はじめに
今日のロマ書8章28節は「神を愛する者達」との言葉から始まっています。聖書は、神様の愛について沢山書かれており、毎週私達は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」との言葉を「赦しの言葉」として聞くことが出来ます。神様の愛がどれほど大きいものか、聖書を読めば読む程、私達は神様から愛されていることを知るようになります。
しかし今日の聖書は、「私達人間の、神様への愛」を与えられた人達が主語です。神様を信じて、又、御子イエス様を信じてバプテスマを受けたクリスチャンは、神様から愛が降り注がれていることを知った者として、その応答として神様を愛するようになります。
「神様を愛する者」とは、神様が共にいて下さることを忘れず神様を求め、神様に信頼し、神様に従い(御言葉に従い)、神様を礼拝することです。
神さまの御計画
聖書はさらに「神を愛する者たち」のことを「御計画に従って召された者たち」と言い換えています。この教会に導かれて今、ここにおられる方の中には、「自分で決めて」ここにいると考える方もいらっしゃるでしょう。確かに、そのようにも言えます。しかし聖書は、あなたが神を愛する者となったのは、「神様の御計画の中にあった」と言うのです。そして、そのように神様が導いて下さったと言っています。
万事が益となるように働く
聖書はさらに、神様の御計画の中で導かれて、神様を愛する者とされた者たちには、その身に起こるすべてのことが益となるように共に働くといっています。多くの宗教は、信じれば良いことが起こる(ご利益がある)と勧誘します。聖書では、神様を信じれば、つらいことは何もなくなり良いことしか起こらないなどとは言いません。クリスチャンになっても、いろいろなことが起こります。(使徒パウロの人生のように・・)。苦しいこと,つらいこと、人にはわかってもらえないこと、生活の苦しみ、人間関係の苦しみ、家族の重荷、孤独や不安、さまざまな障害・・などが起こり得ます。しかし人生の中でどのようなことが起こったとしても、私達を導かれる神様は、それらすべてのことを用いて、私達にとって真の益である「救い」と「真実の命」をもたらしてくださる・・。
そのことを、信仰を与えられたクリスチャンは知っているというのです。
困難や艱難は、それ自体喜ばしいものではありません。しかしそれらが、私達を、神様の目的に導くように用いられるというのです。ですからクリスチャンは、どのような事柄に遭遇しても、驚いたり、あわてたりすることなく、それらが自分自身の救いへの祝福へと変えられることを確信して歩み続けることが出来るのです。