逆エビ日記Ver3.0  Twitter

2018年10月12日 金曜日

[] 八木哲大選手のこと。  八木哲大選手のこと。を含むブックマーク

新日本プロレスから八木哲大選手の退団が発表された。2017年5月にヤングライオンとしてデビューして1年、これからどんなプロレスラーに花開くのだろう、と思っていた矢先だけに正直、とても寂しい。

八木選手には今年の3月に、新潮社/編 『NEW WORLD2―新日本プロレス公式ブック―』 | 新潮社のためにインタビューをさせて頂いた。この本で私は第三世代と、それからヤングライオンを繋ぐ新日本プロレスの伝統について書こうとしていた。時代や見せ方が変わっても、あの野毛の道場で脈々と受け継がれてきた新日本プロレスの魂とはいったいどんな言葉で表されるのか、それをベテランの永田裕志選手と、一方新日本プロレスのレスラーになったばかりの八木哲大選手から聞かせてもらいたかった。

いつもセコンドで他のヤングライオンたちと一緒にかいがいしく働く八木選手の姿を記者席から眺めていた。同期の中でも野球マンガの主人公のような硬派な雰囲気を持つのが八木選手。そう覚えていた。寡黙なのかな、と思っていたら、実際にお会いした八木選手は喋り上手で、楽しく興味深い話をたくさん聞かせてくれた。

小学校の頃から大学までずっと野球をやっていて、肩を壊してたまたま訪れたのが新日本プロレスのメディカルトレーナーを務める三澤威先生のミサワ整骨院だったこと。そこで誘われて2015年4月の新日本両国大会で、生まれて初めてプロレスを見たこと。

「野球より面白い!なんで野球やってたんだろう!なんでこれ今まで知らなかったんだろう!って思っちゃいました」

その時の感動を、目をキラキラさせながら八木選手は話してくれた。棚橋弘至選手がブログで書いていた通り、棚橋選手からも「一緒にやろうよ」と誘われたという。https://ameblo.jp/highfly-tana/entry-12411510948.html

「よーしやってやる!って(笑)。だってあの棚橋さんから誘われたら、ねえ!」

そして自主トレーニングを積んで見事入団した後は、永田選手が「あんな不器用なヤツ見たことなかった」というほどの不器用さに悩みつつ、同期の何倍も苦労して、晴れてプロレスラーとしてデビューしたのだ。

忙しいセコンド業の合間に、どんなお客さんよりも近い距離で見る、試合の面白さ。1試合1試合歴史的な瞬間に立ち会っている、第1試合でも第2試合でも、その日その地方での試合はひとつしかない。その意味を、八木選手は理解していた。そして将来自分がどんなプロレスラーになりたいか、いろいろと頭を巡らせていた。でも、ヤングライオンは目立つこと、個性を出すことよりも、まずは言われたことをきっちり出来るようになること。「それじゃ面白くないって人もたぶんいると思うんですけれど、今はそれでいいのかなと僕は思っています」とも話してくれた。

そして八木選手は一度、セコンドでありながら鈴木みのる選手にバリカンで髪を刈られる、という目に遭っている。

「でもそれを機に絶対ヘビーでやってやるよ!と思いました。僕ジュニアかヘビーかで迷ってた時期があったんですけれど、完全に髪を切られたのがきっかけでヘビー級志望になりました。いずれはリング上で鈴木さんと」

せっかくヤングライオンから髪が伸びたところをバリカンで刈られ、またようやく伸び始めた頭に手をやりながら八木選手はこんな話をしてくれたのだった。八木選手がヤングライオンから卒業してヘビー級戦士になって、いつか鈴木みのるvs八木哲大という試合が実現したら、絶対この話をどこかで書こう。そう思っていた。

今年の4月に腕を骨折して、欠場したまま退団という選択をした八木哲大選手。もちろんケガだけが原因ではなくて、永田選手が「とにかく真面目」というほど真面目な八木選手のことだから、ご自身の人生について考えすぎるほど考えての決断だと思う。もう新たなスタートを切っている、という八木選手に最後に直接エールを送れなかったのは残念だけれど、きっと八木選手のことだから、どんな新しい世界でも真面目に、立派に、進んでいけることだろう。

そして人生においてもっとも厳しく過酷な時間を、あの新日本プロレスの野毛の道場で過ごし、それを乗り越えることが出来たということが、八木選手のこれからの人生において自信になるといいなと思っている。そして20歳を過ぎて初めてプロレスを見て、「こんなに面白いものがあるなんて!」と彼の人生を変えたように、この先またもっとわくわくするような、楽しく素晴らしいものとの出会いがあればいいなと願っている。

八木哲大選手、どうか元気で。お話聞かせて下さって、ありがとうございました。

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2018年09月18日 火曜日

[] 山本KID徳郁選手がいた時代。  山本KID徳郁選手がいた時代。を含むブックマーク

山本KID徳郁選手が亡くなった。41歳という若さ、ガン闘病を公表してからまだ1ヶ月も経っていない。あまりのことに事実を受け止め切れず、KID選手の試合を思い返している。

村浜戦、宮田戦、鮮烈な試合はいくつもあるけれど、やはり思い出すのは2004年大晦日に行われたK-1 Dynamite!!での魔裟斗戦だ。階級も違う、バックボーンも違うスーパースター2人が、同じルールのもとにリングで向かい合った。KIDの挑発によって実現したこの試合だけど、魔裟斗は戦前「俺にメリットのない試合だ」と言い続けていたし、総合格闘技のリングで戦うKIDにとっては当然、アウェイのルールだった。そもそも体重差も体格差もあって、それでもKIDは魔裟斗に対戦要求したし、魔裟斗もそれを受けたからこそ実現した夢のカードだった。

1Rの目の覚めるようなKIDの左フック、2Rの打ち合い、そして3Rの劇画のようなクロスカウンター。今でもはっきりとあの時の興奮を思い出す。

格闘技はひとりでは出来ないから、素晴らしい対戦相手と相応しい舞台、そして名勝負があって初めてスーパースターが生まれる。魔裟斗vsKIDはそれを全部、兼ね備えていた。大晦日には民放各局が競い合うように格闘技の試合を紅白の向こうを張って放送し、お茶の間のテレビでみんなでそれを見ていた。ちなみにこの日、さいたまスーパーアリーナではPRIDE男祭りが行われていて、メインはヒョードルvsノゲイラである。そんな時代に生まれた、奇跡のような試合だった。

ところがそんな絶好調のさなか、山本KID選手はオリンピックを目指しレスリングに復帰するも肘を脱臼、夢は断たれる。その後の度重なるケガを思い返しても、あの時のレスリング復帰と大ケガさえなければと幾度も思ったけれど、山本家に生まれたKIDにとって、オリンピックを目指さないという道はあり得なかったのだろう。それが、山本家の、神の子KIDのさだめだったと思うしかない。

身体は小さいけれど誰よりも強気で、見た目がカッコ良くて、試合も面白くて、言葉も独特で、そして家族の物語がある。日本の格闘技が世界に影響を最も与えていた時代の、スーパースターだった。ゴングが鳴る前から相手を圧倒するあの野性味溢れる立ち姿。身体中から光が、溢れていた。

自身がケガで思うように試合が出来なくなってからも、堀口恭司のような弟子が世界に羽ばたいていった。お姉さんの美憂さんや甥っ子のアーセンの総合格闘技デビューを全力サポートした。そして世界中に、山本KIDに憧れて格闘技を始めた選手たちがいる。

リング上でもリングを降りても、激しく眩しい人生を送ったひとだと思う。でもいくらそれが激しく早回しのような人生であったとしても、短く終わっていいわけがない。2015年に11年ぶりにエキシビションで拳を交えた魔裟斗さんとの、「次は10年後」との笑顔の約束も実現して欲しかったし、堀口恭司vs那須川天心も見届けて欲しかった。

今回、2年前から闘病していたという報道があり、それ以前からいくつもケガを抱えていたKID選手。あれだけ動けるひとが、思うように動けないのはどれだけもどかしく、辛いことだったろう。いまその痛みや辛さから解放されたのであれば、どうかまた天国で思う存分、羽ばたいて欲しい。

あれだけ強い絆を持ったご家族だったので、いまその悲しみはいかばかりかと思う。どうか空から、愛するご家族を支えて下さいと祈っている。

山本KID徳郁選手、生涯を賭けた戦い、本当にお疲れ様でした。これからもあなたのいくつもの戦いとその輝きを、忘れずにいたいと思います。

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2018年08月28日 火曜日

sayokom2018-08-28

[]里村明衣子が振り下ろしたカカト 里村明衣子が振り下ろしたカカトを含むブックマーク

センダイガールズプロレスリングの里村明衣子が、DDTプロレスリングの頂点、KO-D無差別級のチャンピオンになった。

これはもちろんKO-D18年の歴史の中で初めてのことで、男子の団体のトップのベルトを巻く女子プロレスラーというのはあまり例がなく、とてつもない快挙といっていい。

里村の対戦相手は男色ディーノだった。女子プロレス界の横綱、里村明衣子が、ゲイレスラーの男色ディーノに勝った。こう書くと試合を見ていない人たちだったら「ありそう」というふうに感じるかもしれない。でも、いくらゲイレスラーといってもディーノは生物学的に男なんだということを、今更のように今日は試合を見てつくづく感じた。あれほどまでに強く、誇り高い里村が、ディーノにコーナーに追いつめられて立ち上がれなかったり、腕を極められてエスケープまで封じ込められて逃げ場を失ったりするのだ。中でも象徴的だったのが、里村が鬼の形相で鋭いキックの連打でディーノを追い込んでいるのに、そのディーノの身体の圧で思わず腰を着いてしまった場面だった。こんなにまでに男子レスラーと女子レスラーは違うのか。奥歯を噛みしめている自分がいた。

男子だとか女子だとか、ゲイだとかいつでもどこでも挑戦権だとか、そういったことを超越して凄い試合だった。ディーノのキャプチュードも垂直落下式ブレンバスターもえげつなかったけれど、全く容赦のない角度でディーノの頭に振り落とされた里村のシャイニング・スコーピオンで里村はKO-Dに新しい歴史を作り、そしてディーノは両国のメインに立つ道を断たれた(その時は)。

試合後もいろいろあったけれど(参照) 、この日最後にリングに立っていた里村明衣子選手の言葉を何度でも繰り返したい。

「世の中の女性たち、もう我慢する時代は終わってるんだよ。男と対等に勝負出来ないなんて思ってるんじゃねえぞ。私はこれからどんどん男でも女でも強いヤツと対等に勝負してやるから、これからも里村明衣子をよく見ておけ!」

生きづらさを抱える女性の話は巷にも身近にも枚挙にいとまがなく、いくら勇気あるリーダーたちが戦ってくれても世の中は急には変わってくれない。でも、プロレスラーはリングに上がって男と1vs1で同じルールのもとで戦うことが出来る。そして勝つことが出来るのだ。私たちは理不尽な相手と1vs1で拳を交わす事は出来ないけれど、里村明衣子が今日戦って、そして証明してくれたこと、男と戦うことが出来ること、勝つことが出来るということが、戦えない自分たちの勇気になる。何より、里村明衣子を見てすっきりすることが出来る。誇らしく思うことが出来る。それは素晴らしいことだ。

悔しい女性は、里村明衣子を見るといい。絶対勇気が沸いてくる。自分も戦える気持ちになる。男子の頭に踵を思いっきり振り落とすことは自分は出来なくても、里村明衣子が代わりにやってくれる。ありがとう、里村選手。あなたはわたしたちの誇りです。

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2018年08月24日 金曜日

sayokom2018-08-24

[]G1決勝 棚橋弘至vs飯伏幸太、それは神話などではなく。 G1決勝 棚橋弘至vs飯伏幸太、それは神話などではなく。を含むブックマーク

今年のG1の決勝が棚橋弘至vs飯伏幸太、という顔合わせになった時、これはギリシャ神話だな、イカロスだな、と漠然と思っていた。ロウで固めた翼で太陽まで飛んでいく、あの有名な話だ。

もちろん太陽が棚橋弘至で、イカロスが飯伏幸太。太陽に近づくことで翼は落ちてしまうのか、それとも太陽を超えて、文字通り神を超えていくんだろうか、そんな風にロマンチックに考えていたのだけど、現実はそんな生やさしいものではなかった。

棚橋弘至は、魔王のように強かった。

あの日棚橋弘至は黒いコスチュームを選んでいた。恐らく自分のイメージに無頓着なはずがなく、あれははっきりと意志を持ってあの黒を選んだんじゃないかと思っている。ちなみに先立つAブロック最終公式戦のvsオカダ戦でも、棚橋は黒のコスチュームを着ている。

今回、大きな注目を集めていたのが飯伏幸太とケニー・オメガの物語だった。ちょうど10年前の夏、新木場のビアガーデンプロレスで運命的に出会い、6年前、ところも同じ武道館で伝説に残る試合をやってのけた2人が、G1クライマックスで三度向かい合う。前哨戦でも一度も触れなかったし、ケニーの入場を正視することも出来なかった飯伏だけれど、リングの中で向かい合ったその表情は感極まっていた。10年前、飯伏幸太と戦いたくて日本にやってきたのがケニーだったけれど、10年後、G1クライマックスのこの舞台まで飯伏幸太を連れてきてくれたのは、たぶんケニーだった。一度はプロレスを諦めかけて、私たちの前から消えてしまった飯伏だったけれど、ケニーが新日本で死にものぐるいで身体を張り、みんなに認められる試合をひとつずつ積み重ねて、そしてあれほどまでに欲していた「ナンバーワン」の座に上りつめる過程が、飯伏を発奮させなかったはずがない。

飯伏が入場し、約束通りそっとケニーがセコンドに付く。そして入場してくる黒いコスチュームの棚橋。そのコーナーに控えていたのは、柴田勝頼だった。武道館がどよめき、そして棚橋コール。その瞬間、これはもう勝てない、と心のどこかで感じていた。ケニーと飯伏の物語に、柴田勝頼と棚橋弘至の物語がぶつかる。ケニーと飯伏よりもっと長く、そして愛憎を乗り越えた2人の物語だ。その柴田は棚橋に「新日本プロレスを見せろ」と声をかけたという。果たしてこの試合は、何vs何の戦いだったんだろうか。

試合が始まり、飯伏が何かを振り払うように、自分を落ち着かせるような仕草をする。そんな飯伏を、棚橋は少しも逃がさないで追いつめる。執拗なドラゴンスクリュー。膝へのピンポイント攻撃。食らいつく飯伏。そこに張り手。

そしてまたあの瞬間がやってきた。ビンタを喰らった飯伏が、ゆっくりと振り返る。瞬間、と書いたけれどそれは永遠のように感じられるほどで、頬を打たれた飯伏が少しずつ、少しずつ向き直るその背中に狂気が宿るのが武道館のど真ん中から2階席のてっぺんまで、そして電波とインターネットを通じて全世界に伝わっていく。その背中だけで、これは良くないことが起きる、と誰もが認知することが出来る表現者としての飯伏幸太の凄さ。ヤバいぞ、これはヤバいヤツが来る時のだ、というざわめきが池の波紋のように隅々まで広がっていく。そして、打撃のラッシュ。いつかどこかで見たように、腕が伸びるような掌打の連打、そして棚橋弘至をまるで空き缶のようにぼこぼこと蹴り続ける。

でも、この日本当に凄かったのは、そこからだった。

その両手で、両足で、矢のように打撃を浴びせ続ける飯伏に向かって、棚橋が歯を食いしばってどんどん前進してくるのだ。その形相は不動明王のようで、狂気の無表情だった飯伏が一瞬、とまどいの表情を見せる。この、飯伏のいわゆる覚醒を表す背中からの棚橋の不動明王のような形相、それにひるむ飯伏、極限状態の戦いの中で2人が見せた表情を私はきっといつまでも忘れない。

結果は皆さんご存じの通り、棚橋弘至の3年ぶりの優勝で28回目のG1クライマックスは幕を閉じた。飯伏幸太はあと一歩で、頂点に手が届かなかった。35分の激闘に3カウントが打たれた後に印象的なシーンがある。

大の字に倒れる飯伏の片手を、セコンドについていたケニーが握っている。その様を勝った棚橋が見下ろしながら、もう片方の手を取って立たせようとする、それに気づいたケニーが、とまどうような表情で握った方の手を自分に引き寄せる。棚橋はそれを見て、飯伏の手を離すのだ。その瞬間、棚橋弘至の世界から飯伏幸太は退場させられた。

武道館全体を棚橋弘至の世界に包み込み、最後に飯伏選手だけをその外へとバンって突き放した。何という勝負師。何というプロレスラー。恐るべし。 1:53 - 2018年8月13日 村田晴郎さんのツイート

バックステージで飯伏幸太は、リング上の狂気から一転して、憑きものが落ちたような表情をしていた。「こんなに頑張ったのにダメなんですか、36年間で一番頑張った1ヶ月だったのにまだダメなんですか」と子どものような顔で繰り返していた。確かにこの1ヶ月、飯伏は頑張った。何からも逃げずに、世界一過酷なリーグ戦を走り抜け、準優勝という上々の成績を残して終えることが出来た。矢野戦、SANADA戦、内藤戦、そしてもちろん6年ぶりのケニー戦、印象的な試合もたくさんある。

でもたぶん棚橋弘至は、この飯伏幸太の1ヶ月のような頑張り方を、この10年ずっとやってきたのだ。365日24時間、棚橋弘至はプロレスラーであり続け、その身もその生活もさらけ出して、一度も疲れたことなく新日本プロレスを、強いてはこの国のプロレスを盛り上げ続けてきたのだ。

「飯伏に俺からもうどうこう言うレベルはとっくに過ぎてる。あとはここ(ハート)の持ちようだから」

と試合後に棚橋は言っていた。きっとそれを、飯伏幸太もわかっている。

こんなに頑張ったのに、諦めそうな自分がいるけれど、と繰り返しながら飯伏幸太はそれでもはっきりこう言った。

「一度諦めて、2年前に復帰してからは絶対に諦めないって決めてプロレスをまた始めたので。何が何でも獲ってみせます」

棚橋弘至は強かった。そして飯伏幸太にはまだきっと出来ることがある。戦わない私は安全な場所から、その身をさらして戦う彼らをどうか無事でありますように、どうか心ゆくまで戦えますようにと祈ることしか出来ない。それでも心からの敬意をもって全てを見届けたいと思う。彼らの苦しみも悩みも、そしてそれを突き抜けた時、突き抜けた者のみに訪れる最大の歓喜を。

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2017年09月08日 金曜日

sayokom2017-09-08

[][] カモン、芦野!   カモン、芦野!を含むブックマーク

9月2日WRESTLE-1横浜文体大会メインイベント、WRESTLE-1チャンピオンシップ芦野祥太郎vs黒潮"イケメン"二郎戦。試合が始まってほどなくすると、不思議な歌声が聞こえてきた。

Come on Ashino,

Come on Ashino,

Come on Ashino!

プロレス会場で聞き慣れないその響きは、実はアーセナルというイングランドのサッカーチームの応援歌、チャントだった。

王者である芦野祥太郎は、そのアーセナルというチームをこよなく愛している。芦野はアーセナルファンが集う集まりにも時折顔を見せていて、ある時はチャンピオンベルトを持って参戦し、大いに会場を沸かせ、サッカーファンを喜ばせていた。気軽にチャンピオンベルトを肩にかけてアーセナルファンと写真撮影をする姿はとても頼もしく、みな初めて間近に接するプロレスのチャンピオンと、チャンピオンベルトを誇らしげに囲んでいた。そしてそんなアーセナルファンが芦野を応援しようとこの日、アーセナルのユニフォームを着込んで横浜文体にやってきて、芦野を応援するためにアーセナルのチャントを歌っていたのである。偶然ではあるが、アーセナル、という言葉の響きと、芦野(あしの)、という言葉の響きはよく似ている。本来ならば「カモン、アーセナル」と歌うところを「カモン、アシノ」と彼らは歌っていたわけで、芦野はとてもそれを喜んでいた。

ところでアーセナルというサッカーチームは、とても繊細でロマンチックなチームだ。Jリーグ初期に名古屋グランパスで監督をしていたので日本でも比較的知られているアーセン・ヴェンゲルという監督が、ここ20年チームを率いている。繊細、と言えば聞こえはいいが、勝ちきれない。プレミアリーグというイングランドのトップリーグではここ13年優勝していないし、今季(プレミアは8月から新シーズンが始まる)は遂に、ヨーロッパの優秀なチームばかりが集まるチャンピオンズリーグという世界最強リーグ戦の出場権を逃した。シーズン前の補強にも問題が多々あって、出だしとしてはいろいろ最悪だ。

まあそんなチームを私もここ9年くらい地団駄を踏みながらも応援し続けているのだが、芦野がアーセナルファンだと知って実は非常に不思議な気がした。芦野祥太郎といえば、武闘派で、強さを信条としていて、先輩にも臆さず物を言う。そんな男らしい芦野が、美しいが脆い(ように見えてしまう)アーセナルを応援し続けているのは何故なんだろうと思っていた。

その答えは発売中の、丸ごと一冊アーセナル特集の footballista Zine Arsenal に掲載されている芦野祥太郎インタビューをぜひ読んで頂きたいのだが(わたしがインタビュアーを務めさせて頂きました)、とても興味深いくだりがあったので引用したい。

ーそもそも非常に男らしい芦野選手が、どちらかというと繊細なアーセナルというチームを応援しているのがちょっと意外な気もしますが。

確かにそうですね。なんででしょう、わからないです。でもサッカーのプレースタイルとか、ヴェンゲル監督の生き方に惹かれているんだと思います。

ー芦野選手の中にそういうロマンチックな部分があるんですね。

あるんです、僕にもそういうロマンチックな部分があるんですよ。プロレスにも美しさを求めているんです、芸術性を。

ー確かに勝つことの最短距離を競うならば芦野選手もプロレスではなく格闘技を選んでいたかもしれませんね。

だったら総合格闘技をやると思います。プロレスの何に魅力を感じているっていったら、受けの美学じゃないですか。いかに相手の技を綺麗に受けて、その上で自分が勝つ。そこが、シーズンを通したらアーセナルもそんな感じなのかもしれませんよね(笑)。

9月2日横浜文体のリング上で、芦野祥太郎は黒潮"イケメン"二郎の全てを受けとめようとしていた。序盤、試合の主導権を握っていたのは明らかに芦野だったが、会場の空気を掴んでいたのはイケメンの方だった。そもそも入場から影武者をたくさん用意して、ぴかぴか光るバランススクーターに乗って、福山雅治のHELLOでたっぷり時間をかけて入場してきたのは挑戦者のイケメンで、王者の芦野はいつもどおり、アーセナル同様芦野が愛するメタリカのFuelに乗せて、飾り気もなくベルトを腰に巻いて花道をのしのし歩いて入場した。どこからどう見ても正統派の芦野vsトリックスターのイケメン、という図式だったけれど、かつて芦野はイケメンのことを「彼は天才で、天才が練習するのが一番怖い。自分は凡才だ」と言っていたことがある。芦野はたぶん誰よりも、イケメンのことをプロレスラーとして認めていたし、そのスタイルを尊重もしていたんだと思う。

文体の2階席の手すりをするする歩いたと思えばそこからケブラーダするイケメンを、芦野は全身で受けとめた。ダメージは大きかったけれどそれが彼のイケメンへの、プロレスへの、そしてWRESTLE-1という団体への愛情表現だった。そして30分を超えるロングマッチとなった終盤、芦野はイケメンのお株を奪う美しいムーンサルトを放ち、かたやイケメンも、芦野のお株を奪うジャーマン・スープレックスをロコモーションで決めてみせる。27歳vs24歳、若い2人のプロレスへの情熱が、眩しかった。

そして試合は芦野が何度目かにようやくリング真ん中でがっちりと極めたアンクルロックにイケメンがタップアウトし、王者が防衛。よれよれになって万雷の拍手を浴びて引き上げていくイケメンに、芦野は「イケメン、まだ帰んなよ。俺とお前にしかわからないことがあるんだよ」と声をかけた。ありがとうなんて言わなかったけれど、それはどんな感謝の言葉よりもあの場で胸に染みたし、試合後にWRESTLE-1への愛情を涙ながら(本人は泣いてないと言っていたけれど)に言葉にする芦野はとてもロマンチックだった。

アーセナルは時に、芦野が言う通り強い相手の攻撃をめちゃくちゃに受けまくってめちゃくちゃに負ける。けれどこの日芦野祥太郎は負けなかった。アーセナルが歩けなかったチャンピオンとしての道を、これからも芦野は歩き続ける。

「アーセナルを見ていてプロレスに生かせることはありますか?」という私のありきたりな質問に、「そういう目で見ていないので。昔からいちサポーターとして応援していたので」と答えられて恥ずかしく思ったのだが、芦野がきっかけでプロレスを初めて観戦しただろうサッカーファンがこの日間違いなくいただろうし、プロレスの面白さや奥深さに触れた人もきっといただろうと思う。好きなものや応援するものがあるのは人生にとって楽しいことだ。時にうんざりするようなことがあっても、勝った時にはその何倍も嬉しいし、喜べる仲間がいたらもっと、嬉しい。

アーセナル本のインタビューで芦野は海外のサッカーファンが選手の名前や顔をタトゥーにして彫っているのに驚いた、という話をしながら、「でも僕ヴェンゲル(監督)の顔のタトゥーなら腕に入れられますよ」と言ってWRESTLE-1の広報の人に「やめて下さいね」とやんわり言われていた。引退したら、アーセナルとメタリカのロゴを両腕に入れたいんだそうだ。でも、まだそれはずっと先の話のことになるだろうし、そうであって欲しいと願っている。

※冒頭の写真はもちろん芦野祥太郎選手と、芦野選手がいま一番好きで髪型も一緒にしているアーセナルの12番、オリヴィエ・ジルー選手。

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