『“菜々子さん”の戯曲 小悪魔と盤上の12人』(高木敦史/角川スニーカー文庫)

「わたしはね、昔から、ひとが何を考えているか考えるのが好きなのよ。で、もしこの人がわたしの思ってるように動いて、わたしの狙った通りのことをしてくれたらすっごい愉快だなあって。そういうの」
 その次の一言でおれは。
「わくわくするの」
 戦慄した。彼女はいま、つまりこう言った。
 わたしは、ひとを操るのが、好き。
(本書p65より)

 まさかのシリーズ2作目です。
 ミステリというジャンルでは、”操り”は大きな論点のひとつです。”操り”の問題を扱っている多くの作品においてそれは、探偵対黒幕=真犯人という図式で理解されることが多いです。例えば、黒幕は探偵に対して誤まった証拠を提示することで、探偵の推理を誤まった方向へ導き、自らの犯罪を隠して身の安全を図ります。また、アニメ化や映画化された『DEATH NOTE』(デスノート)などは、夜神月=新世界の神という操る側の視点から探偵=Lとの対決を描いたミステリとして理解することができますし、”操り”というものを「デスノート」というアイテムを用いることで少々乱暴ながらも分かりやすく描いた作品ともいえるでしょう。
 ところが、本書の場合には、そんな操り役と探偵役とが、上述のような分かりやすい対立関係にあるわけではありません。そもそも本作はシリーズ2作目ということもありまして、菜々子さんは前作までのキャラそのままに自らの黒幕気質を早々に明かします。そして、それを明かされる本書の探偵役にして主人公である宮本くんも、そんな彼女を忌避するでもなくむしろ惹かれていきます。
 本書は副題に含まれている”盤上”という単語や、表紙カバー絵にて菜々子さんが手にしているチェスの駒と背景のチェス盤や、作中でぼチェスの盤と駒を用いた暗号など、ところどころチェスが小道具として用いられています。それは操る者=プレイヤーと操られる者=駒という関係性の分かりやすい比喩なのは間違いありません。一方で、チェスの盤と駒を用いながら、チェスのルールを無視した暗号というのが、本書の特異性を端的に表わしているように思います。普通じゃない価値観とルールに基づいてゲームを行いに互いを認め合う。言い換えれば、分かる人と分からない人とを峻別している、ともいえるお話です。
 そんな二人の関係は黒幕役と探偵役というミステリ的に奇妙で興味深い関係である一方で、学園ラノベとしての女の子と男の子という微妙な関係をはらんでもいます。副題にて”小悪魔”と称されている菜々子さんですが、菜々子さんが黒幕気質な理由は前作のエピソードを踏まえつつ本書でも説明されています。それはとても納得のいくものです。そんな彼女のために頑張ってしまう宮本くんの活躍もまた青春していて読んでてとても微笑ましいです。
 インターネットの世界では、いつでもどこかで誰かがとある問題について画期的なアイデアやら正しい見解やら賢い知見やらを述べています。そうすることで問題を解決した気になっている人もいれば、世界を大なり小なり動かそうとしている人もいます。それは、見ようによっては菜々子さんの姿にだぶっても見えます。ですが、それだけでは問題は往々にして解決しません。実際に解決する人・行動する人があって問題は解決しますし、そこにはまた違った困難がついて回ります。そんなネット世界と現実との関係にまで無駄に思いをはせてしまいますと、行動する探偵である宮本くんにはこれからも是非頑張って欲しいなぁと思ったりです。もっとも、続編が出るとしてもその登場人物に宮本くんがいるのかどうか、私には分かりませんけどね(笑)。
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