いじめ放置のメリット

最近、いじめが社会問題化している。
逆説的な言い方だが、僕はこの現象をいじめが終息化への道をたどり始めた予兆だと見ている。終息といってもいじめがゼロになるわけがない。人間が社会に所属している限り絶対になくならない。
これはたとえば交通事故のようなものだ。交通事故による死者は過去最多の1万7千人弱に比べると半減している。交通量の母数が増加していることを考えると交通戦争は終息したと言ってもいいかもしれない。現在の飲酒運転撲滅運動が成功すればさらに一割以上は減少するだろう。しかしゼロにはならない。自動車という人を殺せる凶器が日常的に走り回っている限りなくならない。どれだけ気をつけても、確率的には最悪の条件が重なることは避けられない。ゴールド免許を持っている僕でさえ、明日自分が加害者にならないとは言い切れない。
同じように社会生活を営むにあたって、どうしても虫の好かない相手と顔を合わせなければならないことは当たり前のようにやってくる。また自分は人をいじめてかまわないのだと変な優越感を持っている人間も撲滅*1できない。大人になった僕でさえ、いつ自分がいじめの加害者側になるか分かったものではない*2。この社会から自動車をなくすことができないように、この社会から人と人の交流をなくすことはできない。いじめは絶対になくならない。
しかし、いじめは減らすことはできるし、悪質さを軽減させることもできる。そしてこういった完璧さを求めないアプローチならば経済学こそがもっとも効率のいい武器になる。
経済学による問題解決の順序は、
1.各主体の現状におけるメリット・デメリットの検証
2.現状を変革させるための新たなメリット・デメリットの提案
3.2が実現可能かどうかの検証
4.2が実現不可能ならばなぜ不可能なのかを同様に検証する
5.結果的に導き出された戦略の実行と再検証

という順番になる。


まずは各主体のメリット・デメリットを探ることだ。いじめという現象の主体には加害者、被害者のほかに、いじめが発生している共同体の管理者がいる。その三者の利害を検証していこう。
まずは加害者だが、このブログに加害者の利害の分析がある。特に批判するべき部分もなく、追加するべき部分も一つしかないので、そちらを参考にしてほしい。その追加する部分は説明を最後にまわすことにしたい。
次に被害者の利害の検証だ。被害者のデメリットに関してもわざわざ記述する必要はないと思うので、ここではメリットに関して検証しよう。被害者にメリットなどあるわけがないと憤慨する人もいるだろうが、人間は絶対になんらメリットがない状況に甘んじていられる存在ではないことを忘れてはならない。いじめられている状況に身をおいているメリットが被害者には存在するのだ。
もしもまったくメリットがなければ被害者はその場に自分の存在を置くことをしないだろう。それの極端な例が被害者の自殺だ。自殺はこのうえもなく不幸で遺憾な事件だが、逆に言うと、自殺まではする必要がないと考えている被害者が多数いるということだ。
自殺に関してもう少し言うと、自殺以外の手段を思いつかないこと、与えられていないことが一番の問題だ。もしもそれ以外の手段があるのならば、まずそれを試してみてからで遅くない。そういった文脈で、今回文部大臣に自殺予告手紙を送った子供はよくやったとほめてやりたい。死ぬ死ぬ詐欺につながるのではないかとの懸念の声ももっともだし、大人ならばもっと別のスマートな方法を思いつくだろうが、なんとしても生き延びたいという気持ちに正直であることがうれしい。また、意図したことではないのかもしれないが、大人側が子供を見捨てないとのメッセージを発することができたのもいいことだった。


さて被害者の現状維持のメリットを考えてみよう。
1.いじめられない人間に変身することがたいへん、もしくはイヤ。
いじめられる側にも問題があるということは昔から言われていることだし、僕もそう思う。外見や言動がいじめる側の神経を逆なでしていることは多い。しかし、そういった人間でありたいと望んだり、いじめられたことを契機にそれを変えることは負けだと思っていないだろうか。もしそういった部分を改善することを拒むのであれば、いじめは終わっても多くの人から好かれる人間にはなれないだろう。
もちろんどうしようもない障害が原因の場合には、どうしようもない。しかし小学校低学年ならいざ知らず、それ以上の年齢で障害を理由にいじめるほど今の子供は無神経なのだろうか*3
2.暴力の能力を身につけることがたいへん、もしくはイヤ。
大人のそれと違って子供のいじめにはいたって単純な解決方法がある。暴力という面で強くなればいいのだ。空手などの道場に通えば、この能力において小学校や中学校の1クラスの中で上位になることはさほど難しくはない。少しくらい貧弱な体格でも訓練された人間は体格に優れた訓練されていない人間と同等に戦える。少なくとも、訓練された人間を屈服させようと考えたら、刑事事件に発展しかねないような流血沙汰になることを覚悟しなければならないだろう。
3.学校からドロップアウトしたくない。
いじめられてもなお、その現場である学校に通うのはなぜだろうか。この一年か二年を息を潜めてやり過ごせば新しい環境へ身を移すことができる。それならば社会のレールから落っこちる必要はないではないかと考えているのだろう。たしかに現在の小中学生の親の世代にとっては社会のレールから少しでも外れてしまうことは大きな不利益だった。その経験をもとに親が子供に価値観を植え付けてしまっているのだろう。実際は、今の社会では社会のレール自体があるかないかわからないまで崩壊しているので、少しくらいのドロップアウトは不利益にならない。
4.友達と一緒にいたい。
いじめの現場である学校の中に友達がいて彼らと過ごす時間が大切なら、少しくらいいじめというデメリットを受けたとしても、学校に行くことはプラスの価値になる。そのとおりだ。たとえその友達がいじめを制止できるほどに強くなくても、恨まないでおいてあげよう。
5.加害者の親が被害者の親の関係者で、しかも上の立場にいる。
これは辛い。しかも実際にそういうことはあるらしい。親の立場を慮って子供がなにもできないとしたら、こればかりは当人の責任とは言えなくなる。しかし、親は大人なんだからいろいろと解決方法を考え出すべきだ。
6.いじめられてもいいから加害者の仲間でいたい。
これは男と女の関係に似ている。男は女の子にご飯をおごって映画をおごって、ポップコーンを買いに走らされ、たくさんの小言を言われ、最後はぼろぎれのようにふられて捨てられるとしても女の子と一緒にいたいということはよくある。男女逆のパターンも(僕は体験したことがないが)あるだろう。体育会系の組織でもこのような現象はよく見られる。
これがはたしていじめなのかどうかはよく分からない。本人たちもいじめではないと感じているかもしれない。ただし不健全な関係であることは確かだ。
7.生きてるだけで丸儲け。
けだし名言である。別にいじめがどうこうではない場面でも、この言葉は胸の奥に刻んでおくべきだろう。そしていじめられている本人はなおさらこの言葉を忘れてはならない。


こうして被害者が現状を維持するメリットを検証してみると、123と被害者が現状を打破する能力を身につけることを拒んでいることが見えてくる。47はいじめとは関係なく誰もが持っているメリットである。ただし4と3が矛盾することもあるだろう。
そして被害者が123にメリットを感じる部分を、逆に言うならば現状打破に感じているデメリットを減らしてやることが被害者が現状から逃れる力になるだろう。
いじめに関する言論で僕が嫌に思っていることが「被害者は何も悪いところがないから変わる必要はないんだよ」というものだ。そんなふうに被害者を甘やかすからいじめはなくならないのだ。そうではなく「こんな風に努力すればいじめから逃れられるよ。そんなに難しくないだろ」と言ってやるべきなのだ。世界には弱肉強食のルールが厳然として存在することを教えることもまた教育のはずだ。


次に共同体の管理者がいじめを放置することのメリット・デメリットを考えてみよう。というよりかはいじめをなくす行動のデメリットを見ていきたい。
1.単純に面倒くさい。
毎年々々共同体のメンバーは変化する。少しの間目をつぶっていれば、いじめの現場は目の前から消え去ってくれるし、たとえ今回のいじめを解決したところで来年にはまた新しいいじめが発生する。面倒くさいし、空しい。そういった状況下ではいじめを解決するための士気は大きく低下する。
2.いじめは存在しないという幻想に浸れる。
いじめが存在するから解決しなければならないのであって、存在しないのなら解決しなくていい。そしていじめが存在しないのは日ごろの教育の成果である。という幸せ共同体が出来上がっているのならば、被害者以外はみんな幸せである。
3.己の無力さを見せつけられずにすむ。
はっきりいって子供相手に説教するのは難しい。いや、大人相手でも説教は難しい。説教するということは相手の価値観を打ち砕くことだからだ。生半可な説得力では納得させられないだろう。大人が相手ならば、社会的処分という武器が使えるので、たとえ説得に失敗したとしても目的を達成させられるだろう。しかし体罰という武器もないままに絶対に説得しなければならないとしたら、己の無力を思い知らされることになるだろう。
また、先述したように絶対にいじめは根絶できない。どれだけ説得しても雨後の竹の子のように何度も何度もいじめが発生したとしたら、これもまた無力感に打ちのめされる現実だ。
4.大人の発言をすると攻撃される。
「友達だから仲良くしなければならない」という奇麗事で解決するのならばいいのだが、実際は友達になりたくない奴をいじめているのだから、解決しようがない。そこで「被害者のことは無視していいからいじめだけはやめてくれ」とか「被害者も変わらなくてはいけないんだ」とか言うとPTAその他から攻撃される。解決するほぼ唯一の行動をとったら攻撃されるのだ。馬鹿らしくてやってられない。だから反省文を書かせるなど通り一遍の役に立たないことをして終わったことにしてしまうしかない。


この管理者のデメリットの中で4が一番、業が深い。123の理由でいじめを放置する管理者はクビにしてしまえばすむことだが、誰に首をすげかえたところでよほどの天才でなければ4の理由がある限り問題を解決できないだろう。
4は結局、子供を子供扱いしている限りは問題が解決できないという僕の主張だ。大人の世界では子供の世界と違って極端にいじめが少ない。いじめが完全にないわけではないが、よく見ると当事者のどちらかが非常に子供っぽいことが分かる。権力を笠に着ていじめを行う人や、どれだけ注意されても態度を改めないためにいじめられる人のどちらか(もしくは両方とも)が存在している。ただしどうしても馬が合わないという理由で発生する場合もある。
そう。どうしても馬が合わないということがある。さきほどの加害者のメリット・デメリットに関することで付け加えたいといった部分がこれである。誰かを嫌いだという感情に理由が存在しない場合がある。嫌いだから嫌い。嫌いだからいじめる。この気持ちが湧き上がることを誰が止めることができるだろうか。
で、大人の世界の管理者は、こういったいがみ合う二人を引き離して配置するとかして対処することになる。別の場所に配置された子供な大人はそこでも問題を引き起こすかもしれないが、何度も問題を引き起こす人間にはクビになってもらうという荒業も使える*4
で、子供の世界ではあるが、被害者が誰からも嫌われているという場合がある。この場合、どこに配置換えを行ったとしても、やっぱりいじめはなくならないだろう。そしてこの子供が「被害者も変わらなくてはいけないんだ」という大人のアドバイスに従わなかった(従うつもりだができなかった)場合は…残念ながら自体が改善するまで隔離するしかないだろう。下手に集団の中に放置して、集団構成員のストレスを高めた挙句に被害者が自殺するといった不幸な結末をたどるよりかはずっといい。そして被害者本人にも自分が他人に不快感を撒き散らしているのだと自覚してもらうしかない。この教育によって本人が変化する意思を強く持ってくれたならば、本人の今後の大人の生活にも貢献することになるだろう。
僕のこの文章を読んでいじめの加害者側に大きく加担した文章だと感じる人は多いだろう。しかし、僕は逆に多くの文章をいじめの被害者に加担しすぎた文章だと感じている。結局のところ、僕は道徳よりも解決を重視し、僕を非難する人は解決よりも教条の追求を目指しているだけではないだろうか。そして僕が場当たり的に捻じ曲げた道徳がさらなる矛盾を引き起こす罠になっているかもしれない。もちろん道徳と解決が両立するならばそれに越したことはない。しかし世の中ままならないものであることが普通なのだ。
ただ一つだけどうしても主張したいことがある。子供と大人は別の生き物ではなく、子供は単に能力が未発達な大人に過ぎないということだ。子供には子供用の人権があるのではなく、大人の持っている人権を適用されるべきなのだ。

*1:文字通り解釈すれば撲殺して消滅させることだろうか。他人に暴言を吐いた程度で死刑にするわけにはいかないよ。

*2:新入社員の頃、営業所に一人、三十過ぎなのにまったく仕事のできないおっさんがいた。僕は新入社員なのに何度もその人のフォローをさせられていた。それにもかかわらず、その人は僕より多くの給料をもらっていたのだ。僕はその人に面と向かって暴言を吐きたくなる衝動に何度も駆られたが、長幼の序はある程度大事にしなければならないと思い、何とか自制した。僕が彼と同年齢だったり、逆に上司だったりしたらいじめていた可能性は高い。いや、自制していたと思っていたのは僕だけで彼自身はいじめられていると感じていたかもしれない。

*3:小学校の頃の友達に、両手両足の指が2、3本ずつしかなく、それもひどく変形したものだった少年がいた。たしかに最初は驚いたし、奇異の目で見てしまったのだが、すぐに彼が障害を持っていることに気づかなくなってしまった。たまに鉛筆や箸を持つ手を見て器用だなと感心する程度だった。きっと人をいじめたいという気持ちは肉体的欠陥よりも、性格的に嫌いというところから来るのだと思う。
 ちなみに彼とはスイミングスクールの仲間だったのだが、彼の身体的特徴に合わせたスポーツだったんだと今になって思う。多分、サッカーでも問題なくできたんじゃないかな。

*4:ただしとっちゃんぼうやな権力者は権力を持ってるだけにクビにできない。そういう場合は部下が自分から退職して別の大人な組織を捜すことになるだろう。