『パルテノン アクロポリスを巡る三つの物語』(柳広司/実業之日本社文庫)

パルテノン (実業之日本社文庫)

パルテノン (実業之日本社文庫)

「あの方は、つねにこう言っておられますわい。『神々はいつも曖昧な嘘をつく』とな」
「神々が嘘をつく、だと?」
「そうじゃよ。まあ、よく考えてみなされ。たとえばいま、あんたが尋ねたデルポイの神託にしたところで、つまりはどうとでも取れる言葉ではないかね?……あのときも、テミストクレス様は『自分の都合の良いように解釈しただけだ』と笑いながらおっしゃっておられましたわい」
(本書p126〜127より)

 歴史小説とミステリの面白さとして共通するのは解釈の面白さでしょう。
 歴史小説は、史実に拠りながら独自の解釈を施すことで一篇の物語として描き出します。ミステリは、作中で起きる謎について、それを記述している文章を推理力や想像力を発揮しながら解釈することによって真相を導き出します。そんな解釈の多様性の面白さが、歴史小説とミステリという2方向のジャンル的価値観から強調されているのが本書の、ひいては柳広司という作家が有する特筆すべき作風だといえるでしょう。本書はそんな柳広司らしさが存分に楽しめる作品です。
 本書は、ミステリとしてはそんなに複雑なものではありません。むしろ親切に過ぎるとすらいえます。そのため謎解きという意味では少々物足りなさを感じるかもしれませんが、しかし、上述のような解釈の面白さを存分に堪能することができます。
 本書には、副題にもあるように紀元前5世紀のギリシアを舞台とした「巫女(ピュティア)」「テミストクレス案」「パルテノン」という三つの物語が収録されています。この三つという数字にはちゃんとした意味があり、本書のサブテーマともいえる問題意識と深く関わっていると考えられます。それは「パルテノン」において顕在化されますが、多数の市民による”民主制”と少数貴族による”寡頭制”という国家の仕組みについての政治制度の対立という問題です。
 現代国家の多くが民主制を採用しているのは周知の事実ですが、その民主制を補完しているのが三権分立という制度です。すなわち司法・行政・立法という三権が互いに権力を分け合い監視し合うことで人権を保障しようという制度です。そして、本書の三つの物語はそれぞれの権力について主眼を置いた物語となっています。すなわち、「巫女(ピュティア)」は神託という判決、つまりは司法府についての物語だといえます。「テミストクレス案」はテミストクレスという英雄、現代風にいえば大統領ともいえる存在についての物語であり、つまりは行政府についての物語だといえます。そして「パルテノン」はペリクレスという政治家と市民の関係を描いた立法府の物語だといえます。このように、本書は民主制という国家体制を三つの物語によって立体的に描いた物語なのだと考えられます*1
 民主制の基本は表現の自由です。市民一人ひとりが自由な意見を述べることで政治へ参加するのが民主制の基礎となります。独裁者一人の考えではなく、市民一人ひとりの多様な考えによって国が治められるのが民主制です。「探偵小説は市民社会の産物だと言われている。」*2という言説もありますが、多様な考えは多様な解釈とも通じます。つまり、歴史小説やミステリといったジャンル的お約束の中から解釈の多様性という面白さを抽出し、さらにそれを民主制の意義へと結び付けるという壮大な目論みが本書では試みられているといえます。
 加えて、三つの物語はそれぞれ「真・善・美」を描いた物語として把握することもできるでしょう。このように、解釈の多様性を謳っている本書そのものについても様々に解釈する面白さが備わっています。それこそが本書の真価です。多くの方にオススメしたい一冊です。

*1:もっとも、これらの三権は互いに関連しあっていますから単純に割り切れるものでもありません。例えば「テミストクレス案」と「パルテノン」にしても市民による裁判が重要な役割を担っているという意味で司法府の物語であるともいえます。いずれにしましても、本書は三つの物語によって民主制というものを描き出そうとしているといえるでしょう。

*2:【関連】ミステリと民主主義 - 三軒茶屋 別館