幸せ

おはようございます。

下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりお手伝いありがとうございます。何度も書いていますが、「幸せ」という言葉、韻(いん)、響きが好きです。先ず出会いを幸せと感じられなければ「福(願い)」は得られないことを知ったからです。すべからく「因果応報」。善因善果、悪因悪果です。道理に無い現実世界はありません。法要に「幸福」と書いた由縁です。
先日も大変な台風は悲しいことにまたもや大きな被害をもたらしました。天は不仁、道理は不仁、だからこそ、「幸い」と天、道理を受け止める人が「福(目標)を得ることができる」のです。
我利で善悪、良否を決めて出会いをしてはならず、先ず受け止めることです。法華経、薬草喩品(やくそうゆほん)に「三草二木(さんそうにぼく)の譬え」があります。「三千大千世界(全宇宙)にある山や川、渓谷や大地に、多くの樹木や薬草が生えています。それらは、さまざまな種類があり、それぞれ名前や形も異なっています、私たちも同様。
譬えで、このように多種多様の草木を一応、上、中、下(大中小)の薬草と、大、小の樹木に立てわけています。それで「三草二木」と言います。そのようなところへ、厚い雲が空いっぱいに広がり、あまねく世界を覆い、雨となって降り注ぎます。
そして、多くの樹木や薬草をあまねく潤します。雨は平等に降り注ぎますが、草木は、「それぞれの性質にしたがって生長し、異なった花を咲かせ、異なった実が成ります」。同じ大地に生育し、同じ雨に潤されても、多くの草木はそれぞれ差別があると説かれています。
仏はただ一切成仏を説いているのに、衆生の受け止め方が違うということです」。だから、人を観てうらやましがったり、見下したりしてはいけないということです。私たちは天命を授かって誕生した、命をいただいたことを自覚すべきです。
この世には「我利での必要な物、不必要な物の存在など無いのです」。「都合の良い事ばかりの存在はない」のです。
しかし安心ください。恩恵は個々それぞれが確かに受け止められるという教えです。それを我利で否定し受け止めなければ、花も咲かず実も稔らない人生と化すのです。
善因善果とするには先ず「幸せと感謝の思いで受けとること」であり。悪因悪果となるのは先ず「否定から入る人です」。この世は道理から外れることはありません。「平等公平である無我の道理を我利で観ることほど愚かな行為は無い」のです。それは自らの才能を自らの手で手折る行為だからです。
我は本音、本心であり、我がパワーです、自分の夢に向かわせるエンジン、その大きなパワーを無我にして夢を叶えましょう。小さな理性、価値観で、我利のアクセルを踏みながらブレーキをかけ、がっくん、がっくんと自分の車を走らせないようにしましょう。
雨とは「出会い」という譬えであることをお忘れ無く。この世は人の雨が私たちを潤してくれるのです。人様を大切にすることでお互いがお互いを潤すのです。無我は「感動の連続の人生でもあるのです」。何故か「最初の感動を忘れない、初心を忘れないのです」。言葉を換えれば「我欲としない、我欲にならない」のです。祈り愛、ありがとうございます。来月もご一緒ください。
SさんMさん、早朝から皆様へ美味しいお供養をお作りいただきありがとうございます。美味しくいただきました、感謝いたします。Mさんには私の夕食までお供養をお作りいただきありがとうございます。美味しくちょうだいしました。感謝いたします。
今日からCMA様主催「株式会社長崎堂様・一泊二日・新入社員フォローアップ研修」が心華寺では開催されます。研修生の皆さん、お気を付けて入山ください。ありがとうございます。
明晩は「にんげん学」小倉講座、人生充実必勝法・克己の学「老子を読む」です。Taoも無我の教え、会場でお目にかかれるのを楽しみにしています。
今日も無我無心でお過ごしください充実の一日を楽しみましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
※どのようなご相談でもどうぞ。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
☆下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりお手伝いありがとうございます。SさんMさん早朝から皆様へのお供養作りありがとうございます。ごちそうさまでした。



法要を終えWさんに本州最西端という毘沙ノ鼻に夕日を観にお連れいただきました。Wさんありがとうございます。









Mさんに夕食のお供養をいただきました。毎月ありがとうございます。とても美味しくちょうだいしました。ごちそうさまでした。