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2013-12-01

俺が「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」を一ヶ月あまりで11回見た件に関する考察

なんか気づいたら11回見てたりして、いつの間に私はリピーターになっていたの?みたいな。

まあネット上では50回以上見たなんて人もチラホラいるようなので、自分なんか特に多いってわけじゃないんですけどね。封切り前は話題になった作品の新作だしとりあえず見とくか、くらいの気持ちだったのに、一回見たらはまってしまって、三日に一度は見ないと我慢できないように調教されてたりして、俺ってこんなにまどマギ好きだったっけ?状態なんだけど、とにかくリピートしまくっているのは事実なので、その理由について、いくつかの視点からまとめておきますよ。

 

映像的な完成度の高さ

ある評論家ドラッグムービーと評したとおり、映像的な快楽が癖になる。ナイトメア退治やマミほむ戦のガンカタ、対魔女ほむの総力戦といったバトルの絵的な密度がとんでもないことになっていて大画面で何度も繰り返し見たくなる出来映え。変身シーンとかケーキの歌とか、単にカッコ良かったり可愛かったりするだけではなく、随所に何だコレと引っかかりを覚える部分があるんだけど、何回か見ているうちに、そこを見るのが楽しみになっていくという。

また繋ぎの場面でも、何気ないような描写が先の展開の前触れや(手回しオルゴール歯車が落ちるのが、ほむら結界崩壊予兆となっていたり)、人物の心理を反映(ゴンドラでほむらがまどかに押し倒されるところで、使い魔が花火を持って踊っていたり)となっていて細かいところにまで演出意図が張り巡らされており、何度見ても新しい発見がある。

何通りにもアレンジされて流れる「まだダメよ♪」の曲や、変身シーンにおける流れるようなBGMの繋ぎ方等々、音楽と映像の一体感も素晴らしい。

 

・起伏と意外性の効いたストーリー

夢と希望を運ぶ魔法少女生活みたいな導入、世界違和感を巡るミステリー真相が明らかとなり「犯人」を救うために魔法少女に加えて過去に倒した使い魔まで動員したバトル、そして救われて大団円かとおもった瞬間に訪れるどんでん返し、と起伏と意外性のある展開のおかげで飽きがこない。同じように起伏と意外性のあるTV版を経験しているとはいえ、明るく楽しい導入から、あのオチに至る流れは何度見ても引き込まれる。

二回目以降は、ほむらと杏子の見滝原脱出行あたりでちょっとダレたりもするんだけど、あまりに勢いばっかりだと見てる側も疲れちゃうので、静かな場面を入れて中休み的な感じになっているのかも。

 

・観客の反応

上映後の観客の反応が面白い。前に座ってたカップル女の子の方が、終わった瞬間に何コレ(困惑)みたいな声を漏らしたり、どこからともなく乾いた笑いが聞こえてきたり、小学生くらい子供を連れた家族がどうにも気まずそうな雰囲気で席を立ったりと、映画館で何回も見るからこそ体感できるものがある。竹熊健太郎は「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映を26回見たそうですが、途中から「火垂るの墓」の時は外に出て、救いのない結末にダメージを受けて出てくる観客を観察することに専念していたとかで、そういう楽しみ方の一端が理解できましたよ。

 

・ほむらの行動に対する認識の変化

これがメイン。行動とはもちろん、救済拒否から世界改変、魔なる者としての覚醒について。初回では「なにやらかしてるんだ、ちょっと待て」となるんだけど、二回目では悪魔と言うほど悪いことしてなくね?となり、三度目以降は、ほむらという人物が救われるためには、ああするより他なかったんだという結論に至るわけです。

まどかによる救済は、願いを叶えた魔法少女が、戦いの中で絶望し魔女化するのを防ぐわけだけれども、ほむらの場合、まどかが救済に来た時点では願いが叶ってないんですよね。「まどかを守る自分になりたい」が願いだったわけだけど、対象であるまどかが円環の理となって手の届かないところに行ってしまったせいで。願いを完遂するためには、まどかを一度人間に戻すしかなくて、そのためにああいう行動をとって、世界を作り変えるしかなかったんだろうなと。

そこからさらに、どうせ世界を作り変えるなら、いかにも周囲から浮いている自分みたいな感じではなく、物語前半のようにみんなと仲良し設定にすればいいのに、とか考えてしまうわけですが、そういう疑問を持ちながら見ると、ループを繰り返すなかで積み重なったほむらの罪の意識がそれを許さず、まどかからも距離を置いて孤独に見守るしかないことに気付いてしまうという。

そして思うわけですよ。彼女が、まどかを守るという一点のために全てを捨てたにも関わらず、まどか本人はおろか作中の誰からも理解されないのであれば、せめて俺が側にいて見届けてやるしかない、と。

というわけで、見れば見るほどまた見たくなるというループにはまり込んでいくという。当然のことながら何度見ようが結末自体が変わることも架空存在に対する思いが通じることもなく、その欠落感のために更に何度も見ることになり、挙げ句にこんな文章をネットに上げてしまうわけです。

 

・その他

ほむらのまどかに対するそれと、俺のほむらに対する満たされない思いが相似形になっていることにも気付いたりして、見るたびにほむらの内面への理解が深まる作りと合わせて、良くできた構成に改めて感心。

フィルムをはじめとする来場特典は、もらえればうれしいけれども、特典が切れても見に行ってるので、自分的には特典がないからと見ない理由にはならないかな。

 

・まとめ

映像的やストーリー面での完成度の高さもあるけれど、見る度にほむらという人物に対する感情移入が深まっていくあたりが、繰り返し見る上での大きな動機となっている。

先ほど、11回目を見て来た勢いでこれを書いてみたわけですが、書き上げたそばからまた見たくなってきたりして、やっぱはまりすぎだろ俺。

 

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満たされない思いは物欲で昇華

2013-11-01

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」における暁美ほむらは悪魔というほど悪いヤツじゃないよ、という話

時間ができたんで叛逆の物語をもう一度見てきましたよ。初見では密度の高い話について行くのがやっとだったけれども、二回目ともなると、いろいろと落ち着いて見れたりもして、ほむらが救済を拒む場面とか、来るぞ来るぞ・・・キター!!みたいな感じで、話が分かっているからこその楽しみもありました。

で、落ち着いたところで思ったんだけど、ほむらって悪魔と言うほど悪いことしてないんじゃね?っていうのがありまして。まさかの救済拒否と改変後の悪の女幹部的な容姿や言動のインパクトのせいで、なんとなく納得していたもの彼女がもたらしたものをよく考えてみると。

ほむらの世界改変により、

神となったまどかの一部が引き裂かれ、人間としての彼女が存在する世界を生まれた。結界内で語られたとおり、これはまどか自身の隠された願望でもある。

円環の理により消滅するはずだったさやかも復活。なぎさも登場していたことから、魔女となって消えるはずだった他の人物たちも存在してることがうかがえる。

円環の理は機能している。悪魔化したあとのさやかとの会話で、人間だったころの記録だけ奪ったと言ってるから。(ただし、さやかが消滅していないあたり、世界の改変に合わせた変化がありそう。)

と、まど神様にもできなかったことをやってのけているわけで、結果としてはむしろほかの登場人物たちにとって幸せな世界になっているという。

にもかかわらず、ほむらが自身を悪魔と呼ぶのは、

結界を作り出した人物を捜す過程における、まどかの祈りを悪用しているヤツがいる的な発言。神像を思わせるレリーフの前であることもポイントか。

また復活後のまどかに、ルールを破って自分の願望を叶えようとすることの是非を問い、ルール破りはよくないとの答えを引き出す。それに対してほむらは、いずれ対立することになるという予言めいた返答。

とこんな感じで、結局のところ悪魔であるとする理由は、まどかの倫理観と彼女を絶対視するほむら自身の価値観に反していることしかないわけですよ。

擦れたオッサンとしては、みんなハッピーなんだから細かいこと気にするなよ、とか思ったりもするわけですが、その思春期らしい純粋さこそが世界に変革をもたらす原動力でもあるわけで、そう簡単に割り切れる物ではないという。想いの力で世界が改変できるくらいだから、たいていの問題は解決できそうなもんだけれども、想いの数だけ理想の世界があるわけで、それはそれでややこしいことになってしまいました、と。

ともかく、悪魔と呼ぶにはあまりにも純粋なほむらが、このままじゃ救われなさ過ぎるので、どうにかしてあげて欲しいですよ。まどかとほむらがお互いの想いをぶつけ合えれば、お互いが幸せになれる方法も見つかるのかもしれないけれども、片方は記憶すらないのでそれも不可能なわけで。今作でほむらが自分の作った結界の中で、まどかの隠された願望を知ったように、まずはそれを可能にする舞台作りからですかね。

2013-10-27

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」は正しいエンタテインメント作品である(ネタバレあり)

TV版の放送終了から2年半を経て、ほむほむが更に重い愛を抱えて帰ってきましたよ。

まどかのいない世界で戦い続けた末に疲弊した彼女が救済されてめでたしめでたしで終わるのかと思いきや、そこからシリーズ全体をひっくり返す大どんでん返しに至るという驚きの結末。続編となる劇場版が発表されたときは、あれだけ綺麗に終わらせた話の続きを作っても蛇足になるだけなんじゃないかとか思いましたが、そんなありきたりな予想を見事に上回る出来映えとなっておりました。

上映開始前の関連記事では、今回は賛否両論になりそうみたいな話が関係者から漏れていたわけですが、自分として全面的に賛意を示したいところで、それはエンタテインメントとして観客を楽しませることに誠実な作品となっているから。

前半はオーソドックスな魔法少女ものっぽくキャラクター活躍させて分かりやすい楽しさを描きつつ、中盤からそれが偽りであるとして誰が何のためにという疑念を呼び起こす方向へと傾斜。真実が明らかとなって障害が排除され、偽りの世界を作り出した人物が本当に待ち望んだ結末が訪れるのかと思いきや、救済される本人が約束された救済を拒んで自らの願望のために世界を改編して、かりそめの安息の中で新たな対立を匂わせて終わるという。観客の見たいものを見せた上で予想外の方向へと展開させることで、物語に新たな広がりがもたらされ、期待通りになる楽しさと、それを上回る驚き、そして新しい期待と、どれも高い水準で達成されたエンタテインメント作品でしたよ。特にTV版で一度完成された世界を破壊して、再び物語に広がりを持たせることはなかなかできることじゃないなと。

いくつか気になった点を挙げるとすれば、情報量が多くて咀嚼する前に話が次へと進んでることなんだけれども、これは何回も見直したくなるという意味では利点になるのかな。あとほむらが世界を改変する手法ちょっと強引だったことで、TV版でまどかが宇宙を作り替えた時はインキュベーターの語る宇宙の法則として作中で示された設定の中で世界を改変されたのに、今回では一途な愛が呼んだ奇跡ぽくて後付け感があったかなと。まあこれもまどかによって改変された世界だからこそ起こることなのかもしれませんが。

と、まあそんな感じで、気になるところも贔屓目に解釈したくなったりして、じっくりと何度でも見直したくなる作品となっておりました。BD待ちきれなくて、あと何回か劇場に見に行っちゃうかも。

 

以下余談。

パンフレットインタビューで興味深い解釈の違いがあったので引用してみますよ。

ほむらの結界内のまどかについて、新房昭之が語った部分

今回登場するまどかは、神様になった記憶を置いてきた本物のまどかなんです。決して偽物や作り物じゃないんですね。(P14)

同じく、虚淵玄が語った部分

今回、まどかは、ほむらにねつ造されたキャラクターとして登場します。ほむらによって都合の悪い記憶を摘み取られている状態ですね。(P16)

記憶が改変されているという点では一致しているものの、総監督は「本物」と語り、脚本家は「ねつ造」と語るという真逆の発言。

キャラクターをもう一度活躍させたいと言う新房と、続編を作るつもりはなかったと言う虚淵スタンスの違いが端的に現れているのかなぁと思うわけですが、中心となるスタッフの間でもこんな解釈の違いがあるんだから、見る人によっていろんな解釈があるのは当然なんだろうなと。この作品に限らず創作物全般に言える話として。