『学校を出よう! 5・6』(谷川流/電撃文庫)

学校を出よう!〈5〉NOT DEAD OR NOT ALIVE (電撃文庫)

学校を出よう!〈5〉NOT DEAD OR NOT ALIVE (電撃文庫)

学校を出よう! (6) VAMPIRE SYNDROME 電撃文庫 (0996)

学校を出よう! (6) VAMPIRE SYNDROME 電撃文庫 (0996)

 第三EMP学園内でまたまた事件が発生するわけですが、今度は吸血鬼事件の勃発です。とは言え、そこは『学校を出よう!』シリーズのことですから、ヘルシング教授を呼んで来いとか心臓に杭を打ち込んでニンニクを詰め込む、というような話にはなりません。EMPとの関連性が疑われますし、さらにはお約束通り「吸血鬼とは何か?」という点についてのペダンティックな楽しいやり取りもあります(この点に興味のある方には、長門有希の100冊にも選ばれている『吸血鬼伝承「生ける死体」の民俗学』がオススメです)。
 また、吸血鬼騒動を内的事情としますと、外的事情として、〈アスタリスク〉に〈インスペクタ〉、〈インターセプタ〉という上位世界の住人である超越者たちが、いよいよ読者の目に分かるかたちで動き始めました。自らの世界の上位性を維持するために作中世界への過度の干渉を志向する〈インスペクタ〉と、できるだけそれを最小限に抑えようとする〈インターセプタ〉、両者の判断を審判する〈アスタリスク〉、という構図のようですが、詳しいことはまだ分かりません。
 〈アスタリスク〉の介入によって、上位世界の存在に気付きそうな者(とりあえず宮野のことですが)が、それを確信しちゃいそうになったとき、作中時間は設定ポイントまでリセットされ、それに気付かれることのないように誘導する力が働きます。上位世界と下位世界との住人の関係はいまだ不明瞭な点ばかりですが、何となく物語におけるストーリーとキャラクタの関係に類似していると思います。キャラクタは作者の作ったストーリーをなぞって動きますが、存在感を持ちすぎたキャラクタの言動はときに当初のストーリーすらも書き換えてしまう、そんな関係ではないでしょうか。作者の物語に対するメタな考え・迷いをプロット化して物語に押し込めたもの、それが本シリーズの正体な気がします。本シリーズは、メタな物語にありがちな開かれた結末ではなく、閉じることにこだわります。時間的ループを閉じ、〈シム〉も全て消滅させ、平行世界の無限性も否定しました。本書の結末もまたしかりです。そうすることで、無数に存在する物語のひとつであるこの物語が、”今ここにある物語”として僅かながらでも価値のあるものとしていられるのだと、本シリーズはささやかに主張しているのではないでしょうか。それはまた個人の存在について当てはまります。だからこそ、本シリーズは基本的にドタバタ超能力バトルものであるにもかかわらず、どこか切ない雰囲気があるのだと思います。
【関連】西尾維新『戯言シリーズ』と谷川流『学校を出よう!シリーズ』を対比させてメタについて考察してみました。
 ところで、本書を読んで私はP・K・ディックの『ユービック』を思い浮かべました。『ユービック』には、予知能力者・反予知能力者といった能力者たちが登場しますが、そうした存在はEMP能力者に近いものがあります。また、やはり『ユービック』には死の瞬間を引き伸ばされている半死者(半生者)が存在しているのですが、それもまた本書の吸血鬼を思わせる設定です。さらに、『ユービック』に登場する能力者の中には、過去に遡り現在を変えることで予知の前提を覆してしまう能力者がいます。その能力が発揮されると、能力者以外の人物は歴史が書き換えられていることにまったく気付けません。奇しくも本書で〈アスタリスク〉がしていることと同じような現象が起きてしまっているのです。さらに、ネタバレになっちゃうので詳しくは書けないのですが、世界の内外といった問題も生じてきます。『学校を出よう!』がタイトルどおり外向きなお話なのに対し、『ユービック』は内向的で陰鬱です。そうした読後感の違いを脳内で味わうとたまらないものがあります(←悪趣味)。どっちもオススメです。
ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

【関連】
プチ書評 『学校を出よう! 1』
プチ書評 『学校を出よう! 2』
プチ書評 『学校を出よう! 3』
プチ書評 『学校を出よう! 4』
『学校を出よう!』シリーズとP・K・ディック作品の関連性についての私論