汚い言葉での差別のどこに反対するか、という視点
「東京・新大久保の韓国人排斥デモに見るヘイトスピーチと言論の進歩(降旗 学)」という記事に対して、ブコメでも書きましたが、エントリーにもしておきます。
降旗氏はここで、新大久保などで見られる在特会などの嫌韓デモに対して批判的な記事を書いています。しかし降旗氏の場合、在特会による汚い言葉を用いた排外差別に対し「汚い言葉を用いた」部分だけを批判し、「排外差別」に対しては批判しているようには見えません。
こういう姿勢は在特会などのネトウヨを批判しているネット上の論者にもよく見られますが、要するに彼らは「汚い言葉を用いない」排外差別を許容し、あるいは支持すらしているわけで、差別主義者・レイシストという意味において、在特会と何ら変るところがないわけですね。
本来、言葉の清濁など大した問題ではなく、言動が本質的に排外差別であるかどうかが問題です。
これが理解できない人の言うヘイトスピーチの法的規制などは、危険すぎてとても賛同は出来ませんね。
1937年12月の蕪湖における日本軍の暴行に関する記録
日中戦争における日本軍の虐殺・暴行というと、南京事件しかないように言う人もいますので*1、南京以外の状況について参考までに。
引用は古典的ですがティンパリーの「外国人の見た日本軍の暴行」からです。これには南京以外の華中や華北のことについても言及されていますので、当時の状況を知る上で参考になると思います。
蕪湖は南京の南西に位置し、南京からは長江の上流に位置しますが、南京侵攻にあたって日本軍は南方から半包囲する形で進撃したため蕪湖は南京よりも早く日本軍に占領されています。
「外国人の見た日本軍の暴行」ティンバーリイ、評伝社
(P93-95)
蕪湖占領の日本軍は十二月十日以来いよいよその数を増し、鉄道や、江岸や、太古公司碼頭等の付近に砲兵陣地を構築した。日本兵は逃げ遅れた少数の中国兵に対して残酷に取り扱い、また気に入らぬ市民に対しても暴行を働いた。いかなる民船、あるいは艀舟に対しても機銃掃射を見舞った。病院の前に漂着した一隻の船などは、乗っていた三人とも負傷していて、その中の一人は身に十発も弾を受けていた。
十二月は毎日緊張と困難、時には危険な経験にさえ満たされていたが、今日までのところ我々の病院に逃れてきた一千四百人の難民(彼らは我々が十分保護出来ると信じていた)も無事であった。ただ日本兵が時々病院に入ってきたり壁を乗り越えてくることもあったし、また僅か四百人の収容能力しかない所へ一千四百人も入ってきたので、この食住衛生や秩序を考え、その安全を保持し、生活を維持するために我々は機敏と忍耐と良心によってやっていかねばならなかった。
蕪湖占領後一週間は日本軍は良民に対して虐待虐殺を行い、住宅にも入り込んで掠奪破壊を働き、私の二十年間の中国におけるいかなる経験にも比のないくらいであった。中国兵は蕪湖の外国人の財産には手をつけなかったが、日本兵は特に外国人の家に入り大々的に掠奪を行った。わずかに米国人の看守をつけておいた家のみ無事であった。
ここでは激烈な戦闘は行われなかったので、蕪湖の状況はあるいはその他の地方のごとく悪くはないかも知れない。しかし日本兵はここでも婦女を捜しては凌辱行為を働くので、ここ数日来これらの婦女を救護するのが我々の主要な仕事となっていた。婦女が匿れていると聞けば、我々は直ちに車を走らせて迎えに行った。ある日などは一日に四回も出掛けて若い婦女子を連れて帰った。そのため他の仕事を十分に出来ないくらいであったが、今ではこの工作が一番大切なものと思われた。このために使用した自動車はアルビン君とアーボー君が私に贈ってくれたものである。私はどんな方法で彼らに感謝してよいものか判らない。もしもこの自動車がなかったならば、我々は婦女を救出したり、食料等の必需品を運ぶことも出来なかったであろう。
私は務めて日本軍当局および最近蕪湖に来た日本領事館との接触に努力した。彼らは米国人の財産を保護することを確信*2したので、私は私の一切の力を挙げて彼らに兵隊が再び中国の民衆を虐待しないことを約束させた。彼らは既に兵隊に対して中国人虐待や中国人の使役使用を禁止していると確言した。大多数の将校も再びこのような暴行が行われぬことを希望した。だが、中国人、特に婦女子が街に出ることはなお安全ではなかった。二日ばかり前、私は病院のボーイ二人を試みに出してみたところ、所持金を巻き上げられて使役にされてしまった。私は直ちに指揮官あて抗議を提出した。彼は恐縮して銭を返してきた。だがもしも米国病院の使用人ではかったならば、絶対に救出出来なかったであろう。
十二月十三日、日本兵は病院に属する一艘の船に掲げてあった米国旗を水中にほうり棄てたので、私は直ちに竹竿でそれをすくいあげ、濡れて滴のたれるままに日本軍の指揮官に見せた。他方駐滬米国当局にも事件およびその他若干の事件を報告した。日本陸海軍および領事館方面では人を派して謝罪してきた。パネー号事件以来日本人は米国人に対して気兼ねしている様子であった。パネー号で負傷した米国人、中国人のうち数人はこの病院にも入院していた。
死体置場にはすでに若干の死体が積まれてあったが、人夫は街に出るのを恐れて埋葬も出来ず、また棺桶の木材も使い切っていたので我々はやむをえず、病院内に大きな穴を掘り二十個の死体を埋葬した。
一九三七年十二月三十日 於蕪湖
中国の通貨スワップ外交(2013年3月時点)
中国とブラジルの通貨スワップ協定の話は2012年6月には出ていましたが*1、当時は数週間以内に協定が締結されると見込まれていました。IMFの動きや世界経済の影響があるのか、9ヶ月近く経ってようやく締結に至りました。
ブラジルと通貨交換協定 中国 3年間で300億ドル相当2013.3.28 05:00
中国とブラジルは自国通貨を融通し合う約300億ドル(約2兆8400億円)相当の通貨交換(スワップ)協定を締結したことが26日、分かった。両国は国際社会における主要新興2カ国の影響力拡大に努めている。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130328/mcb1303280505014-n1.htm
中国人民銀行(中央銀行)がウェブサイトに26日に掲載した声明によると、通貨スワップ協定は人民元建てで1900億元、レアル建てで600億レアルに相当する。
期間は3年間。信用危機の際に限って利用され、期限が来たらロールオーバーされる見通しだという。
中国はブラジルの最大の貿易相手国で、昨年の両国の貿易額は755億ドルに達した。
ユーラシア・グループの政治リスクコンサルティング担当アナリスト、ジョアン・アウグスト・デ・カストロ・ネベス氏は電話インタビューで、中国とブラジルの通貨スワップ協定は、世界の主要課題に対処する上で、既存の金融の枠組みは適さないとのBRICS諸国のメッセージが込められていると指摘した。
また同氏は「今回の協定には経済上正当な理由が存在するが、紛れもない政治的反響がある」と語った。(ブルームバーグ David Biller、Arnaldo Galvao)
さて、この動きが他のBRICSにどう影響するか留意しておくべきかもしれませんね。
もう一つ、イギリスとの通貨スワップ協定の動きですが、こちらの交渉は1年ほど続いています*2。
英「人民元取引の中心地に」 中国とスワップ協定締結で優位2013.3.26 05:00
英シティー(ロンドン金融街)は、人民元の国際化を目指す中国の動きに対応し、欧州における元のオフショア取引センターの地位を、パリやスイスのチューリヒと争っている。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130326/mcb1303260502009-n1.htm
イングランド銀行(英中央銀行)は、キング総裁と中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁との2月の会談後、英国が主要7カ国(G7)の中で、自国通貨と人民元との通貨スワップ協定を中国人民銀と最初に締結する国となる有利な立場にあると明らかにした。
ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(RBS)の市場ストラテジスト、カオ・チ氏(シンガポール在勤)によれば、両国のスワップ協定が実際に締結された場合、英中銀は市中銀行に対し、最大4000億元(約6兆1600億円)の人民元の供給が可能になるが、これは香港とのスワップ協定における額に匹敵する。
人民元建て債券の海外での発行額は2009年以降で11倍に急増し、1740億元規模に達する。ロンドン市場での人民元の取引高も3倍強に膨らんでいる。スタンダードチャータードの欧州ホールセール・バンキング共同責任者、フィリップ・リンターンは人民元の通貨スワップ協定を「金融市場の一大革命とも言えるものだ」と歓迎している。(ブルームバーグ Maria Levitov、Ye Xie)
内容は徐々に具体化していますので近いうちに締結に至るかもしれません。
合意日 | 相手 | スワップ枠 | 期間 | 円相当額*3 |
---|---|---|---|---|
2008年12月12日 | 韓国 | 1800億元/38兆ウォン | 3年 | 2.7兆円 |
2009年1月20日 | 香港 | 2000億元/2270億香港ドル | 3年 | 3.0兆円 |
2009年2月8日 | マレーシア | 800億元/400億リンギット | 3年 | 1.2兆円 |
2009年3月11日 | ベラルーシ | 200億元 | 3年 | 3000億円 |
2009年3月23日 | インドネシア | 1000億元/175兆インドネシアルピア | 3年 | 1.5兆円 |
2009年3月29日 | アルゼンチン | 700億元/380億アルゼンチンペソ | 3年 | 1.05兆円 |
2010年6月10日 | アイスランド | 35億元 | 3年 | 525億円 |
2010年7月23日 | シンガポール | 1500億元/300億シンガポールドル | 3年 | 2.25兆円 |
2011年4月18日 | ニュージーランド | 250億元 | 3年 | 3750億円 |
2011年4月19日 | ウズベキスタン | 7億元 | 3年 | 105億円 |
2011年5月6日 | モンゴル | 50億元 | 3年 | 750億円 |
2011年6月13日 | カザフスタン | 70億元 | 3年 | 1.05兆円 |
2011年10月21日 | 韓国(拡大) | 3600億元/64兆ウォン | 3年 | 5.4兆円 |
2011年12月22日 | タイ | 700億元/3200億バーツ | 3年 | 1.05兆円 |
2011年12月23日 | パキスタン | 100億元/1400億パキスタンルピー | 3年 | 1500億円 |
2012年1月17日 | UAE | 350億元/200億ディルハム | 3年 | 5250億円 |
2012年2月8日 | マレーシア(拡大) | 1800億元 | 3年 | 2.7兆円 |
2012年2月21日 | トルコ | 100億元 | 3年 | 1500億円 |
2012年3月20日 | モンゴル(拡大) | 100億元/2兆トゥグルグ*4 | 3年 | 1500億円 |
2012年3月22日 | オーストラリア | 2000億元/300億豪ドル | 3年 | 3兆円 |
2012年6月26日 | ウクライナ | 150億元/190億グリブナ*5 | 3年 | 2250億円 |
2013年3月26日 | ブラジル | 1900億元/600億レアル*6 | 3年 | 2.85兆円 |