いずれも菊判で、白地を生かし朱色を基調色にし、束は約15ミリ。『吾輩ハ…』は表紙の芯ボールが薄手で、チリがなく突きつけなので、くるみ製本のように見えてしまうなどなど、多少、こうあってほしいと思うほうへと引っ張っているかも知れないが、観察すればするほど類似点に見えてしまう。改造社社主・山本実彦が漱石ファンだったのではないかとさえ思わせる所以である。
大正15年11月締め切りの「現代日本文学全集予約募集内容見本」には、山本が漱石ファンであることを裏付けるように夏目漱石「坊ちゃん」の組見本が2ページ付されている。この内容見本が配られたのは8月ごろではないかとおもわれる。「坊ちゃん」が収録されている『夏目漱石集』第19編は第7回配本で、昭和2年6月発行なのである。常識的に考えれば、第一回配本の大正15年12月刊行『尾崎紅葉集』の組見本が使われるのが妥当であろう。なのに、大正15年8月に始まった予約購読者募集の内容見本に、なぜ「坊っちゃん」が選ばれたのであろ
紀田順一郎氏は『内容見本にみる出版昭和史』(本の雑誌社、1992年)で「…巻末に『坊ちゃん』の組見本を2ページほど付している。これは当初第一回配本予定が『夏目漱石集』であったことを物語っている。現実には翌昭和二年の第一回配本は『尾崎紅葉集』で漱石は第二次募集になってからようやく第一回に起用された。当時の文壇力学が作用したものとおもわれる」といっている。(*注:手元にある第一回配本『尾崎紅葉集』は大正15年12月3日発行である。)
つまり、山本は漱石集を第一回配本に持ってきたかったのだが、「文壇力学」でやむなく当時人気のあった
『尾崎紅葉集』(大正15年12月)
『樋口一葉集 北村透谷集』(昭和2年1月)
『谷崎潤一郎集』(昭和2年2月)
『島崎藤村集』(昭和2年3月)
『国木田独歩集』(昭和2年4月)
『菊池寛集』(昭和2年5月)
に先を譲ったということなのである。
企画段階では社主・山本実彦が推す『夏目漱石集』が第一回配本の第一候補だった可能性が高いと考えると『現代日本文学全集』の造本は、『吾輩ハ猫デアル』をモデルにしたものと考えても決して強引な結びつけではないのではないだろうか。