香春紫雲閣竣工式

6月10日、福岡県田川郡香春町で「香春紫雲閣」の竣工神事が行われました。
サンレーグループとしては54番目、福岡県では30番目の紫雲閣です。


オープンした香春紫雲閣の外観

田中支配人と

竣工神事のようす

一同礼!



竣工神事では、由緒ある風治八幡宮の宇都宮禰宜がお越し下さいました。
宇都宮正幸禰宜に、非常に張りのある声で祝詞をあげていただきました。
開式の後、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀、玉串奉奠、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。無事に神事が終わると、ホッとします。


玉串奉奠のようす

施主挨拶をしました



それから、施主挨拶が行われました。
わたしは施主として次のように挨拶しました。
現在は梅雨だが、昨年の九州の豪雨は凄まじかったです。
自然の脅威を再認識するとともに、土地の神様をおまつりすることの大事さを痛感しました。さらに、産土の神様に礼を尽くすのは「国誉め」の儀式が大切です。



日本最初の歌を詠んだのはスサノオノミコトとされています。
怪蛇ヤマタノオロチを退治した後、次のような歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」
これが和歌の第1号のようですが、「出雲」という地名が歌われています。
これは、そのまま「国誉め」すなわち、祝福の言霊となっているわけです。
その土地の地名を歌に詠むことは、産土の神様への最高の礼なのです。


昭和10年頃の香春岳

現在の香春岳



さらに、わたしは以下のような話をしました。この香春紫雲閣は、五木寛之氏の『青春の門』で有名な香春岳の麓に建てられました。香春岳は、黄金期の筑豊炭田のシンボルです。
青春の門』といえば、大ベストセラーであり、わが愛読書でもあります。
1969年から「週刊現代」に断続的に連載されていますが、わたしは中学生時代に読み耽りました。何度も映画化やテレビドラマ化された名作です。
1976年、五木氏は『青春の門 筑豊編』で吉川英治文学賞を受賞しています。


香春紫雲閣から仰ぐ香春岳

青春の門をくぐりてたどりつく香春を仰ぐ天国の門



五木氏は、母校である早稲田大学の先輩にあたる尾崎士郎の『人生劇場』に倣って『青春の門』を書いたそうですが、主人公の伊吹信介も早稲田に入学しました。それに憧れて、わたしも「早稲田に入りたい」と思ったのです。いわば、『青春の門』という小説そのものが、わたしにとっての「青春の門」でした。そして、そのシンボルこそは香春岳だったのです。
その香春岳の麓から、ぜひ多くの方々を素晴らしい世界へとお送りしたい。
そして、わたしは次のような短歌を披露しました。



青春の門をくぐりてたどりつく
       香春を仰ぐ天国の門(庸軒)




その後、田中支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。
竣工式の後は、集合写真を撮影して、直会(なおらい)に移りました。
直会の冒頭では、佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長は、「この香春という土地は非常にいわれがあり、かつては小笠原藩が小倉ではなく香春に城を建てようとしたほどです。この由緒正しき地に新しい紫雲閣をオープンしたことは大きな喜びです。ぜひ、多くの方々の旅立ちのお手伝いをさせていただきたい」と述べました。


直会のようす

佐久間会長の挨拶



会長の挨拶の後は、風治八幡宮の宇都宮禰宜の乾杯の発声で宴がスタート。
風治八幡宮は伝統のある神社で、来年で建立1250周年を迎えられるそうです。
乾杯後は、松柏園ホテルの弁当を食べながら、みんなで楽しく歓談しました。


みんなで弁当をいただきました

最後は「末広がりの五本締め」で



最後は、橋本洋介常務の音頭でサンレー名物「末広がりの五本締め」を行いました。
この新しく生まれた香春紫雲閣が多くの方々の安らかな旅立ちのお手伝いができますように願っています。香春紫雲閣の見学会ですが、6月12日(水)に行われます。
前日(11日)の「朝日」「読売」「毎日」「西日本」の各紙に折込チラシが入ります。


各紙に入る折込チラシ



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年6月10日 佐久間庸和