出光佐三(1)


人間尊重




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、出光興産の創業者である出光佐三の言葉です。百田尚樹氏の経済歴史小説海賊とよばれた男』上下巻(講談社)が大変なベストセラーになっていますが、この物語の主人公・国岡鐵造のモデルは出光佐三その人です。彼は大成功を収めた経営者でしたが、その説くところはつねに形而上的な観念論であって、まるで哲学者のようでした。96年の生涯の中で、出光佐三は自社の社員に「金を儲けよ」とは一度も言ったことがないそうです。その代わりに「人を愛せよ」と言いました。そして、「人間を尊重せよ」と言いました。

海賊とよばれた男 上

海賊とよばれた男 上

海賊とよばれた男 下

海賊とよばれた男 下


「人間尊重」こそは、出光佐三の哲学を象徴する一語です。
昭和28年4月、新入社員の入社式で出光佐三は次のような訓示を行いました。
「出光は事業会社でありますが、組織や規則等に制約されて、人が働かされているたぐいの大会社とは違っているのであります。出光は創業以来、『人間尊重』を社是として、お互いが練磨して来た道場であります。諸君はこの人間尊重という1つの道場に入ったのであります」



また、昭和36年5月、在京社員への訓示において次のように述べました。
「純朴なる青年学生として人間の尊重を信じて『黄金の奴隷たるなかれ』と叫んだ私は、これを実行に移して、資本主義全盛の明治、大正時代においては、人材の養成を第一義とし、次いで戦時統制時代においては、法規、機構、組織の奴隷たることより免れ、占領政策下においては権力の奴隷たることより免れ、独立再建の現代においては数の奴隷たることから免れえた。また、あらゆる主義にとらわれず、資本主義、社会主義共産主義の長をとり短を捨て、あらゆる主義を超越しえた。かくて50年間、人間尊重の実体をあらわして『われわれは人間の真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える』との信念に生き、石油業はその手段にすぎずと考えうるようになったのである」

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか


とても実業家の言葉とは思えませんが、出光佐三は生涯そんな言葉ばかり吐き続けました。それなのに、事業経営でも希代の成功者となった事実には考えさせられます。
わたしは『法則の法則』で「究極の成功法則」というものを紹介しました。「成功したい」という「夢」を多くの人が持っています。また、「夢」を持つことの大切さを、いろんな人が説いています。しかし、真の成功者はみな、世のため人のためという「志」という名の最終目標を持っていました。とにかく、「志」のある人物ほど、真の成功を収めやすい。なぜでしょうか。



「夢」とは何よりも「欲望のかたち」です。「夢」だと、その本人だけの問題であり、他の人々は無関係です。でも、「志」とは他人を幸せにしたいわけですから、無関係ではすみません。自然と周囲の人々は応援者にならざるをえないわけです。「幸せになりたい」ではなく、「幸せにしたい」が大切なのです。いったん「志」を立てれば、それは必ず周囲に伝わり、社会を巻き込んでいき、結果としての成功につながるのではないでしょうか。



企業もしかり。もっとこの商品を買ってほしいとか、もっと売上げを伸ばしたいとか、株式を上場したいなどというのは、すべて私的利益に向いた「夢」にすぎません。そこに公的利益はないのです。真の「志」は、あくまで世のため人のために立てるもの。そのとき、消費者という周囲の人々がその「志」に共鳴して、事を成せるように応援してくれるように思います。そして、その「究極の成功法則」を実証した人物の1人こそ、出光佐三ではなかったでしょうか。



2500年前の古代中国で孔子が説いた「礼」こそは、「人間尊重」の思想でした。
陽明学者の安岡正篤は、「人間はなぜ礼をするのか」について考え抜きました。彼は「吾によって汝を礼す。汝によって吾を礼す」という言葉を引き合いに出して、「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。
また、「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじた人でした。
彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。



「人間尊重」の思想は、「人が主役」と唱えたドラッカーにも通じます。
出光佐三は「人間尊重」と「人物養成」を並べて口にすることが多かったそうです。
これは、「尊重される人間になれ」というメッセージがあったのでしょう。
彼は「尊重すべき人間になれ。そして、尊重すべき人間というのは平和と福祉を打ち立てる人間だと、こういう意味だ。人間に物を与えたりなにかすることが、人間尊重じゃないよ」という言葉を残しています。それとともに、企業とは人間を育成する場であるという理念がありました。「人間を育てるのに金を惜しむな」というのも彼の口癖だったそうです。 
これもドラッカーのマネジメント思想に通じます。
ちなみに、出光佐三は1885年生まれ、松下幸之助は1894年生まれ、安岡正篤は1898年生まれ、そしてドラッカーは1909年生まれと、ほぼ同時代人です。わたしは、いつの日か、この4人の人物の人間尊重思想を俯瞰した本を書きたいと思っています。

出光佐三 魂の言葉―互譲の心と日本人

出光佐三 魂の言葉―互譲の心と日本人


さらに、出光佐三の「人間尊重」には深い意味が込められています。彼は学生時代に「社会は人間が作ったものであるから、あくまでも人間が中心でなければならん。金が社会の中心で、金さえ持っておればあとはどうでもいいという社会はけしからん」と考えました。
ここでいう「人間」というのは、西洋における「神」に相当するのです。
なぜなら、西洋では「人間」ではなく「神」が中心ですから。
出光佐三 魂の言葉〜互譲の心と日本人』(海竜社)の編者である元・西日本新聞編集局長の滝口凡夫氏は、次のように述べています。
「世界にあまたある思想や哲学は、そのどれもが出発点は人間社会が平和で仲良く、幸福に過ごせるところになるために、人はどうすればいいか、どうあるべきかということから始まっているであろうと佐三は言う。ところが、西洋の思想・哲学は、例えば、神を天の上のものとしているために、『神』と地上で暮らす、生活を共にするという『実行』を伴うことがない。
佐三いわく『日本の神は人であり、実行者である』と。その点で、西欧では、観念的、抽象的な存在でしかない神が、日本では自らにつながりを持つ祖先であり、隣人たり得るのだと」



わたしは、つねづね「先祖」という縦糸と「隣人」という横糸が揃って初めて「人間のこころ」という凧が安定して空中に漂っていられる、つまり、人間が幸福に生きていけると訴えてきました。このような自分の考えが出光佐三の思想につながっていることを知り驚いた次第ですが、それには触媒となった人物がいました。サンレーグループ佐久間進会長です。
若き日の佐久間会長は、地元・北九州からスタートして大実業家となった出光佐三を尊敬し、その思想の清華である「人間尊重」を自らが創業したサンレーの経営理念としたのです。



しかし、佐久間会長は単に出光佐三の受け売りをしただけではありません。
「人間尊重」を、冠婚葬祭の根幹をなす「礼」と同義語としてとらえたのです。
安岡正篤も「本当の人間尊重は礼をすることだ」と述べましたが、サンレーにおいては「礼とは人間尊重である」という考え方が芽吹き、育っていったのです。
最後に、出光佐三は「石油業は、人間尊重の実体をあらわすための手段にすぎず」と言いました。不遜を承知で言わせていただければ、わたしは「冠婚葬祭業とは、人間尊重の実体をあらわすことそのものである」と思っています。明日の4月1日、サンレーグループの入社式において、新たに仲間となる新入社員たちに伝えたい最大のメッセージも「人間尊重」です。


出光佐三直筆「人間尊重」の書と



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月31日 佐久間庸和