日本の教育水準の低下について

先日,ふらっと書店に立ち寄った時,何も買うつもりなかったのに,印象的なタイトルの本が目に入った「東大生はバカになったか」.ふむふむと.また東大とか東大生とかタイトルに入れれば売れると思ってる輩が本を出したのかとか思ったら,著者に立花隆と書かれていた.おや?と.完全に興味本位で購入.実際に東大生は自分含め馬鹿が多いと思っていたし,立花隆がどんな視点から東大生は馬鹿になったと考えているのか気になり,衝動買い.

読み始めた所,ひたすら東大生が馬鹿にされまくる展開を予想していたのだが,そうではなかった.もちろん今の学生は馬鹿ばっかりで,東大生にまで馬鹿が増えているとは言っているが,それは日本の教育体制に根本的な問題があるとし,起源は大学の発足当初まで遡るとされていた.多少文脈は読み違えているかもしれないが,以下に流れを説明する,(思いのほか長くなってしまった)



 まず大学という存在の前提であるべきこととして,哲学者コンドルセフランス革命後に決めた高等教育のあり方を挙げている.それは,「教育の目的は現制度の賛美者を作ることではなく,制度を改善する能力を養う事である」というもの.これが近代社会における大学の基本理念であり,本来大学は国家に縛られない自由な場所であるべきと筆者は考えている.
 一方,日本の大学の起源は奈良時代に中国から直輸入された,大学寮と呼ばれるもの.日本は大学と共に中国の官僚主体的な政治システムも模倣していたため,大学寮は官僚の新陳代謝をするための官僚養成機関としての役割を持っていた.奈良時代以後も大学寮は幕府などのための高等教育機関として細々と生き残り,明治初期に王政復古の精神を,大学寮を通じて国民全体に浸透させようとする流れになるも,その流れは潰れ,ヨーロッパの大学を直輸入する事になる.しかし,高等教育機関は国家のための教育機関であるという考えが根強く,官僚養成機関としての性質が大学に残ってしまった.大学は国家により目指すべき方向性を決められ,教育は必然的に画一的になってしまう.こうした性質はGHQによって一度解体されるも,占有終了後すぐ元通りになり,91年に大学設置基準の大綱化がおこり国の大学に対する影響力が弱まるまで,カリキュラムまで文部省が考えるという国家主導的な性質が続いた.
 本書には,91年の出来事がどうして起きたかということに関する記述も行われている.91年頃になると18歳人口が急減し,大学の受け入れ人数が18歳人口を上回ってしまうため,買い手市場から売り手市場に移行してしまう.そうなると,文部省も大学自身が売り手にとって魅力的になる必要があるということが分かり,当然沈む大学が出てくるということに気づいた.これまでは護送船団方式で全ての大学のカリキュラムを文部省が作っていたため,大学側にほとんど自由度はなかったのだが,この大綱化によりカリキュラムは大学が作るべしとした.つまり,護送船団方式を解消することで大学の生き残りを市場原理に任せ,文部省は沈む大学に対する責任から逃れようとしたと筆者は考えている.この中で恐らく間違っていると考えられる所があるのだが,筆者は18歳人口が「急減して」と書いてある.しかし,調べてみるとこの頃の18歳人口は年々増加している(http://bit.ly/g4s3kg).ここでこの年代の人口ピラミッドを見てみた所(http://bit.ly/e2WNZu)納得した.恐らくこれは「人口の急減が確実となり」といった感じの言い間違いだと思われる.ともあれ,大綱化により大学の教育に於ける裁量の自由度が上がった事は大学としては大きな進歩となった.
 しかし,91年以降の18歳人口の減少は新たな弊害をもたらした.入学生徒数の減少により経営が最も圧迫される私立大学を始めとした,生徒に媚売ることが目的の入学試験レベルの低下である.入学試験のレベル低下に伴い当然起こるのが,入学者の質の低下.入試は本来,その大学で勉強するに足る学力を受験者が有しているかを調べ,それに満たない者を門前払いするためのものである.しかし,入試のハードルを下げる事で,それに満たないにも関わらず入学してくる者が増えた.これを受けた文部省の対応について,筆者は96年版行の文教白書の一部を抜粋して(http://bit.ly/gKD93s)批判している.ここに書かれている内容は,「高校の教育が多様化しているため(教育のレベルが低下しているため),大学で未履修組や履修組を分けて授業するなどのカリキュラムの工夫が必要となっている」というもので,実際東大含め全国の大学では高校の内容の補習等も講義で行われている.この現状を文部省は認めているも同然であり,このままでは大学の水準はどんどん下がって行く.
 それにさらに追い打ちをかけるのが,日本の大学特有のところてん方式とも言うべき卒業基準.日本の大学は一度入ってしまえば誰でも卒業出来るため,勉強しない学生がたくさんいる.欧米のように,容赦なく出来の悪い生徒を落第させないとこの傾向が変わる事はなく,日本の大学の水準はどんどん落ちて行く.
 大学の教育水準の低下は,日本の知の低下であり,それは国力の低下に直結する.つまり,このまま行けば間違いなく日本は沈没してしまう.



 といった感じで,これが全部じゃないんだけど,日本の大学の生い立ちから現在に至るまでの過程で,現在の大学の教育水準がどのようにして低下してきたのかに関する記述がされていた.他にも「教養(リベラル・アーツ)」についても熱く語られている.とりあえず,日本の教育のあり方に警鐘をならしていた.

 世の中では日本の教育はやばいって論争が起こっているのは知っていたけど,俺自身こういった教育に関する話をまじめに考えた事無かったし,まじめに聞いたこともなかった,この本を筆者の言い分が全て正しいとは限らないけど,全然見当違いなこと言ってるなというのは,俺の目には見当たらなかったし(極端で過激な発言が多いからきっとあるんだろうけど・・・),一読の価値はあるんじゃなかろうか.暇な方はぜひ.

立花隆著 「東大生はバカになったかhttp://amzn.to/gUrHhl