『四人の申し分なき重罪人』(G・K・チェスタトン/ちくま文庫)

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)

「ここでは我々はみんなきわめて陽気だ。忌まわしく不快な犯罪で評判は散々だがね。真実を言えば、我々は新しい種類の探偵小説――お望みなら探偵の行といってもいいが、そういったものに身を捧げてきた。我々が追い求めるのは犯罪ではなく、隠された美徳なのだ。時にはマラリックの場合のように、それは巧妙に隠されている。必然的に、世の人々の理解を得ることは難しい。我々は自分たちの美徳を目を瞠るような手段を用いて隠してきた」
(本書p23より)

 本書は新聞記者のプロローグとエピローグに挟まれた四つの中編集です。プロローグによれば、チェスタトン自身は少し変わった探偵小説として書いたという意図が明らかとされていて、それについて別段異存があるわけではありません。しかしながら、私としては本書は探偵小説というよりまずは犯罪小説として本書を捉えたいです。
 犯罪とは、刑法学的には「構成要件に該当する違法有責な行為」と定義されますし、ひいては国家によって国民の行為が規律されるという国家と国民の関係とが問題となります。本書で描かれている四つのエピソードは、そうした犯罪の定義や犯罪の本質といったものに対して、チェスタトンならではの「逆説」で軽妙に踏み込んでいます。
 植民地批判や進化論、資本主義と富の分配といった当時の世相的背景は古典でありながら現代的です。また、四編すべてロマンスによるストーリーテリングが図られているので読みやすいです。とかく小難しいというイメージによって敬遠されがちなチェスタトンですが、本書は比較的オススメしやすい一冊だといえます。

温和な殺人者

 本作は、刑法的には主観的な認識と客観的な事実との間の不一致の問題という錯誤の問題を提起しているといえます。その真相・真意はミステリ的な意味で非常に面白いのはもちろんのこと、刑法的にも興味深い問題提起だといえます。ただ、一般的にはやはり行為の外形的な危険性ゆえに警察側の主張が通ることになると思われますが、その点、舞台がイギリス統治下のエジプトということで政治的意味合いを持たせることによって単純な法律論ではなく政治的な要素が解決に絡められているのが巧みです。

頼もしい藪医者

 本作での医者は精神科医としての役割を担っています。つまりは犯罪論における責任の問題について本作は焦点が当てられています。責任論を巡る狂気の問題。常識によって描かれる非常識な構図。非常識によって語られる素朴な真実。真実への謙虚な姿勢。真実の探求の名の下にどこまでも踏み込むことが正当化される探偵小説の体裁をとっているからこそいえること・いわなくてはいけないことを主張している作品だと思います。

不注意な泥棒

 ありていにいってしまえば義賊を描いたお話なのですが、それにここまでの社会性を持たせたのが本作の特徴だといえるでしょうか。社会性というのは資本主義や社会主義といった経済的な単位を意味したり、窃盗という法律の保護法益を巡る法的な意味での社会だったり、あるいは、家族という最小単位での社会だったりします。窃盗という個人法益に対する罪を対象にして社会法益まで無理なく論を広めているのが本作の面白いところだと思います。

忠義な反逆者

 革命と改革の違いとはいったいなんでしょうか? 観念によって作られる国家像・犯人像。犯罪と小説の双方に共通する認識論だといえます。9.11を経験し、アメリカという巨大国家が小さなテロ組織に怯え警戒しなければならない現代においては、本作で描かれるような構図を単なるホラ話として一笑に付すことはできないでしょう。