瑣事加減

2018-02-19

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(26)

 2月16日付(23)に紹介した豊田善敬・戸田学桂米朝集成』全四巻(岩波書店四六判上製本)に続いて、次の2冊が刊行された。

豊田善敬・戸田学 編『桂米朝座談』全二巻(岩波書店四六判上製本

『1』 2005年12月14日 第1刷発行・222頁

桂米朝座談〈1〉

桂米朝座談〈1〉

『2』 2006年1月20日 第1刷発行・224頁

桂米朝座談〈2〉

桂米朝座談〈2〉

 書影は函で、未見。『1』の前付v頁に桂米朝「はじめに」があるが「いっさい、編者にお任せしました」と云う断りになっている。そして『1』vi〜vii頁『2』v〜vi頁の編者「まえがき」は『桂米朝集成』と同じく、前半が一致している。

 人間国宝(重要無形文化財保持者)にして文化功労者である桂米朝師が、上方落語を再興させた、今日/のような隆盛をもたらした功労者であることは広く知られている。と同時に、芸能・文化の分野に/おいても、作家・研究家として広範で貴重な仕事をされている。

 その主な著作物は、『桂米朝集成』全四巻に集大成されているが、頁数の関係で残念ながら収め/ることの出来なかった原稿も多く、またその後、重要と思われる資料・録音も新たに発見されたた/め、続編を刊行するべきという結論に至った。

桂米朝集成』未収録原稿の中から、特に貴重と思われる対談・座談・講演録をさらに精選、新/たに『桂米朝座談』と題してここに刊行する。『桂米朝集成』『桂米朝座談』合計六巻により、文化/人桂米朝著作・発言・行動の全貌が初めて明らかになる。


 ここに『桂米朝集成』に「主な著作物」が「集大成されている」とあるが、やはり単行本未収録の文章を集めたものであって、確かに配慮された編成・配列、そして新たなインタビューなどの編者による準備で、早くに纏められた『上方落語ノート』全四冊(青蛙房)よりも「文化人桂米朝著作・発言・行動の全貌」を浮かび上がらせるべきものとなっているのであるが、やはり『米朝落語全集』や『落語と私』『米朝ばなし 上方落語地図』等の名著こそ「主な著作物」に該当するはずなので、若干だけれども抵抗がある。

 それから「厳選」「精選」と云うのであるから、ここから漏れたものがあるはずだが、『桂米朝集成』第四巻に、385〜406頁「八 桂米朝 音源・映像一覧」はあるのだが「著作目録」がない。これではここに漏れたものを見付けたとき、それが新発見なのか、それとも豊田戸田両氏は知っていて、収録を見送ったものなのかの判断が出来ない。

 その後、さらなる発見もあろうから、新たに「桂米朝著作総目録」を主にした7巻めが刊行されることを期待したい(或いはもう何処かにあるのかも知れないが、出来ればこの「合計六巻」に収めて欲しかった)。もちろん、初出誌から単行本収録への流れ、そして初出原本は稀覯書が多いはずだから、初出誌に当たらなくとも内容が確認出来るよう、再録を細かく挙げたものとして欲しい。

 それはともかく『1』『2』ともに正岡容について述べたところがあり、『艷色落語講談鑑賞』や宝塚若手落語会に触れたところもあるのである。(以下続稿)

2018-02-18

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(25)

豊田善敬・戸田学 編『桂米朝集成』(3)

 一昨日からの続き。――『【第四巻】師・友・門人』の巻末「初出一覧」459頁7行めに、

資料 艷色落語 紀州飛脚  『名作鑑賞・風流艷色寄席あまとりあ社、昭和三〇年八月五日発行

とある。

 本文末(86頁18行め)にも「(昭和三十年八月)」とあって、確かに前回指摘した、冒頭「一」節(75頁5〜8行め)の改稿及び本文末の3行(86頁16〜18行め)の追加は、昭和30年(1955)夏時点での記述になっているのであるが、追加された記述にも見られる通り、最後の「六」節(86頁9〜18行め)、追加までの部分(86頁10〜15行め)は昭和27年(1952)現在で書かれていたのである。

 第三通めの米朝の手紙は、このあと大阪にも落語研究会が欲しいということや、文楽浄瑠璃と別派の/三和会が競演して『菅原伝授手習鑑』をJOBKで公開録音したことや、神戸へちまくらぶなる風流/団体で自ら怪談噺を演ったことや、いろいろ上方らしい近況をつたえて来たのち、

「ごたごた書きつけましたが、今日はひとまずこれぎり。皆様によろしく。

  九月十三日                              桂 米朝 拝」

と終っている。


 これは恐らく昭和27年(1952)のことだろうから(それ以前、昭和26年の可能性もないではないが、まづ昭和27年で良さそうだ)「初出一覧」には引用元の単行本だけではなく、初出誌「あまとりあ」第二巻第十一号(昭和27年10月)についても注意して欲しいところなのである。

 なお、改稿箇所は前回指摘した以外にも何箇所かあることに、改めて読み直して気が付いたので、差当り初出誌を確認する際の参考として、抜き出して置こう。

 「一」節は門生・弟子についての雑談で、導入。

 77頁5〜10行め「二」節は改めて桂米朝について手短に紹介しているが、その最後の1行に、

 数年前その米朝が知らせてよこした上方艷色噺を順々に紹介して見よう。

と「数年前」としている。これは後述するように『艷色落語講談鑑賞』の執筆に当たって師弟でやり取りがあったはずなので、連載の始まった昭和26年(1951)以降「知らせてよこした」と見るべきだと思う。

 そして77頁11行め〜81頁「三」節に『尾上多見江*1』、続いて82〜84頁2行め「四」節に『鼠の耳』、そして84頁3行め〜86頁8行め「五」節に題になっている『紀州飛脚』の、合計3話を、在阪の弟子から、3通の書信を以て伝えられたものの如く紹介している。

 その「四」節の冒頭にも、82頁2〜6行め、

 つづいて桂米朝は、『鼠の耳』という上方噺をつたえて来た。

 先年死んだ桂春団治(先代が一世を驚倒させたので初代と呼び、当代を二代目としているが、じつは三代目。この例は落語界には多く、円遊・猫八、百面相の鶴枝みな然りである)君が得意にしていたそうで、それについて/米朝は、まだ故人が達者なころ上京来泊したとき、私に言った。

 米朝「しかしこれはなあ先生、河合さん(春団治の姓)の名は出さんとおいてやっとおくれやす」


 以下、その理由についての師弟の問答が描写され、82頁17〜18行め、

 私「わかった、わかった。噺そのものだけをかくことにするよ」

 こう約束して別れた私たちだったが、もうその春団治もなくなったから差し支えなかろう。

と云うのであるが、桂米朝が書信で『鼠の耳』を伝えてきたのは二代目桂春団治(1894.8.5〜1953.2.25)の生前で、だから初出誌「あまとりあ」に発表するに際し、注意すべきこととして直接伝えているので、初出誌の刊行も二代目桂春団治の生前、書信から初出誌発表までも、そう隔たっていないであろう。従って、ここもやはり単行本収録に際してかなり加筆されているはずで、すなわち「先年死んだ」としながら括弧内の「当代を二代目」が初出のまま修正されていないらしいところにも、このことが窺われるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「おのえたみえ」。

2018-02-17

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(24)

豊田善敬・戸田学 編『桂米朝集成』(2)

 このシリーズは、新聞・雑誌・パンフレット等に発表して単行本には収録されていなかった文章や対談を集成したものだが、中には纏まった記述のない事項に関して、編者が準備して聞き手を務めた〈新収録〉の対談・インタビューもあり、既刊の『上方落語ノート』全四冊(青蛙房)等と併せて参照することで桂米朝と云う人の考えや知識・記憶をより詳細に把握出来る労作なのだが、索引がないので数多く登場する有名・無名の人物について、特に無名の人物について、記載の有無を確認するのが難儀である。もちろん事項索引もないから演題についても同様である。もちろん読み込んで内容を十分把握した上で利用すべきなのだが、そうも言っていられないのでやはり索引は付けて欲しいと思うのである。――大学院生の頃には、私は索引のない本の索引を自分で拵えたものだったが、今はそんな暇もない。本当に私の院生時代は贅沢に時間を使っていた。その成果を公開することも当ブログを開設した理由の1つだったのだが、目先のことに追われて、なかなか昔やったことを再確認する余裕が持てない。やはり、飽くまでも手控えであって、完璧ではないのである。だから見直すといろいろ不満もあるし、私は図書館派で索引を作った本を持っていないから、所属館を探して借り出して、その上で改めて確認しないといけない。それが今となっては何とも面倒なのである。

 それはともかく、『【第四巻】師・友・門人』59〜99頁「二 わ が 師」は61〜86頁が正岡容、87〜99頁は四代目桂米團治についてで、75〜86頁に「資料 艷色落語 紀州飛脚*1」として正岡容の文章が収録されている。

 これは、2015年8月7日付(22)に触れた「あまとりあ」第二巻第十一号掲載の「艶色噺「紀州飛脚」」と同じものだと思う。「あまとりあ」の第一巻は昭和26年(1951)、第二巻は昭和27年(1952)、第十一号について、検索しても詳細な情報はヒットしないが、11月号(昭和27年11月1日発行)は買取サイトに目次が示されていて第十二号と分かる。従って、第十一号は10月号である。昭和27年(1952)12月25日発行の『艶色落語講談鑑賞』には第二巻第十号すなわち昭和27年(1952)9月号までの分が纏められていることになる。そうすると、最後、86頁9行めに始まる「六」節に言及されている「九月十三日」付の「第三通めの米朝の手紙」は、昭和27年(1952)9月13日付だろうと見当が付けられるが、最後の3行(16〜18行め)に、

 ……それから数年後の今年昭和三十年春、JOBKの演出で西下したとき、偶々宝塚での上方落語若/手研究会(ついに成立した!)へも行き、成長した米朝や小文枝、米之助、春坊などたのしく聴いて満足し/た。上方の空は青く、よい春の日がつづいていた。              (昭和三十年八月) 

とあって、ここは初出から「数年後」の昭和30年(1955)に加筆されたものであることが分かる。本文にも改稿があるらしく、それは「一」節(75頁3行め〜77頁4行め)の冒頭(75頁4〜8行め)に、

 私の門生のひとりに、桂米朝がいる。

 かつて大東文化学院に学んだころ私の門を叩き、はや十余年に及んでいる。昭和二十六年秋急逝した/桂米団治に話道を学び、復興途上にある上方落語界の若手として、いまBK(NHK大阪放送局)その他に/活躍している。あとがきでも書いたよう他の門生も新劇俳優や女流浪曲や――いかにも私らしいといえ/よう。

とあることが引っ掛かっていた。407〜457頁「九 桂米朝 年譜」で確認しても、正岡容の門人になったことは410頁「昭和一八年」条に見え、初出の昭和27年10月では数えで丁度10年にしかならない。まぁこれは正岡氏が正確に記憶せず、うろ覚えで書いた可能性もあるけれども、前年のことを「昭和二十六年秋」と書くのも、それから「あとがきでも書いた」も、妙だと思ったのである。

 そこで459〜464頁「初出一覧」を見るに、やはり『艶色落語講談鑑賞』以後の掲載分も「今年昭和三十年」に、単行本に纏められていたのである。(以下続稿)

*1:ルビ「きしゆうびきやく」。

2018-02-16

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(23)

 2015年8月7日付(22)に、初出の雑誌「あまとりあ」での掲載順を示し、連載の続きに単行本『艷色落語講談鑑賞』に収録されていないものが4話あることに注意して置いた。

 今年度、私は十数年振りに下り電車に乗って通勤することになったので、なかなか都内に出る機会がなく、地下鉄に乗り換えるのが特に面倒なので、まだ1度も国会図書館に行かないままである。貨物列車をよく目にするようになり、朝な夕な、しみじみ旅情を感じるようになった。そんな訳で他の、雑誌を豊富に所蔵する施設にも殆ど出掛ける余裕がなく、雑誌「あまとりあ」を閲覧する機会を得ていない。いや、何処に所蔵されているのかも、実は調べていなかった。

 さて、昨年末より「三年酒」のことを調べるために、ぼちぼち上方落語関係の書籍を借りているのだが、「三年酒」自体が殆ど演じられることのない話なので、当然、書籍にも殆ど取り上げられていないのである。

豊田善敬・戸田学 編『桂米朝集成』全四巻(岩波書店四六判上製本*1

第一巻】上方落語(2004年11月2日 第1刷発行・345頁)

桂米朝集成〈第1巻〉上方落語(1)

桂米朝集成〈第1巻〉上方落語(1)

【第二巻】上方落語(2004年12月3日 第1刷発行・348頁)

【第三巻】上方文化(2005年1月26日 第1刷発行・382頁)

【第四巻】師・友・門人(2005年2月25日 第1刷発行・466頁)

 書影は函。どこかで見た記憶はあるが、私の手許にある某市立図書館蔵書は函が付いていない。このシリーズも、図書館で見掛けると立ち読みをしばらくしてしまうのだけれども、重たいので、これまであまり借りたことがなかった。借りても通読する余裕はないので、先月来ときどき眺めているのだが、やはり「三年酒」に触れているところはないらしいのである(確実に「ない」とは言えないが)。

 本書の由来は、第一巻の前付v頁、桂米朝「はじめに」に、2〜4行め、

 私も長年の間に、著書というものを三十冊くらい出しており、自分でも驚いたが、その他、あち/こちに書き散らした雑文駄文、これはもう数え切れません。と、それらを集めて本にしてみようと/いう御方が現れました。

とあり、第四巻465〜466頁、桂米朝「あとがき」にも、465頁2〜6行め、

 私の古い文章――今までの著作に収録されていないものを集めて本にしたら……と言われて、考/えてみると、あちこちへ書き散らしたものの中にも、ちょっと記録して*2残しておきたいものもある/か、と思って「それも良いでしょう」と言ったら、私自身びっくりするほど出てきました。

 私が完全に忘れていたものもあり、それが案外な量になりました。三冊や四冊には収容しきれな/いときいてますますおどろいている次第です。‥‥

とある。

 この提案をした「御方」が編者の豊田戸田の両氏で、編者の側の説明は、各巻前付にある、2頁(第一巻vii〜viii頁第二巻v〜vi頁頁第三巻vii〜viii頁第四巻v〜vi頁)の編者「まえがき」の、各巻に共通する最初の2段落に見えている。

桂米朝集成』全四巻は、人間国宝(重要無形文化財保持者)にして文化功労者である落語家・桂米/朝師が、昭和二十年代から現在までに執筆してきた芸能・文化の研究と評論などの著作物から、単/行本未収録分の論考・随筆・対談を中心に、各テーマごとに厳選し構成するものである。

 桂米朝師は、衰退したといわれた上方落語界を、今日のような隆盛にまで導き、再興させた功労/者であることは広く知られている。と同時に、芸能・文化の分野においても、作家・研究家として/活動し、本職の落語におとらず広範で貴重な仕事をされている。落語家としての活動とともに、著/述家としての仕事も、また、文化人・桂米朝の根幹を成していると言えよう。


 以下各巻の編集について説明している。――ここでは「衰退したといわれた上方落語界」に、ちょっと引っ掛かる。「衰退した」のは事実なので「といわれた」としなくても良いだろう。「といわれた」と云うのならここは「滅んだと言われた」とすべきだと思うのだけれども。(以下続稿)

*1:【2月19日追記】「 編」が落ちていたのを補った。2月17日付(24)及び2月18日付(25)も同じ。

*2:原文のママ、「記録として」ではないか。

2018-02-15

宇井無愁の上方落語研究(7)

角川選書11『日本人の笑い』(6)

 2月12日付(5)の続きで、六版の奥付について見て置こう。

 3版と違って縦組みでやや左寄りで右の余白が広い。まづ縦線(13.7cm)の2本の間(0.7cm)最上部にやや小さく「角川選書――11」とあり、その左は上段が狭く下段が広い2段組、上段には右寄りで

日本人の笑い

昭和四十四年一月二十日 初版発行

昭和五十一年六月 十 日 六版発行

著者――宇井無愁

©Mushu Ui 1969

Printed in Japan

とあって文字はやや小さく、ゴシック体は全てやや小さい。明朝体は標題と著者名のみ大きく、アルファベットの行は横転。行間は発行日の2行のみ詰まる。但し文字の大きさはブラウザによって表示が変わって調整が難しいので、明朝体で大きい文字は仮に灰色太字で示した。

 下段との間、中央やや上に羽を銜え翼と脚を拡げた鳳凰、下段には

発行者――角川春樹 発行所――株式会社角川書店

東京都千代田区富士見二―一三―三 郵便番号一〇二

電話東京〇三―二六五―七一一一(大代表) 振替東京三-一九五二〇八

装幀――杉浦康平 協力――鈴木一誌+杉浦冨美子

印刷所――暁印刷株式会社 外装印刷――旭印刷株式会社

製本所――株式会社宮田製本所

定価はカバーに表示してあります

落丁・乱丁本はお取り替えいたします

0310-703011-0946(1)

とあって、漢数字は全て半角、最後の算用数字の1行は横転。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 背黄青鸚哥に与えた青梗菜の芯を水に浸けて置くと切り口に根が出て来る。これを土を掘って植える。例年腰の高さくらいに成長するのだが、今年は寒さで成長せず、その上1週間ほど雪に埋もれて枯死はしなかったが殆ど育っていない。芯から成長した青梗菜は、背黄青鸚哥は食べないので、野菜も高いことだし私が食べようと思っていたのだが、なかなか上手く行かないものだ。庭の梅は雪の前に1輪咲いていて、雪にも耐えていたが今や五分咲きになった。雪の影響が全くなかったかと云うと、蕾が相当数落ちたようだ。そして、梅花を見ると思うのだ、いよいよ花粉の季節だと。