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2018-01-19

悪くはないが、とくに良くもないような…『Shakespeare’s R&J〜シェイクスピアのロミオとジュリエット〜』

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 『Shakespeare’s R&J〜シェイクスピアのロミオとジュリエット〜』を見てきた。ジョー・カラルコによる『ロミオとジュリエット』の脚色で、カトリック男子校舞台に、4人の男子生徒がこっそり『ロミオとジュリエット』を演じるというものだ。

 脚色の発想は良いし、とっかえひっかえいろんな役を演じる役者陣の演技とか美術とかも悪くはないのだが、全体的にちょっと展開が地味というか、もっとどぎつく派手にやったほうがいいのでは…と思うところもあった。演技をするうちにエスカレートして本当にいじめみたいになったり、ふざけて芝居がヘンになったりするところがあるのだが、このへんが少々半端な感じがする。演出問題なのか、脚色が地味なのかはちょっとからないのだが、まあ普通だなという印象だった。最後に紙がパラパラ降ってくるあたりの演出は良かった。

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2018-01-18

全てに否と答える、ラディカルな実存〜『アンチゴーヌ』

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 ジャン・アヌイ作、栗山民也演出アンチゴーヌ』を見てきた。1944年に初演されたそうで、ソフォクレスの『アンティゴネ−』の翻案である基本的なあらすじはだいたいソフォクレスに似ており、兄ポリニスを埋葬しようとするアンチゴーヌ(蒼井優)と、それに反対するおじでテーバイであるクレオン(生瀬勝久)の争いを描くものであるアンチゴーヌとその婚約者であるエモン(渋谷謙人)、及びクレオンの妻の死で終わる。

 アヌイの芝居は初めて見たのだが、この『アンチゴーヌ』は大変ラディカルな作品である。正しく清くあるため、大人としての社会生活全てに否と答えるアンチゴーヌと、テーバイ王としてあらゆるものを受け入れ肯定しようとするクレオンの対決を描いている。アンチゴーヌは20歳そこそこの若いなのだが、社会のレールが提供する全てのもの、つまり成長とか、結婚とか、法とか、最後には生までも徹底して拒絶し、一度でも承諾してしまったら倫理的おしまいなのだと考えている。この、与えられたもの、降りかかってきたものを拒むことにこそ人間自由意志本質があるという態度は極めて過激で厳正だ。政治家として努力するクレオンは完全に否定されてはいないのだが、何でも受け入れて穏便に処理しようとするのが習い性となっているため、拒否することで悲劇を防ぐということができない。一度でもクレオンが拒否すればこんなに一族バタバタ死ぬことにはならなかったはずなのだが、クレオンは社会化されすぎていて拒むことができない。時代背景を考えると、クレオンはナチスドイツのもとで穏便に生きようとする「成熟した」人々を指す一方、アンチゴーヌは一度ファシズムを受け入れてしまったらそこからはなし崩しのように自由がなくなるのだという態度を示しているはずである。もちろんもうちょっと一般的コンテクストでも見ることができ、アンチゴーヌの全てを拒否する選択に、人生一般における選択を重ねることもできる。

 美術は以前の栗山版『あわれ彼女は娼婦』にちょっと似た十字のモチーフを用いたものなのだが、今回はセットをそのまんま十字型にして四角いハコの真ん中に置き、観客席を十字の隙間に配置するというものになっている。役者は十字の端の四つのポイントから入退場する。この十字の一辺がえらく長く、端と端にはイスを据えてある。アンチゴーヌとクレオンを十字の両端に置いて対決させたりするので、お客は台詞のやりとりのたびに振り返らねばならず、まるで映画カット割りみたいな効果をもたらしている。役者陣は皆とても良く、とくにちょっと不機嫌そうなカリスマを発する蒼井優アンチゴーヌと、政治家としてのずるさと父としての優しさを兼ね備えた生瀬勝久クレオンの対決はとても良かった。

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2018-01-17

いったい何をしたかったのか…『レディ・ガイ』

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 ウォルター・ヒル監督レディ・ガイ』を見てきた。

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 主人公である殺し屋フランク・キッチン(ミシェル・ロドリゲス)は、天才的なマッドサイエンティストジェーン医師(シガーニー・ウィーヴァー)の弟を殺したせいで恨みを買い、ジェーン医師に無理矢理性転換手術を施されて女になる。復讐を誓うフランクだが…

 髭ぼうぼうの色男殺し屋から美しい女性に変身して人を殺しまくるミシェル・ロドリゲスと、シェイクスピアエドガー・アラン・ポー小ネタを出すシガーニー・ウィーヴァーは悪くはないのだが、それ以外は何をしたかったのかさっぱりわからない映画である。この映画トランスジェンダーコミュニティから差別的だとして批判されたということなのだが、おそらくこの映画トランスジェンダーを描いているつもりは全く無い…というか、そもそも何を描いているのか本人たちもよくわからなかったのではないかというくらいぱっとしない。

 何か「性別を変えても人は変わらない」あるいは「性別が変わると人は変わる」みたいな人間セックスジェンダーについての考察をしたかった…のかもしれないがそうは思えないくらい話がしっちゃかめっちゃかだ。フランクは強制的女性にされた後もずっと自分のことを男性だと思っているようで、「女性になればやり直せるだろう」と信じて主述をしたジェーン医師マッドな信念は否定された…かのように見えるのだが、一方でフランクはイヌを飼い始めたり、それ以前なら無慈悲に殺していたであろう相手を生かしておいたり、最後は「まあ人は変わるし」みたいなことを言って去って行ったりするので、見ているほうは「???」となってしまった。

 一方で、突き抜けてB級キャンプでニセモノ感あふれるおバカ作品かというとそういうわけでもなく、アクション映画としては適当に真面目に作られているので、何をしたかったのかさっぱりわからない。なんかこれが、女になったフランクがひとしきりジェンダーアイデンティティに悩んだ後に完全に吹っ切れて、肉体改造しまくってオッパイに装着したマシンガンかなんかを撃ってあたりを血の海にするくらいバカげた映画とかだったらもう少しはコンセプトに一貫性があると言えたのかもしれない(面白いかとか、トランスジェンダーの観客が不愉快にならないかとかはまた別だが)。半端にちゃんとしたアクション映画にしようとしているので、コンセプト意味不明になった。

 ミシェル・ロドリゲスは悪くないので、それを見てるだけでまあ金返せって気分になるのは避けられるのだが、とはいえフランクが最初からけっこう殺し屋にしては線の細い色男なのはプロット上はあまり良くない。元のロドリゲスの顔の輪郭を生かしすぎてて、もっとメイクでごつくしたほうが良かっただろうと思う。ただ、全体的にミシェル・ロドリゲス男役やらせたいっていうフェティシズムだけは伝わってくる。

 なお、微妙だがこの作品はベクデルテストパスしないのではと思う。フランクがジョニージェーン医師と話す場面はあるのだが、フランクはトランスジェンダーではなく、自分のことをずっと男性だと思っているので、テクニカルにはパスしないのではという気がする。

 ちなみに、これを見て思ったのだが、ペドロ・アルモドバル監督の『私が、生きる肌』はほとんど同じ出発点で作られてるけど、これより断然うまく作られてる。最初に『私が、生きる肌』を見た時はずいぶんヘンな映画だと思ったのだが、『レディ・ガイ』を見て、こういうヘンな映画こそ脚本演出の力で大きく出来が分かれるんだなと思った。

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2018-01-16

相変わらず音楽の使い方がうまい〜『キングスマン: ゴールデン・サークル』(ネタバレあり)

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 『キングスマン: ゴールデン・サークル』を見てきた。

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 話にはいろいろアラもあるのだが、とにかく前作に引き続き音楽の使い方がうまいエルトン・ジョンがけっこうちゃんと出てきて歌うという豪華なキャストはもちろん、他にもいろいろ工夫がある。

 前作ではハリーが殺されるところでレーナード・スキナードの「フリー・バード」が大変うまく使われていたのだが、今回使用されているのはジョン・デンヴァーの「カントリーローズ」だ。『ローガン・ラッキー』でも使用されていてその時も書いたのだが、この曲はレーナード・スキナードみたいな南部連合ロック的なものとは一線を画す、アメリカ良心みたいなものを表すルーツロックである。このアメリカ良心のような曲を、イギリス男の典型みたいなマーリン(マーク・ストロング)が自分で歌いながら壮絶な死を遂げるというのは(ここでマーリンを死なせる展開はちょっと強引にすぎると思うのだが)、前作のハリーの死を裏返したような展開になっている。

 さらに冒頭の車のアクションでは、予告ではザ・フー「マイ・ジェネレーション」をリミックスしたものが使われていたのだが、本編ではプリンス「レッツ・ゴー・クレイジー」が大音量でかかるようになっている。最後まで観ると、なぜ最初プリンスがかかったかわかるようになっており、ここもにくい。イギリスでは王女結婚してもプリンス称号ふつうもらえないのだが、スウェーデンでは最近は王女と結婚した場合プリンスの称号が与えられることがあるらしいので、エグジーは名実ともにプリンスとなったということだ。このあたりの音楽を絡めた展開は、以前wezzyの連載「男性はお姫様がお好き?〜映画に見る男性のプリンセス願望」で書いた、エグジーのお姫様好きが行くところまで行った感じでちょっと面白かった。

 なお、前作『キングスマン』はベクデルテストパスしたが、今作は女性同士の会話がほとんどないのでパスしない。ジュリアン・ムーア演じるドラッグカルテルボスポピーは明らかにマーサ・スチュワート(カリスマ主婦だがインサイダー取引で一時期刑務所に入ってた)に基づいていると思うのだが、そのへんの描き方はいいと思った。ポピーサイコパス企業家だが、アメリカ政府に対して訴えてる内容は実はそんなに間違ってないかもしれないというところもひねりがある。この映画ドラッグの描き方はちょっと複雑で、ドラッグ消費者のほうは悪意が無い人々なのだ企業家がそういう市民搾取しており、さらドラッグ糾弾する大統領などのほうが倫理的問題があるというふうになっている。

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2018-01-15

2018年度の授業について

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 2018年度の授業ですが、以下の通りです。

武蔵大学(本務校)

火曜2限 イギリス文学ゼミナール…夏学期は『オセロー』、冬学期は『そして誰もいなくなった戯曲版を英語で読む。1学期最低1回は観劇に行く予定。

木曜1限 インターネットイングリッシュ…おなじみの英日翻訳ウィキペディアン養成クラス

金曜3限 英語圏文化ゼミナール…1年で映画批評を書けるようになることを目指すゼミ。必ず新作を1学期に1本全員で見る。夏学期は『チャップリン独裁者』『カサブランカ』『教授と美女』、新作1本、自分の好きな映画1本のレビュー(合計5本)+批評に関する発表。冬は『グッドフェローズ』『トレインスポッティング』『エターナル・サンシャイン』『MMFR』、新作1本、自分の好きな映画1本のレビュー(合計7本)。再来年からカリキュラム改訂なので、この授業はこの1年しかやらない予定。


慶應義塾大学三田キャンパス(非常勤)

水曜1限 英語…夏に『アマデウス』の英語読解、最後にみんなでNTライヴの『アマデウス』を見に行って仕上げ。冬に『リア王』の読解(冬はおそらく観劇無し)。


早稲田大学中野エクステンションセンター(非常勤)

月曜3限 「あなたがまだ知らないかもしれないシェイクスピア」…1月から2月はじめにかけてシェイクスピア入門。その後、5月から6月にかけて新国立劇場ヘンリー五世』(+彩の国さいたま芸術劇場ヘンリー五世』も)の準備講座的なもの

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