『裁判員法廷』(芦辺拓/文藝春秋)

裁判員法廷

裁判員法廷

 本書は2009年から施行される裁判員制度を題材にした本格ミステリです。裁判員制度の眼目は何といっても国民の裁判への参加です。すなわち、一般市民から選ばれた裁判員が、裁判官と同じように証拠と証言を吟味することで事実認定を行うことで被告人の有罪無罪を決定し、有罪の場合には刑の量刑まで判断することになります。裁判員は六人で、職業裁判官の指揮の下で審理が行われるとはいえ、裁判員一人一人にかかる重責を想像するに正直胃が痛くなってきます(笑)。とはいえ、実際に裁判員制度が始まったら、ひょっとしたら私もあなたも裁判員に選ばれてしまうかもしれません。ですから、本書を読むことで軽いトレーニングをしておくのも悪いことではないでしょう。
 裁判員制度という近い将来に施行される制度を題材としているだけに、本格ミステリとしてときにアクロバティックな展開をみせつつも法律に即した流れで物語が進んでいきます。また、裁判内で提示された証拠や証言のみで有罪無罪の判断を強いられる裁判員の立場を描くために、舞台はすべて裁判所のなかに限定されています。さらに、実際に裁判員となった場合のプレッシャーを読者に実感してもらうための工夫として、本書では裁判員の一人を主人公(語り手)とした「あなた」による二人称視点の手法が採用されています。きわめて珍しい手法ではありますが、これによって読者は作中の裁判員の一人として事件に向き合わなければなりません。裁判員制度という題材を扱うのに実に適した手法だと思います。
 本書は3つの中編から成り立っています。1編1編が独立したものではありますが、裁判員制度の手続きの流れを理解するためには順番に読んだ方が分かりやすいと思います(そういう構成になっているので)。

審理

 最初のお話は、いわゆる法廷ミステリ(というよりゲームの『逆転裁判』)のように、被告人を挟んだ検察官と弁護人による弁論のやり取り、証拠の検証、証人への尋問と反対尋問といった手続きが裁判員の前で行われます。検察側は『合理的疑いを差し挟むことなく』有罪であることを立証しなければならないのに対し、弁護側は『合理的疑いを差し挟む余地』さえ立証すればよく積極的に無罪であることを立証する必要はありません。刑事裁判の基本事項です。ところが本書の場合、

「つまり弁護人は、『合理的疑い』をさらに越えた新しい真実の発見を、本法廷において披露されるつもりではないか、と」
(本書p18より)

と、被告人の無罪どころか真犯人の指摘までが弁護側の立証の射程圏内に入ってしまってます。純粋な法廷ものであれば真犯人を登場させる必要はありません。有罪か無罪か。ただそれだけです。ところがミステリの場合だと、真相は分からないけれど疑いが残るから無罪、ではカタルシスがまったく得られません。竹を割ったような合理的な解決が望まれます。本格ミステリであるなら当然そうあるべきです。しかしながら、法廷ものとして考えた場合には、無罪判決を下す際のモヤモヤ感も捨てがたいと思うのです。真犯人が別にいるのが明らかならば無罪判決を下すのに何の問題もありません。真犯人は分からない。けど、被告人を有罪にするには疑問が残る。そうした状況で無罪を決断しなければならないストレス。そういうのが欲しかったなぁ、と思うのはないものねだりの我がままかもしれませんけどね。

評議

 審理の後には、裁判官と裁判員による評議が行われます。審理によって示された証拠や証言について話し合って有罪無罪が判断されることになります。審理では裁判員は検察官や弁護人の主張を聞くという受動的な役割が基本です。しかし、評議となれば自らの意見を積極的に主張しなければなりません。被告人の人生を裁判員の見解が左右することになるのです。いうまでもなく責任重大です。
 この評議における議論の流れと有罪無罪の評決が揺れていく様子は読んでて面白かったです。収録作3編の中だと本作が一番好きです。
 正直、このトリックを普通のミステリに仕立ててしまったらおそらく凡作になると思います(ってか多分怒る)。でも、裁判員制度を題材としている本書のような構成のもとでは効果的なものに仕上がっています。トリックや真相よりも大事なものがこの場合にはありますからね。

自白

 被告人が自らの罪を認める、つまり自白するシーンから始まる本作は、英米流の陪審裁判とは異なる日本の裁判員制度の特徴を浮かび上がらせることになります。被告人がたとえ罪を自白したとしても、量刑の判断との関係から裁判員の仕事は依然として残るからです。それに、被告人の自白が事実と一致するとは限りません。また、被告人としては殺してしまったつもりであっても、法律的には傷害致死罪と判断するのが妥当というような場合もあります。トリッキーな出だしではありますが、刑事裁判と裁判員制度の論点を把握するのにもってこいの展開だといえるでしょう。
 出だしがトリッキーなら、審理と評議で確認されていく事実関係・タイムテーブルもまたかなりトリッキーです。いわゆるアリバイトリックめいたものになっていきますが、そこから真相が指摘される際のちょっとした趣向として語りの手法を少し捩れさせているのが面白いです。本書の主役はあくまでも裁判員なのです。
 裁判員制度という現実の法制度を題材にしているため、全体的に堅実(地味)なものに仕上がっていることは否定できませんが、その中でも本格ミステリ的な工夫は凝らされていますので、ミステリ読みにもオススメです。
 ちなみに、他に裁判員制度を題材に扱ってるものとして、漫画ですが『裁いてみましょ』(きら・クイーンズコミックス)や『Q.E.D 27巻』(加藤元浩/月刊マガジンコミックス)なんかがオススメなので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいませませ。

裁いてみましょ。 (クイーンズコミックス)

裁いてみましょ。 (クイーンズコミックス)

Q.E.D.証明終了(27) (講談社コミックス月刊マガジン)

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