たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「癒」です。



ずいぶん前から「癒し」が時代のキーワードになっています。
古代のシャーマンやイエスの病気治しに見られるように、「癒し」は人類史において文化を超えて古来から存在する表現です。しかし日本では、阪神大震災後に被災者の心のケアという意味で「癒し」の言葉が頻繁に使われたことから一般的になったとされています。



もちろん震災で遭遇したさまざまな恐怖のトラウマもありますが、被災者の最大の心の痛手は家族や友人・知人を震災で失ったことにありました。人間の心が最も悲鳴をあげるとき、それは愛する肉親や親しい人を亡くした時にほかなりません。わたしは、多くの葬儀に立ち会ってきた中で、次のように思い至りました。以下は、アメリカのグリーフカウンセラーであるグロフマンの言葉をわたしがアレンジしたものです。



親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子どもを亡くした人は、未来を失う。
恋人や親しい友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。



「失う」ということは、また「発見する」ということでもあります。配偶者を亡くした人は立ち直るまでに平均3年を要し、わが子を亡くした人は10年を要するといいます。愛する者を亡くした時、それはまさに人間の心が最も「癒し」を必要とする非常事態であり、そのための「癒し」の装置として葬儀というものはあるのでしょう。
通夜、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族にあきらめと訣別をもたらしてくれます。愛する者を失った遺族の心は不安定に揺れ動いています。そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものを押し当てて、「不安」をも癒すのです。



もちろん、通夜や告別式に参列し、悲しんでいる人に慰めの言葉をかけてやることは必要です。しかし、自分の考えを押しつけたり、相手がそっとしておいてほしいときに強引に言葉をかけるのは慎むべきです。ただ、黙ってそばにいてやるだけのほうがいいこともあるり、一緒に泣いてやることがいいこともあります。



ブッダには、こんなエピソードがあります。シュラーヴァスティーの町で、キサーゴータミーという女性が結婚して男子を産みましたが、その子に死なれて気が狂いました。死体を抱きしめながら蘇生の薬を求めて歩きまわる彼女の姿を見て、ブッダは、「まだ一度も死人を出したことのない家から芥子粒をもらってくるがよい。そうすれば、死んだ子は生き返るであろう」と教えました。一軒ずつ尋ねて歩いているうちに、死人を出さない家は一つもないことを悟った彼女はついに正気に戻れたといいます。



ブッダは彼女を無理やり説き伏せたりせず、彼女自身に気づかせた。自然なかたちで彼女の心を癒したのです。これこそ、究極の「癒し」ではないかと、わたしはいつも思います。
なお、「癒」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月29日 佐久間庸和