎであった。1ブロック戻り、ホテルのある通りにたどり着く。幸いにして、各建物の入り口の上に番号が書いてあるので、これを頼りに進めば良い。角の建物が70であったので、ホテルの108番まではそこそこ遠そうだ。重い荷物を引きずって緩い坂を上っていく。このあたりの地区は、セルダの手による都市計画で作られた地域なので、交差点が大きく隅切りしてあり、8角形になっている。当時は車も無かったのだが、将来を見越してこういう構造にしたらしい。車にとっては便利であるが、歩行者にとっては何度も迂回して進むような感じになり、あまり快適とは言えない。

3ブロックほど坂を上って、ようやくホテルが見えてきた。ホテルに入り、嫁さんを待たせてチェックイン手続きをする。booking.comの予約確認書を提示して、チェックインを依頼する。いろいろとQ&Aをしているうちにふと思い出し、「ミュンヘンでロスバケしたんだけど、明日には届けるってことだそうです」とバルセロナ空港でもらった追跡用の紙を見せる。「Oh, Thank you、ちょっとコピーさせてもらいます」と言って紙を持って行った。念のために言っておいて良かった。

本当に長い長い時間かかって、ようやく部屋に到着。荷物を置いて、横になる。シャワーを浴びたいところだが、本当に疲れきってしまっているのでもう、どうでも良いという感じ。服をそのあたりに脱ぎ捨て、寝ることにする。日本では朝の7時頃、夜勤明けに寝る感じに似ている。時差ボケにはならずに済みそうだ。