言葉を恥じる

おはようございます。

6月、今月もよろしくご愛読ください。
今年も一年の半分、折り返し地点、いろいろなことがこれまでにあったことでしょう。しっかりと反省し、半年を締めくくりたいものです。
事が上手く行かないことの原因は必ず道理に反した行いや言葉を発しているものです。意外や意外、この事実に気づかない人が多いのです。
自分の言葉や行動に執着するときは何の根拠もない「意地」だけであることが多いのです。いわゆる「我」への妄執。
人は一部分ですぐれているものです、この優れているという事一つとりあげても、部分世界でであります。
どのような場所ででも、どのような職業でも、どのような学問でもできる、などという人は神仏や聖人ならいざ知らず、どんな世界でも物事が誰よりもすぐれている人などはいないのです。
会社で一番、クラスで一番、市や町で一番ということはあり得るかも知れませんが、この一番も永遠になどということはありません。
ですから上に立っているからといって何を言ってもいいのか、と言いますと、それは?であることを知るべきです。
笛吹けど踊らず、という言葉があります。社長が、上司がいくら口に泡をして良いことを言っても、社員や部下が動かない、意の如くにならない、などという話は、よく聞く話です。
何故このような事態、現実が生じるのでしょうか、それは人は完璧な人はいない、ということの自覚がないことで生じるのです。
「言葉を恥じる」。
論語、憲問第十四、二十九条に「君子は其の言葉を恥じて、其の行いを過(す)ごす。」、とあります。
意は「孔子言う、君子は、自分の言葉に実行の伴わぬことを恥じて言葉を慎み、言葉以上に実践躬行(じっせんきゅうこう)するように努める。」。
社員や部下に求める以上に、上に立つ者は、先ず率先して発した言葉を行うことが大事であります。実行の伴わぬことを恥じもせずにあっては、誰も動く道理はないのです。
上に立つ者の行いが言葉以上でればこそ、言葉に説得力が出るのです。
今日のリーダーの至らなさが目に付くのは、全て「言葉に実行が伴わない」ことにあるのです。言葉を恥じる、気づくべきでしょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌