杉浦非水装丁「国学院雑誌」

杉浦非水装丁「国学院雑誌」(国学院大学、大正15年)をネットで購入した。
国学院雑誌」杉浦非水表紙絵、となっていたので、てっきり「杉浦非水表紙絵」の特集号かと思って、注文したのだが、な〜んと、装丁をしただけの話だった。

それにしても、國學院と非水がどんなつながりがあったのか、興味あるところだが、今のところ、何も手がかりがない。あるいは1904年に、非水28歳、翠子18歳で結婚しており、翠子婦人とのつながりからという事もあるかも知れない。

翠子は大正4年北原白秋に影響され入門したが、子規の流れを引く「アララギ」に入り、斎藤茂吉、ついで古泉千樫にと転々としながらも歌作に没頭。自己主張が強く解きにはわがままとも思える翠子は「アララギ」の主流の島木赤彦一派から排斥され、悩んだ末、歯に衣を着せぬ鋭い反論を書いてアララギを脱退。12年、白秋系の歌誌「香蘭」に移る。社会状況全体を歌おうとしてひとりで「短歌至上主義」を発表、非水の装幀で烈しい論陣を張り、硬質の短歌を発表する。

大正15年12月発行といえば、杉浦非水装丁の代表作ともいえる『現代日本文学全集 尾崎紅葉集』が発売され、円本全集ブームの火ぶたを切ったのも丁度同じ12月である。非水のこの装丁を卑猥だっ、と評するひともいるが、そうかなぁ〜。