ニューギニア地震(西パプア地震)関連情報

乾物屋の軒先(防災センター):So-net blog
防災の専門家が世界各地の自然災害の被害と対応を整理して発信しているブログ。2009年ニューギニア地震では日本への津波の影響と被災地の状況がまとめられている。(日本語)

ニューギニア島の西パプア州で大きな地震発生(Gempa bumi Papua Barat) インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/ウェブリブログ
震源地付近の小さな村々の位置と名前を含めていろいろな地図で地震と被害の様子を視覚的にわかりやすく紹介している。(日本語)

てんかん治すならラミクタール
パプア地方の地元紙。更新は1日1回?(インドネシア語

detikNews - Berita hari ini di Indonesia dan Internasional
インドネシアの全国版インターネットニュース。更新は頻繁で、地方の災害もよくフォローしている。(インドネシア語

http://www.infopapua.com/
パプアに関する情報を集めたサイト。地震に関する記事もあるが、今のところCenderawasih Posの記事が転載されているだけ。トップページに地震前と地震後のムティアラ・ホテルの写真がある。(インドネシア語

World Wide Web Virtual Library: Papua, Indonesia (via PapuaWeb - info Papua, Irian Jaya, West Papua)
西パプア州とその近隣地域に関する一般的な情報を網羅的に紹介したサイト。新聞・ブログ、NGO団体、独立運動、宗教団体、教育・研究機関などの情報がまとめられている。(英語)

Indonesia: Earthquake - Jan 2009 | ReliefWeb
世界各地で自然災害などが発生すると、国際機関やNGOなどの支援団体が緊急支援のための情報を持ち寄るサイト。日々更新され、地図情報も掲載される。(英語)

ニューギニア地震(西パプア地震)・続報(全国紙等)

2009年1月4日にニューギニアインドネシア西パプア州マノクワリ付近)で起こった地震の被災地の被災2日目の様子についての続報。


インドネシアのテレビは、1月4日夜に見た限りでは、特にニュースで大きく取り上げているということはなく、画面の下の1行ニュースでときどき状況が報じられる程度。(5日夜になると、インドネシアのテレビニュースでは現地入りした大臣への電話インタビューを含めて西パプア地震が取り上げられ、現地の映像も紹介されるようになった。)
インターネット上のニュース記事では、これまで最も頻繁に情報を提供していたのはdetikcom。
パプアの地元紙であるCenderawasih Posは、停電だったためか日曜日だからか1月4日には情報の更新がなく、1月5日に地震の被害状況を報じるようになった(別項目で紹介)。


以下、1月5日のインドネシア国内の報道(全国紙等)から。古いものから順に上から下へ並べている。記述の中の時間は西部インドネシア時間。


西パプア州マノクワリ県の停電は回復したが、住民約1万1000人が自宅ではなく4か所の仮設テントで過ごしている。県知事庁舎には500人、軍管区広場には200人、ボラルシ(Borarsi)広場には200人、海軍病院広場には100人避難している。
ボロブドゥル地区やサンゲン地区では自宅近くにテントを張っている住民がいる。なかには道路の真ん中にテントを設置する人もいて、車輛の通行の邪魔になっている。(Waspada、1月5日2:20)
http://www.waspada.co.id/index.php?option=com_content&task=view&id=59931&Itemid=30

1月5日朝5時15分、政府による12.5トンの支援物資を載せた軍用機が首都ジャカルタからマノクワリに向けて飛び立った。内容は、日用品、医薬品、テントなど。このほかに医者2人などが現地に派遣される。(Detikcom、1月5日5:24)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/052428/1062881/10/

マノクワリのウォシ(Wosi)村では、民家27棟に大きな被害が出ている。レンダニ(Rendani)空港までの橋は地震で被害を受けたが通行は可能。同村では死傷者数を含めた被害状況を調査中。(Detikcom、1月5日7:42)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/074230/1062919/10/

ウォシ村には村内67か所の避難所に住民が避難している。支援物資は届き始めているが十分でない。特にテントが足りない。村ではキリスト教の教会3ヵ所とモスク1ヵ所が被害を受けた。(Detikcom、1月5日13:29)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/132953/1063183/10/

マノクワリの住民は自宅に戻らず、自宅前の道路沿いに張ったテントに避難している。カリディンギン・ホテルとムティアラ・ホテルは警察による立入禁止が解かれていない。(Detikcom、1月5日16:51)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/165108/1063404/10/

国家災害対策庁(BNPB)の1月5日の発表によれば、マノクワリ県ではこの地震で1人が死亡、43人が負傷し、地震のため自宅を離れて避難しているのは1万4049人。ソロン県では建物573棟が被害を受け、4人が重傷、19人が軽傷を受けた。政府からは支援物資として衣類、非常用トイレ、テント、薬品が1万4000トン分届けられている。(Detikcom、1月5日17:08)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/170832/1063417/10/

インドネシア気象庁によれば、1月5日22時28分、マノクワリ沖でM5.4の地震が発生した。震源はマノクワリから63km沖で、震源の深さは53km。津波の恐れはない。(Detikcom、1月5日22:59)
http://www.detiknews.com/read/2009/01/05/225947/1063518/10/

マノクワリとソロンの地震被害状況(地元紙報道)

以下は被災地である西パプアの地元紙チェンデラワシ・ポストの記事を要約したもの。記述中の時間は東部インドネシア時間。
最初の記事は長いのでマノクワリ県の記述とソロン県の記述に分けた。マノクワリとソロンの位置関係は以下のページの地図でよくわかる。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/omoukoto/241wa-shuusenn-no-hi/241wa-shuusen-no-hi.html


マノクワリ県では、死者は2名。10歳のヨランダは倒れた塀の下敷きになって死亡した。もう一人は身元不明(4日午前11時現在)。
3階建てのムティアラ・ホテルは1階と2階の部分が完全につぶれた。カリディンギン・ホテルも全壊した。マノクワリ県立病院と海軍病院によれば、負傷者は重軽傷あわせて44人。ムティアラ・ホテルの下敷きになっていた3人は救出され、無事だった。
住民は地震のため混乱しており、夜半になっても多くがテントに避難している。テントは、県知事庁舎、第1703軍分区(Kodim)サッカー場、Borarsi広場、海軍病院の庭の4か所。このほか、住民は道沿いのそれぞれの家の前にテントを張って避難している。余震が怖く家の中で休むのはためらわれるため。
最初の地震は30秒続き、眠っていた住民も混乱しながら家の外に出た。ボロブドゥルやウィルシ(Wirsi)、クヮウィ(Kwawi)、ファニンディ(Fanindi)、サンゲン(Sanggeng)、ウォシ(Wosi)などの海岸沿いの集落では住民が津波を恐れて高台に避難した。
死亡したヨランダ(10歳)は、ウォシ・ガヤバル(Wosi Gaya Baru)にあるマノクワリ法科専門学校の塀の下敷きになって死亡した。負傷したのは、倒壊した建物の下敷きになったり、割れたガラスで傷を受けたり、混乱してホテルの階段から落ちたりした人々。
最初の地震からひと段落ついたところで二度目の地震が起きた。この地震はマノクワリにより近いところで発生し、ムティアラ・ホテルやカリディンギン・ホテルが全壊し、他のホテルも大きな被害を受けた。西パプア州は1年まえに設置された新しい州だが、その州庁舎にもひびが入るなどの被害が出た。
大きな地震が2度起こったことで津波の噂がまわり、住民は高台に避難した。カンプン・マカッサルやウォシ海岸の住民は県知事庁舎の庭に避難した。アングレム(Anggrem)やボロブドゥルの住民はブリウィジャヤ(Briwijaya)の方に避難した。道は避難する住民で混雑した。
1703軍小分区の司令官や県警察長官によれば、住民は津波の噂を聞いてパニックになった。しかし津波が来るとの正式な情報は入っていなかった。逃げようとする住民に対し、警察長官は「落ち着きなさい、津波は来ない、パニックにならないように」と伝えた。
マノクワリのBMG所長によれば、1月4日の夕方までにおよそ100回の余震があった。4日夜までに西パプア州災害対策本部で把握している被害は、総額数十億ルピアにのぼる。一般家屋166棟が重度あるいは軽度の被害を受け、ほかに大きな被害を受けたのはキリスト教教会が12、モスクが1、学校が6、ホテルが5。国際レベルのホテルであるスイスベル・ホテルも大きな被害を受けた。橋や主要な道路にも軽度の損傷を受けたところがある。
マノクワリ県知事ドミングス・マンダチャムは、余震への警戒を続けるよう住民に呼びかけ、家で眠らないように求めた。県知事官邸も被害を受け、「もう住むことができない」と本紙に語った。
(Cenderawasih Pos、1月5日6:07)
http://www.cenderawasihpos.com/detail.php?id=23095


ソロン県知事ステパヌス・マラクによれば、ソロン県では民家数百棟が重度あるいは軽度の被害を受けた。
ラク知事は、地震被災者からは治療費をとらないよう県立病院に指示を出した。ソロン県では、地震の被害を受けた住民は町の中心地から8kmの地区と12kmの地区に集中している。
171軍分区司令官イルワン・スワルナは、地震で75棟の家屋が被害を受けたと述べた。そのうち4棟は全壊。27棟が重度、44棟が軽度の被害。
ハラパン・インダ集落では4棟が倒壊し、20棟が重度、41棟が軽度の被害を受けた。住民12名が負傷して病院で手当てを受けている。そのうち重傷を負った4人は州立病院に運ばれた。
余震は4日夜までにソロンでも感じられている。このため住民は家に戻らず避難を続けている。家を失った住民は東ソロンの役場などに避難している。昨夜は何度か停電になり、住民は不安な夜を過ごした。
(Cenderawasih Pos、1月5日6:07)
http://www.cenderawasihpos.com/detail.php?id=23095


ムティアラ・ホテルで救出された宿泊客の話。1月3日の宿泊客は5人。トランジットでマノクワリに立ち寄ったところ、前日の地震のため国内便が飛ばず、マノクワリで1泊することになったデミ親子たち。4日の早朝に地震があり、宿泊客はロビーに避難したが、しばらくして揺れがおさまったために3階の部屋に戻ろうとしたところで2回目の地震が来て、ホテルが倒壊した。何人かはホテルの外に逃げられたが、デミ親子は閉じ込められ、神のもとに召されることを覚悟した。携帯電話が通じたので、知人に「これが最後の言葉になるかもしれない」と話をした。救助隊や付近の住民が来たので叫んで居所を知らせ、救援活動の末に親子ともにホテルから救出された。(Cenderawasih Pos、1月5日6:08)
http://www.cenderawasihpos.com/detail.php?id=23097