学問と志

おはようございます。

今月のご愛読ありがとうございます。如何でしたか今月も粉骨砕身、努力を惜しむことなくしっかりと結果を出し一段上に上がったことと思います。私の結果を出したというのは人からの評価を得たということではなく、自己目標での階段を一段上がることです。出せなかったということであれば、それは立志、志を立て実現のため学ぶことをしていない当然の結果と考えてください。
「学問と志」。
学ぶことは誰かのために行うのではなく自分の為であることは誰しもその通りというのではないでしょうか。言われてすることもありますが、やはり自分の為がよろしい。自分の為にするのでなければ結果が出ない時自分がしていながら責任を転化するという愚かな思いを持つようになるからです。
変な例えというよりも見当違いかもしれませんが、食堂のウインドウで品選びをして注文し口に合わなかったとしても文句は言わないはずです、人生も同じ、須く己が決めたこと。
「学は立志(りつし)より要なるはなし。而(しこう)して立志もまたこれを強(し)うるに非(あら)ず。ただ本心の好む所に従うのみ。」(言志録)。
意は「学問を志すには、目標を立て、これを達成するために熱中することが肝要である。これも人から強くいわれてやるのではなく、自分の本心から出たものでなければならない」。
人生の意気込みは言われてするのと、自分が選んで志す者と、大いに違ってくる。故にその成果が違ってくることはいうまでもない。
私は中学2年生迄勉強が嫌で嫌でしかたがありませんでした。通信簿はボロボロ、しかしあるとき勉強に目ざめ学ぶことを志しました。やっているうちに自分の力もわかってきたので、入れる高校へ入り、そして叡山で修行するに至ったのです。
初めは目的を着実なものにし、小となく、大となくその目的を達成するまで努力する。努力する間に自然に自己の力と性格がわかってきて一段一段と高い目的に進んできたのです。私はこのやり方を「ジグゾーパズル法」と名づけています。ジグゾーパズルを始めるときには先ず「分かりやすいところから始めていく」からです。そうすることで「分からなかったところが分かってくる」。
後漢書に「志は易きを求めず、事は難きを避けず」とあり、意は「志は簡単に達成できるようなものではないことが望ましい。しかし、実行するには、実行可能な事を着実に成し遂げて自分の力に自信をつけ、さらに一段上の目標に向かう」というやりかたです。
できることを成す、もし成果が出せないのであるならば、身近な小さな事を積みあげることを行うべきであります。孔子も生涯の志を志学におきました。比叡山開祖伝教大師様は「己を忘れて他を利する」という永遠の志を掲げ身近な事をコツコツと積みあげ金字塔を打ち立てたのです。
現在の立場は過去の自分が築きあげたもの、未来を知りたければ今現在の在り方がどうであるかを知れば自ずからわかるのです。自身の人生は何も人様が作り上げたものではないのです。自身で作っているのです。
明日7月1日は心華寺「大般若経六百巻転読会法要」。盲導犬育成「チャリティ歌謡コンサート」です。どうぞ来月の誓いを新たにするためにおまいりください。今月のご愛読ありがとうございます。
*皆さんお手伝いご奉仕をお願い致します。明日は沢山の方のお参りが予定されています。沢山の方の手が必要です、多くの皆さんのために身施をお願い致します。午前8時までにお集まりいただきましたら幸いです。ありがとうございます。
一昨日からお泊まりでお手伝いに来てくださっている青年がいます。また昨日から今日からと数名の方のお手伝いも、明日も10名以上の方がお手伝いの連絡があります。
法要は法要自体のありがたさもありますが、皆様の慈悲心に触れることが実は一番の喜びでもあります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。