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2017-02-19

クロスジェンダーキャスティング、だがその効果は〜子供鉅人『マクベス』

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 本多劇場で益山貴司(名前に間違いがあり、修正演出劇団子供鉅人『マクベス』を見てきた。104人もの役者舞台に登場するというけっこう規模の大きい上演であるマクベス夫人を益山寛司(この方が演出家なのかと思ったら、名前が一字違いで兄弟らしい)、マクベスを億なつきが演じるというクロスジェンダーキャスティングが特徴だ。

 いいところはいろいろある上演であるマクベス夫妻の役者性別を交換するというのはいアイディアだし、とくに益山寛司の長身マクベス夫人はむちゃくちゃ妖艶だ(衣装を使わないでマクベス夫人をふくめてあらゆる人物に化けた佐々木蔵之介のひとり『マクベス』には及ばないかもしれないが、それでも益山マクベス夫人は本当に綺麗で性格も強烈だった)。棚とか脚立とか日常的な家具が所狭しと置かれた舞台に大量の人物がわらわらと出てくる猥雑な演出もエネルギッシュである。ところどころ笑えるのもよかった。

 ただ、けっこういくつか疑問点もあった。冒頭の台詞ナチスとかジハードとかが織り込まれているのだが、この政治的ネタあんまり機能していない。ちょっと和風だがいろいろ折衷衣装あんまり政治的にどこの政府イメージしているというようなところもないため、ファシズムとか狂信への言及全然効いていないと思った。また、マクベス夫人に比べるとちょっとマクベスが弱く、台詞回しも最初ちょっと流れが悪いと思うところがあった。さら最後マクベスが殺されるところの演出があまり良くない。それまでは小柄でも極めて男男していた億なつきのマクベスが大量の群衆に服を剥がれてタンクトップ姿になり、女の身体を露わにするという演出なのだが、かなり性暴力連想させる不気味で暴力的な殺され方で、ここでこれをやる意味全然からなかった。何をしたかったんだろう?

2017-02-18

医者も魔術師も見ているウィキペディア〜『ドクター・ストレンジ』(ネタバレあり)

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 『ドクター・ストレンジ』を見てきた。交通事故で手が動かなくなったスティーヴン・ストレンジ医師(ベネディクト・カンバーバッチ)が手の回復を求めてカトマンズのカマー・タージで修行を始め、そこで魔法技術に秀でていることがわかってひょんなことから悪の魔術師カエシリウス(マッツ・ミケルセン)と戦うことに…という話である

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 たいした修行もせずにストレンジ先生が急に時間を操る優秀な魔術師になってしまったり、終盤の時間を操る展開がご都合主義的だったり、カトマンズ修行所にアジア系が少なすぎたり、いろいろツッコミどころはあるのだが、全体としてはけっこう面白かった。ベネディクトいかにも頭が良くて自信満々で『シャーロック』をちょっと引きずってるキャラはいいし、やたらついてくるマントもなんか可愛い。チュイテル・イジョフォー演じるモルドとはちょっとシップ可能性を感じたのだが、最後にモルドが離れていってしまってちょっと残念だ。女性キャラクターとしては至高の魔術師エンシェント・ワンがいるのだが、これはティルダ・スウィントンが演じている。原作ではチベット老師だそうで、これを白人にしたせいでけっこう批判されたらしいのだが、明らかに「アジア人の武道の老師ステレオタイプを避けるキャスティングだと思う。まあたしか白人にしたのは微妙かもしれないが、ティルダはそもそも人間離れしているからな…なお、ベクデルテストパスしない。

 全体的にいろいろジョークが入っていて妙に笑えるものもあるのだが、個人的には序盤でウィキペディアが間違ってるという小ネタがあるのが面白かった。医者魔術師も見ているウィキペディアを守るウィキペディアンである我々は最強である(ごめんなさい、嘘です)。

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2017-02-17

「つぶしの効く教育」をぶっとばせ!〜『天使にショパンの歌声を』(ネタバレあり)

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 レアプール監督天使にショパンの歌声を』を見てきた。60年代カナダケベック女子修道院付属音楽学校舞台にした作品である

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 日本語タイトルはほとんど内容に無関係…というか、そもそもショパンピアノ曲が主な専門だし(一応「別れの曲」はキーポイントで出てくるが)、『天使にラブソングを』みたいな映画では無い。原題は『オーギュスティーヌの受難』(La passion d'Augustine)だったそうだが、まさにそのとおりの内容だ。音楽学校を守るため、世間の潮流と聖心女子修道院本部の両方を敵に回して奮闘する修道女校長のオーギュスティーヌ院長(セリーヌ・ボニアー)の努力挫折を描いている。さらにオーギュスティーヌの妹は病気修道院に預けられたその娘アリス(ライサンダー・メナード)は反抗的で、個人的なことがらのほうでも問題が起こる。

 面白いのは、オーギュスティーヌが運営している音楽学校信仰に基づいたいかにも昔風の性別分離教育をしているようだが、実は聖心女子修道院総長が打ち出している「新しい」方針に比べるとはるかに貧しい子や障害のある子を含めて女性の才能を伸ばせる高度な芸術教育を行っているという逆説である総長(もちろん女性)は少女たちが良き妻になれるような教育を…と言ってオーギュスティーヌの学校をつぶそうとするのだが、こういう良妻賢母教育、あるいは「つぶしの効く」「実用的な」教育は、実のところ長きにわたり女性政治企業リーダーに求められる幅広い教養からも、専門家として活躍するために必要特殊な才能をのばすことからも遠ざけてきたものであり、女性を低い地位に押しとどめるものだった。一方でオーギュスティーヌが提供している高度な音楽教育女生徒芸術的才能を伸ばして音楽家音楽教師になるキャリアを開き、人生をも豊かにするものだ。オーギュスティーヌは「自分学校金持ち学校ではない」と言っており、あまりお金のない子も入ってきているようだし、吃音症の生徒も受け入れている。よく、プロテスタントカトリックフェミニズムの違いで、プロテスタントは男女を分離せず平等になることを目指すがそのぶん構造的な差別が温存されやすいところもあり、一方でカトリックは分離によって女性独立性を高めて女性エリート養成するようにすると言われているが、オーギュスティーヌの音楽学校はまさにそういう感じのカトリック的なフェミニズムを追求していると思う。

 中盤くらいまでは学校存続のための戦いやオーギュスティーヌとアリス関係修道女たちの個性世俗の人々(有力者の夫人などの女性も含む)とのかかわりなどをバランスよく描いている(ベクデルテストはもちろんパスする、というか、大部分は女性同士が音楽とか学校とか信仰について話すことで成り立っていて男性わずしか出てこない)。ケベック田舎雪景色などをまじえた映像も良いし、要所要所で出てくる音楽もとてもよい。終盤、総長裏工作学校を売ってしまって以降はちょっと展開が飛ばしすぎの印象もあり、総長の考えやオーギュスティーヌの還俗などをもっと丁寧に描いたほうがいいのではという気はする。

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2017-02-16

初めてのテニミュ〜「ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs六角 大千秋楽ライブビューイング」

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 「ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs六角 大千秋楽ライブビューイング」を見てきた。テニミュは初めてだったのだが、専門の研究者ほか数名とプチ研究会形式で行ってきた。事前に近くのカラオケボックスミニレクチャー、終演後に食事をしながらフォローアップという至れり尽くせり研究会である

 私は全く『テニスの王子様』に詳しくなく、そもそもタイトルロールが誰だかすら知らなかったのだが、事前解説もあり、けっこう楽しめた。話は明るく楽しい感じだかそんなに起伏はなく、前回青春学園(タイトルロール越前リョーマ所属している学校)に負けた氷帝学園の生徒たちがリベンジを誓う一方、青春学園千葉六角中学校チームと対戦して勝利するという内容である

 演出なんかはわりと洗練されており、とくに照明を使ってテニスの球の動きを表現するところはさすが舞台という感じである試合中はネット役者が両方ともかなり動くのだが、ネットステージを回転させるんじゃなく、人力で動かしていた。試合中の選手の内心はほぼ全部傍白で表現されるのだが、位置によってはお客のほうを向かず、客席に背を向けて傍白する演出があったりするのが面白いカメラワークはけっこうちゃんと表情と動きをとらえていてわかりやすかったと思う。なお、大人はほとんど出てこない。幕間前の氷帝学園コーチが全員と話す場面もコーチは音声だけで実際に舞台には上がらない『コーラスライン』みたいな演出だった。

 若手のパフォーマンスはかなりデコボコがあり、けっこう上手いと思われる役者と歌や踊りがひどく不安になるレベルの役者が混在している感じだった。総じて歌のレベルはそんなに高くはない。ただ、氷帝学園部長である跡部景吾役を演じた三浦宏規は、歌はまあそんなにうまくなく、台詞回しはまあまあといった感じだがダンスが大変うまく、身のこなしの美しさとステージプレゼンスが段違いだった。プロを目指せるレベルのバレエダンサーだそうで、さすがに子どもの頃から体系的に踊りを習っている人は違うと思った。跡部キャラじたいはなんかわがままなおぼっちゃんみたいな感じであまり好きではないと思ったが、ダンスを見ているだけでわりと面白かった。また、「俺様の美技に酔いな」という台詞漫画原作でないとあり得ないだろうと思った。こういうぱっと聞いただけではわかりにくい漢語台詞はもともと舞台でやることを想定して書かれた台本ではなかなか出てこない。

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2017-02-15

二級市民には意見を伝える手段すらない〜『サフラジェット』(『未来を花束にして』)

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 『サフラジェット』(『未来花束にして』というタイトルだが、全く酷い日本語タイトルである)を見てきた。1912年ロンドン舞台に、洗濯工場クズ上司セクシャルハラスメントに苦しみながら働くモード(キャリー・マリガン)が女性参政権運動に参加するようになり、サフラジェットの闘士として戦う様子を描いた作品である

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 全体としては、これまでミドルクラス以上の活動家が注目されがちだった女性参政権運動について、ワーキングクラス女性たちに焦点をあてる近年の研究成果を反映した作品になっている(これについてはCarol Dyhouse, Girl Trouble: Panic and Progress in the History of Young Womenのレビューちょっと触れたことがある)。サフラジェットというのはこの映画にも出てきたWSPUのメンバーを中心とする戦闘的な女性参政権活動家のことであり(この間私が翻訳で作った日本語版ウィキペディアのサフラジェットの記事も参照)、彼女たちはパンクハースト母娘に率いられて破壊活動も厭わなかった。

 この破壊活動については評価が分かれるところなのだが、この映画においてはどうして彼女たちが破壊活動をするに至ったのかがかなりきちんと描かれている。モードのようなワーキングクラス女性には全くといっていいほど人権保障されておらず、職場などで性暴力にあっても訴えられないし、離婚財産についても夫に比べて著しく不利で、とくに離婚すると子ども親権をとることもできない(このあたりはちょっと時代が古いがアン・ブロンテの『ワイルドフェル・ホールの住人』で実にエグく描かれている)。稼ぎは夫にとられ、暴力を振るわれることもある。そしてこうした中で状況を改善させようとしても、そもそも選挙権がないので自分たち代表議会に送ることもできない。女性たちは全くの二級市民であり、税金だけはとられて権利は無い存在なのだ。序盤でモードは一度議会労働条件についての証言を行うが、選挙権の無い女性たちの証言無視されてしまう。このあたりの描き方は、「平和的な運動」という概念じたいが実は既得権者の有利に働くことがあり得るということを鋭くついていると思った。いくら平和的に頼んでも彼女たちにはそもそも議論テーブルに上がる権利すら認められていないので、議会に影響力を及ぼすことができず、抹殺されるだけなのである。このため、モードやその仲間たちは注目されるため、脅威になるために先鋭化し、破壊活動をするようになる。

 女性参政権が認められるようになったのは第一次世界大戦後なので、この話の展開としては、スティード警部(ブレンダン・グリーソン)が「殉教者が出たらパンクハーストたちの勝ちだ」と予言した後、エミリー・デイヴィソン(ナタリー・プレス)が有名な競馬中の自爆テロを行って亡くなったため、スティードが「彼女たちが勝つのだ」と悟って終わる…という落とし方になっている。このエミリーが馬と衝突して亡くなったというのは史実なのだが、エミリーが実際に自殺するつもりだったかどうかについては解釈が分かれており(事故説が有力)、映画の中ではちょっと曖昧に含みを残した描き方になっている。

 全体的には非常に真摯歴史的考証もしっかりしており、お話としてもよくまとまっていて、女性たちのキャラクターもしっかりしており(ベクデルテストはもちろんパスする)、すごくオススメ作品なのだが、ちょっといろいろ詰め込みすぎでわかりにくいのではと思うところもある。たとえばこの頃は今に比べると女性不用意に男性に肌を見られてはいけない、人前ではきちんとした服装でないといけないという規範が強かった。こういうこともあってサフラジェット柔術の稽古をしながらミーティングをしたりしていたらしいのだが(女性たちが服を着崩した格好でスポーツをしているところはなかなか警官踏み込みづらい)、それをふまえると、モードたちが監獄でいきなり服を脱がされたり、イーディス・エリンが診察をしているところに警察が踏み込んでくるのは、当時の女性たちにとっては今よりはるかに抵抗があることだったはずだ。また、冒頭でスティードたちがアイルランドの状況を報告している場面があるが、サフラジェットとアイルランド独立派は当時のイングランドにおける大きな公安案件で、どちらも虐げられた扱いから脱するために武装闘争を選ぼうとしていたが、第一次世界大戦で棚上げされる運命に陥ったという共通点があった(ただ、ハンストなんかのサフラジェット戦略はどっちかというとロシア革命家に近いらしいし、アイルランド独立運動の転換点のひとつであるイースター蜂起は1916年と少し後なのだが)。他にも、この頃盛んだったもうひとつ公安案件である労働運動意識しているのかな?という描写もある。こういう歴史的なことがらがたくさん詰め込まれているが、なかなか一度見ただけではわかりづらいと思う。