体得実践

おはようございます。

新幹線の車窓から見る景色は四季折々その風情を変え時の移ろいを否が応でも感じさせます。残暑が厳しいですが、田んぼでは稲刈りが行われ確実に秋はそこまで来ています。
人生にも毎日、毎月、一年の四季があるのでしょう。それをしっかりと味わえる人生でありたいと願っています。ふり返ることは出来そうでなかなかに難しいもののようです。何かきっかけがなければふり返るということができないからです。
それだけ懸命に生きてきたのか、漫然と生きてきたのかはわかりませんが、ふり返りは難しい。
孔子が「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」と言ったことにこの年になって、孔子の覚悟が見えてきます。それほど孔子は私のように「酔生夢死(酒に酔ったような、また夢を見ているような心地で、なすところもなくぼんやりと一生を終わること。)」の人生を過ごさなかったのでありましょう。
「体得実践」。
何事でも同じなのでしょうが、人生に対する姿勢、目的は「体得実践」することです。教えを聞いたり、何物かを見たりして私たちは人生の行動意欲をかき立てられます。それをあくまでも堂々と「体得実践追求する」ことが人生であると考えて今日まで歩んで来ました。
知った、出来た、だから「評価される」ではなく。評価を目的におかずに「体得実践」に目的をおいてきたのです。
私は比叡山下山後心華寺に入山しました。心華寺で師に教えられたことを体得実践しようとしたのです。一人の外護者もいない寺、生活することが直ぐ困る寺でした。しかしそのようなことに何の不安もありませんでした。ただただ「教えを体得実践するという喜び」だけがあったのです。
道を歩んでいましたら世界が違っても前を歩んでいる人が見えるようになり、ふと後ろをふり返りましたら後を歩んで下さる方があったのです。なぜそのような方が見えたり出来たのかをふり返って考えて見ました。
目的とは「曖昧なもの」です。だからこそ日常の中で何をやっていたとしても「遠いが確実な目標を見つめ、どんな中でも実践した」ことを思いだします。「意のままにならない状況」の中に在ればあるほど己を見失わず、自暴自棄にならず「目の前のことが目的だと考え実践した」のです。人生は思い通りにならないが故に「教えが大事であり」その教えを心に秘め「迷わず現実の中で体得実践する行動意欲」が大事なのです。今でも体得実践する日々です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。