菩提の種を蒔く日

おはようございます。

大きい台風16号の動きが気になります。何ごとも無く過ぎてほしいと祈ります。今の時間弱い雨と風が少し吹いています。お気をつけください。
昨日から25日までの一週間は秋のお彼岸です。お彼岸は春秋の二回あります。芭蕉が「お彼岸は 菩提の種を 蒔く日かな」とお彼岸をどう過ごすかの行動を明快に歌っていますありがたいことです。お彼岸をどのように過ごす日なのかを芭蕉は自分で「菩提の種を蒔くこと」としたのです。私たちも菩提の種を蒔く一週間にしましょう。
お彼岸は、私たちが煩悩に振り回され悩み暮らしている「世界の岸を此岸(しがん)と言い」、「心の悩みや苦しみを乗り越えた理想の世界を「かの岸、彼岸(ひがん)」と呼んだのです」。
私たちは楽しい夢を描き、その夢が苦しみの種になってしまっているのではないでしょうか?、せっかく楽しく描いた夢や志なのに「苦しみにしている」おかしなことではないでしょうか?。いかがです?こんな風に考えたことありますか?。
お彼岸の春分の日秋分の日は「昼と夜の長さが等しく、バランスのとれた日です」。バランスのとれたところを「中(ちゅう)」と言い、お釈迦樣は両極端の「苦楽に偏(かたよ)らないバランスよい生き方を「中道(ちゅうどう)」と呼び」、大切な生きる姿勢、彼岸に至る道だと説かれました。
この中道的生き方は、「二つを足して割った真ん中ではなく、道理にかなった生き方をいいます。」(シーソーに乗って遊ぶとき体重の軽重によって坐る位置を変えて遊ぶようにです。)
此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の間に渡らなければならない川があります。それが「三毒(さんどく)」という貪(とん。むさぼり)、瞋(じん。いかり)、痴(ち。愚痴(ぐち))の煩悩です。夢を持ちながら得られない、夢に到達しないのはこの三毒に犯されているからです。
お釈迦樣はこの三毒の川を渡る「船として六波羅蜜の修行を説かれました」。これが「菩提の種を蒔くこと」です。
1、物でも心でも言葉でも、自分がいただいて嬉しい本当にその人のためになるものを施す(布施)。
2、お釈迦さまの定められた守るべき戒めを習慣づけていく(持戒(じかい))。
3、苦しみにめげず慈悲心(じひしん)を失わず、心を安らかに落ち着ける(忍辱(にんにく))。
4、真実の教えに従い正しい方向に向かって絶えず努力を続けていく(精進(しょうじん))。
5、姿勢を正し、呼吸を調え、心を静めて安定させる(禅定(ぜんじょう))。
6、真実の道理を見極め、正しい道を歩む洞察力である(智慧(ちえ))。
お彼岸は菩提の種を蒔く日かなと芭蕉が歌ったように、「善い習慣性をつける一週間」でもあります。
「戒とはよき習慣性」のことです。お釈迦樣が亡くなられるとき最後の説法において最初に示されたのは「六波羅蜜の2番目にあたる、「お釈迦樣の説かれた戒めに従って生きるべき事」でした」。
戒はインドの言葉で「シーラ」と言い、「よき習慣性を意味します」。つまり、犯したら罰則があるからということではなく、他から強制されたからということでもなく、自主的・自発的に遵守(じゅんしゅ)すべき行為を選び、自ら実践し習慣づけていく、そのような行為のありかたをいうのです。
「よき習慣性」という意味の戒は、法律のようにそれを犯すと罰せられるからという、外からの強制力や義務感の中で守ることではなく、「まことの幸せのため、周りとの良き人間関係を築くために、自ら、自発的に、その時その場の状況に応じて心がけていく修行のありかたなのです」。
お彼岸の一週間を「菩提の種を蒔く日として又よき習慣性をつけるために」ご先祖様にお仕えください。今日は午前10時から下関・愛宕寺「秋季・彼岸会法要」です。昨日書きました法供養です。ご先祖様がお喜びになられます。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆花はきれいです。そのままでも美しく、人が活けてもきれいです。私たちも心の花があります。そのままでもきれいですが、生き方暮らし方でまた輝きを増します。