出光佐三(2)


黄金の奴隷たるなかれ




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、出光興産の創業者である出光佐三の言葉です。
彼は大成功を収めた経営者でしたが、その説くところはつねに形而上的な観念論であって、まるで哲学者のようでした。その生涯の中で、出光佐三は自社の社員に対して「金を儲けよ」とは一度も言ったことがなかったそうです。



そんな彼の思想を集約した言葉こそが「人間尊重」であり、それから「黄金の奴隷たるなかれ」でした。後者は、一橋大学大学院商学研究科教授である橘川武郎氏の著書『出光佐三〜黄金の奴隷たるなかれ』(ミネルヴァ書房)のサブタイトルにもなっています。
同書は「ミネルヴァ日本評伝選」の1冊ですが、入念な研究によって出光佐三の生涯と思想を浮き彫りにした好著です。



出光佐三が神戸高商の学生時代に、神戸の商工会議所の会頭が学校にやってきて講演しました。そのとき、会頭は学生たちに向かって次のように言い放ったそうです。
「商売とは金儲けである。学者先生は偉そうなことをいろいろおっしゃるが、そんなもので商売はできない。商売は成り立たない。空理空論を弄んではならない。金がなければ、この社会では何もできはしない。儲けること。それが全てである」
この言葉を聞いた出光佐三をはじめ、学生たちは猛烈に反発したといいます。



一方、尊敬する水島銕也校長は「実業に進むなら、金の価値を尊ぶのはもちろんだが、金の奴隷になってはいけない。黄金の奴隷になるな。士魂商才をもって事業を営むように」と説きました。この言葉が若き出光佐三の心の支えとなり、事業の原動力となりました。
彼の中では「関西の金持ちたちに黄金の奴隷が多い」という印象があったようです。
このへんは九州人と関西人の気質の違いかもしれません。
「黄金の奴隷になるなかれ」という言葉を出光佐三に与えた水島校長も大分県中津の出身でした。中津では蘭学の祖の1人である前野良沢福沢諭吉と水島銕也の3人をあげて「中津が生んだ三巨人」としています。福沢と水島の父は親しい友人でした。
それにしても「商売とは金儲けである」「儲けること。それが全てである」などと学生に放言する商工会議所の会頭もとんでもない人物ですが、彼の暴言のおかげで天下の実業家・出光佐三が誕生したという見方もできます。



1940年(昭和15年)に配布した『紀元二千六百年を迎えて店員諸君と共に』という小冊子の中で、出光佐三は次のように述べています。
「私の学生時代は日露戦争直後で、欧米物質文明横溢の黄金万能の時代でありました。人よりは金が偉い時代でありました。金さえあればの時代でありました。
私共若い者は反抗的に『金の奴隷たるなかれ』と絶叫したのであります。出光商会が主義として人間尊重を高調したのも理由があるのであります。私共は金の威力、実力を無視することは出来ませぬ。これを否認することも出来ませぬ。ただ私は金の実力を肯定しつつ、人間が金の上にありたい、金を使う時代を作りたい、一にも金、二にも金の世間より逃れて、一にも人、二にも人、三にも人の世の中にしたいのであります。金よりも仕事がしたいという心持ちは、独立主義から当然出て来る心持ちであります」



わたしは、この「一にも金、二にも金の世間より逃れて、一にも人、二にも人、三にも人の世の中にしたい」という言葉を初めて知ったとき、大きな感銘を受けました。
さらに、出光佐三は次のような方針を店員に示しました。
「出光商会は事業を目標とせよ、金を目標とするな。しかしながら決して金を侮蔑し軽視せよと言うのではない。現代の資本主義制度の時代に、金力を無視し軽視することは自己破滅である。事業資金として大いに金を儲けねばならぬ、経費も節約せねばならぬ、冗費無駄を省かねばならぬ、そして将来の事業資金を蓄積せねばならぬ。
ただ将来の事業の進展を邪魔するような、儲け方はしてはならぬ。あくまで事業を主とし、資本蓄積を従とし、この本末を謝ってはならぬ」
これは古今東西の経営者の言葉の中でも、最高のものの1つでしょう。
ドラッカーの「利益とは企業存続のためのコスト」という考え方にも合致します。



続けて出光佐三は、次のように述べました。
「金を尊重せよ、しかしながら金にひざまづくなという、この呼吸気分は金の奴隷たる事と真に紙一重である。店員の不断の修養の力にのみよりて、この妙諦を体得し得るのであります。人間尊重、人物養成お必要なる所以もここに存するのであります」
資本主義の世の中で、金の奴隷にならずに事業を発展させることは確かに難しいことでしょう。それを「矛盾」という人もいるかもしれません。しかし、毛沢東の『矛盾論』ではありませんが、矛盾こそは大きな核融合を引き起こすパワーを秘めているのです。
今年のサンレーグループは、売上・利益ともに大きな目標を掲げています。
佐久間会長も、社長のわたしも、出光佐三という方を心から尊敬しています。
あくまでも「人間尊重」のミッションを死守しながら、予算も完達する覚悟です。



出光佐三は、96年の生涯を通して財を集めることを排撃しました。「事業は金儲けのためではない」と言い続けた人生でしたが、その反対に財は集まりに集まりました。彼が亡くなったときの遺産額は77億円以上で、亡くなった昭和56年では日本一の額でした。
この事実をして、「言行不一致」などと吐く輩がいたとしたら、それは人生の法則を理解していない者の負け犬の遠吠えに過ぎないでしょう。ブログ「出光佐三(1)」でも紹介したように、この世には「究極の成功法則」というものがあります。それは、ひたすら世のため人のためになることさえ考えて行動していれば、金など自然に集まってくるものなのです。
人が金の奴隷になってはなりません。金を人の奴隷にするのです!


出光佐三の写真の前で



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年4月6日 佐久間庸和