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2016-06-30

これは女性の不条理な人生についての映画である〜『10クローバーフィールド・レーン』(ネタバレあり)

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 『10クローバーフィールド・レーン』を見た。実は『クローバーフィールド』は見ていない…のだが、『10クローバーフィールド・レーン』は女性映画として物凄く面白かった。はっきりフェミニストSFといってもいいような作品だったと思う。

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 主人公は男と別れて家を出てきた途中、交通事故にあったミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)。目を覚ますとミシェルシェルター監禁されていた。シェルターの主であるハワード(ジョン・グッドマン)によると、このあたりが攻撃を受けて大気汚染され、シェルターからは出られないという。一緒にシェルター避難していたエメット(ジョン・ギャラガー・ジュニア)も同じことを言う。ハワードの言うことは本当か、そして外ではいったい何が起こっているのか…

 この作品、設定にいくつか強引なところはあると思うのだが、緊張感のある展開なので見ている間はとくに気にならない。そして一番大事なのは、この一見強引に見える設定は女性が陥りがちな苦境そのものメタファーだということである。この作品SFに見えるが、実は「恋人にひどいめにあわされて実家に帰った女性が今度はろくでもない父親虐待され、やっとのことで外に逃げたら今度は社会ひどい仕打ちをしてくる」という話に見立てることができる。シェルターを作ってるサイコおやじ宇宙人も、皆女性普段社会から受けている抑圧になぞらえることができる。

 この映画の中でミシェルは三つのものから逃走せねばならない。ひとつめは冒頭で別れた相手の男、ベン(なんと、ブラッドリー・クーパー声の出演!)である。ベンとの関係は詳しく描かれていないのだが、酒を持っていくかどうか迷うあたり、ミシェルのベンとの関係はかなり悪かったらしい。一方、ベンは全くミシェルの不満に気付いていなかったらしいことが後の携帯電話での通話からわかる。異性愛関係にあった相手男性から何らかの抑圧を受けてそこから逃げねばならないというのは、異性愛者の女性のかなり多くが親近感を持って理解できる苦境だと思う。この話はまずこういう、あまりメタファー化されていないそのまんまの女性の苦境の話から始まるのだが、だんだん苦境がスケールが大きく抽象的なものになっていく。

 ところが、やっと恋人から逃げてきたかと思ったら、次にミシェルを狙っているのは抑圧的な父が支配する家庭であるハワードミシェルに対して擬似的な父親として振る舞おうとするが、ミシェルはそのような家庭を全く求めていない。それにもかかわらず、強権的な父のいる家庭がミシェルを絡め取ろうとし、外に出ては危険だ、可愛くて優しい娘は家の中に閉じこもっていろ、という圧力をかけてくる。ミシェルは逃げようとするが、ボロボロになって助けを求める女性レスリー鉢合わせし、ハワードの言いつけでレスリーを外に放置したままにしてしまう(このレスリーミシェル鉢合わせでベクデルテストパスすると言えるかもしれないが、ミシェルがあまりレスリーに答えないのでこれが「会話」かどうかはちょっと微妙だ)。ミシェル精神的にハワード支配されてしまっているので、他の女性を助けるだけの気力や機知を失ってしまう。

 それでもミシェルは反撃する。やっとのことで父の支配を脱して外に出たと思ったら、今度は宇宙人が襲ってくる。このいきなり宇宙人が襲ってくる展開を強引だとか奇妙だとか思う人もいると思うが、私には全く自然な展開に見える。というのも、虐待を受けた女性若者がやっとのことで家庭から逃げ出したら、社会は冷たく、その女性若者のことを悪し様に言ったり、虐待したりする、というのはお馴染みの光景からだ。家庭内虐待から逃れたとしても、社会が優しくしてくれる保証はどこにもない。社会女性や傷ついた者に冷たくする様子ときたら、宇宙人侵略も顔負けのひどさである

 ミシェルはこの恋人父親社会から次々に降りかかる虐待を闘うことで生き延びたヒーローであるミシェルはとても頭のいい女性で、監禁されても泣きわめいたりエメットにべったり頼ったりはせず、冷静に自分ができることをしようとする。この恐怖を抱きつつしっかり対処するという様子はちょっとエイリアン』第一作のリプリーを思わせるところがある。一難去ってまた一難…という展開も含めて、『エイリアン』の影響はけっこう受けているのではと思う。最後ミシェルバトンルージュ安全地域避難するのをやめて危険地帯であるヒューストン住民の救出に向かうが、孤立させられ、他の女性を助けることもできなかったヒロインが、戦って苦境を脱し、今度は孤立した人々を助ける側に回ろうとするという展開は虐待された人々同士の連帯示唆するもので、実にフェミニスト的だと思う。

 こんな感じで『10クローバーフィールド・レーン』は女性人生についての映画だと思うのだが、ちょっと面白い小ネタとして、ジョン・ヒューズの『プリティ・イン・ピンク/恋人たち街角』が出てくるところがある。これ、私が今まで見た中で最も悪意に満ちたジョン・ヒューズ引用で、私はヒューズが嫌いなんでなんかもう我が意を得たりという感じだった(ヒューズ好きゴメン)。ハワードは娘のメーガンが好きだったからと言って『プリティ・イン・ピンク』を見ているのだが、この映画父親と2人暮らしのパパっ子、アンディがヒロイン映画である。これはおそらくハワードの願望をかなりよく表した設定だ。そしてアンディはプロムに行くためドレス自作するという可愛い展開があるのだが、『10クローバーフィールド・レーン』では、ミシェルが外に行くため防護服を自作する。ハワードは『プリティ・イン・ピンク』のアンディ同様、自分でお出かけする服を作れるような立派なDIY娘を手に入れたのだが、ミシェルはこの服を着てハワードを殺して出ていくのである(材質がカーテンなのは風と共に去りぬ』のスカーレットへの目配せかもしれない)。この『プリティ・イン・ピンク』の引用は、ハワードのような父親が抱いている「理想的な娘」の願望を完璧にブチ壊すために使われていると思う。さらに『10クローバーフィールド・レーン』は、『プリティ・イン・ピンク』に出てくるような、父親に孝行し、貧しくてもやりくりして可愛い服を着る、手作りが得意で家庭的でセンスのあるしっかりした女の子…という80年代保守的理想女性像を否定するものでもある。私はジョン・ヒューズ保守性が大嫌いなので、この『10クローバーフィールド・レーン』の展開にはかなり胸がすっとした。なにがプリティだ。なにがピンクだ。カーテンペットボトルでも社会と戦える。



 

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2016-06-29

トム・ハーディの演技を見るための映画〜『レジェンド 狂気の美学』(ネタバレあり)

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 ブライアン・ヘルゲランド監督レジェンド 狂気の美学』を見てきた。

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 実在した60年代ロンドンギャングであるレジーとロニークレイ兄弟トム・ハーディ一人二役で演じる時代ものである。全体はレジーの恋人から妻になり、最後自殺するフランシス(エミリー・ブラウニング)の語りで進む。機転のきくレジーに対して、ロニーは極めて精神不安定で(統合失調症の気があるらしい)暴力的だ。最初は2人でいろいろな事業を興して成功するのだが、ロニーがいろいろとトラブルを起こしたせいでだんだん警察の手が…というような展開である

 お話じたいは可もなく不可もない感じの犯罪もので、面白いところもあるが、あまり盛り上がらなかったり、ちょっと丁寧さが足りなかったりするようなところもある。単にロニー制御不能なせいでどんどんトラブルが起こっていくというふうにしか見えないところもあり、ちょっとメリハリに欠ける。さらレジーとフランシス関係悪化がずいぶん細部を飛ばした描き方で、ずっとフランシスベタ惚れだったレジーがいきなりフランシス暴力を振るうようになったみたいな印象を受けてしまう。女性で、さらに死者でもあるフランシスを語り手にしているところは野心的で面白いが、これもうまくいっているところとそうでないところがあると思った。なお、ベクデルテストについてはいささか微妙で、おそらくフランシスクレイ夫人(兄弟の母)のお茶についての会話でパスするのではと思われるが、ここでロニーを会話に参加していると判断するかが難しいのでちょっとグレーだ。

 ただ、話はともかくこれはまあトム・ハーディの演技を見る映画であるハンサムで賢く、タフなイーストエンドギャングであるレジーと、メチャクチャだがなんか言うことに妙なユーモアねじくれた知的な発想(アガメムノンの話をするイーストエンドチンピラである!)があるロニーを非常に巧みに演じ分けており、同じ顔の双子なのに話し方から物腰まで全く違っていて感心する。とくにロニーが初対面の人にいきなり自分の性生活の話をして皆の居心地を悪くするあたりとかはなんかちょっと可笑しく、少々コメディの要素もある。

 

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2016-06-28

超セクシーな『カルメン』のバレエ版翻案〜マシュー・ボーン『ザ・カーマン』 in シネマ

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 マシュー・ボーンの『ザ・カーマン』の映画館上映を恵比寿ガーデンシネマで見てきた。ボーンの主な演目では唯一見たことのないものなので楽しみにしていたのだが、大変面白かった。とにかくセクシーである

 音楽ビゼーの『カルメン』を使っているのだが、物語はあまり関係ない。60年代アメリカ田舎町「ハーモニー」にあるガレージとダイナーが舞台で、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(未見)が下敷きになっているらしい。ガレージの所有者であるディーノの妻ラナは、街に流れてきてガレージで働くようになった旅人ルカに惚れて関係を持つ。ラナの妹でダイナーのウェイトレスであるリタは同じくガレージで働いている大人しい若者アンジェロに恋をしていたが、アンジェロもルカに誘惑され関係を持つ。嫉妬しはじめるようになったディーノはルカとケンカになり、ルカとラナはディーノを殺してしまう。行き違いでアンジェロディーノ殺しで逮捕される。ルカは良心の呵責に苦しむようになり、一方リタはルカが殺人犯だとアンジェロに伝える。アンジェロ自分性的虐待をしている看守を殴って脱獄し、銃を持ってガレージに向かい、ルカを殺そうとするが、すんでのところでラナがルカを射殺する。

 とにかくセクシーホットな内容で、話も割合わかりやすいし、さらにとても緊張感のあるダンスが全編を支配していて飽きない。セックス暴力描写はかなり強烈だが、バレエ表現されているのでそこまで露骨というわけではなく、ある種洗練された欲望表現になっている。是非ライヴで見てみたいものだ。

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2016-06-27

王の悲惨〜百年先俳優会『リチャード二世』

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 東長崎てあとるらぽうで百年先俳優会による内田聡明演出リチャード二世』を見てきた。あまり期待していなかったのだが、思ったより断然面白かった。いろいろ良くなかったところもあるのだが、演出が好みだという点ではデイヴィド・テナント版や蜷川の『リチャード二世』よりも個人的に上だ(あくまでも個人的な好みで、プラスこの芝居について今年中に学会発表するつもりだからとくに興味があるというのもあるのだが)。

 セットは脚立を置いただけのシンプルもので、この脚立を王座や棺などに見立てる。舞台座席も狭く、わりと暑苦しい感じなのだが、そもそも『リチャード二世』はあまり涼しい話ではないのでこのくらい暑苦しくて丁度良いのかもしれない。あまり小手先の見映えを狙っていないところは良い。

 とりあえずリチャード二世(荘司勝也)が最近演出で人気の「美しい王」ではなく、あまり女性性とかを賦与されていないところがいい。少々チャラ男気味のリチャード二世で、そんなチャラい感じのリチャードが、見せ場である王冠譲渡の場面では目を真っ赤に血走らせ、涙だか鼻水だかよだれだか汗だかなんだか、よくわからない水分を顔中から滴らせて表情をグシャグシャにして悲しんで見せるあたりが悲惨きわまる。こういうあまり綺麗ではない、ぐちゃぐちゃな王冠譲渡演出は王が王としての身体を捨ててみじめな人間になる様子を表すのにとても適していると思った。一方でボリングブルック(鈴木太二)もあまりステレオタイプに男男しておらず、動揺もすれば弱気にもなる人間味のある人物で、最後にリチャードの死体が担ぎ込まれるあたりでは本気でビビってそうなあたりがよかった。この2人のキャラクター造形はかなり私の好みである最近演出ではリチャードとボリングブルック安易女性性/男性性で分けがちだが、そうでないほうが芝居の複雑さが増して面白くなる。

 よくないところとしては主に二点ある。まず音楽の使い方で、「王の物語」についての歌はいらないと思う。リチャード二世イングランド上陸して「王の悲しい物語をしよう」というところはいい場面だが、ここだけで十分であって何度も歌で繰り返すとちょっとくどいしなんかダサい。他にも背景音楽の使い方でちょっと安っぽいように思える箇所がいくつかあった。もう一つ問題なのはリチャード二世が前半、常に王冠をつけているわけではないことである。王冠譲渡が山場で、王冠が王位にあることを象徴しているんだから、王である時のリチャードは常に王冠をつけていないとダメだろう。例の有名な台詞うつろな王冠」のところですら王冠をかぶっていないのでこれは興ざめだ。

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2016-06-26

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