「イデア」の世界に連れてって

突然ですが、リンゴを一つ頭に思い浮かべて下さい。
あなたの頭の中には、どんなリンゴがイメージされたでしょうか?
 
それでは続けて、その頭の中のリンゴについて質問です。
そのリンゴと同じものはどこで手に入るでしょう?
スーパーマーケットですか?青森のリンゴ園ですか?
 
実際に、スーパーや青森に行ってリンゴを手にとってもらえばわかりますが、
頭の中のイメージに寸分たがわず、全く同じリンゴは存在しないはずです。
これは、頭の中にイメージされたリンゴが完璧すぎるからです。
実際あなたがイメージしたリンゴは、左右対称の完璧なリンゴではなかったですか?
それに対して、現実世界のリンゴはどこかいびつな部分があり、完璧ではありません。
 
この頭の中にイメージされる完璧なリンゴの方を、リンゴの「イデア」と申します。
イデア」のウィキペディアこちら
 
イデア」とは、古代ギリシャの哲学者プラトンの提唱した概念です。
ウィキペディアによると、
プラトンはこのようなことを言っています。
 我々の魂は、かつて天上の世界にいて「イデア」だけを見て暮らしていたのだが、
 その汚れのために地上の世界に追放され、
 肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。
 そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、
 以前は見ていた「イデア」をほとんど忘れてしまった。
 だが、この世界で「イデア」の模像である個物を見ると、
 その忘れてしまっていた「イデア」をおぼろげながらに思い出す。
 
プラトンは、魂と体は別のものであるという二元論をとっています。
そして、魂は不死であり輪廻転生するものであるという考え方をしていました。
そうした時に、魂が天上世界にいる時に見るものが「イデア」であるという訳です。
一方、こちらの世界にあるものは何か?
それらは、全て「イデア」の劣化版コピーなのです。
 
だから、頭の中にイメージされる美しいリンゴは、
現実世界のどこを探しても見つかりません。
同じ理由で、例えば完璧な円も実際の世界には存在しません。
どうしてもミクロン単位ではいびつになってしまうからです。
結局、完璧な円も私たちの頭の中にのみ「イデア」として存在している訳です。
 
こうやって考えていくと、不思議なことに気づきます。
私たちは現実世界にないものを、なぜ頭の中にイメージできるのでしょうか?
この疑問に対する一つの答えが、プラトンの「イデア論」である訳です。
 
また、プラトンの「イデア論」を使えば、「美」の不思議もクリアになります。
例えば、AとBのリンゴ2つを見比べた時にAのリンゴを美しいと感じたとします。
これは、Aのリンゴの方がより「イデア」に近いフォルムだと判断した結果と言えます。
すなわち「美」とは、「イデア」にどれだけ近いかという尺度であると捉えられる訳ですね。
この考え方を使えば、
「美」の感じ方が個人の価値観を超えて人類全般に普遍であることも説明できそうです。
 
また、私たちが頭の中で自分自身を想像すると、
実際に鏡に映る姿よりもかっこよかったりします。
これも「イデア論」的に考えると、鏡に写る姿の方は仮の姿で、
頭の中にイメージされる姿が本当の自分となる訳です。
  
ちなみに私の体型も、頭の中で想像する姿はすごいかっこいいんですよ。
鏡を見て幻滅する毎日ですが(笑)、
皇居ラン等を通じて、本来の自分の姿を取り戻したいと思っています(笑)。