名前の祈り、ネットの呪い

一条真也です。

昨日、いわゆる「秋葉原無差別殺傷事件」の被告人質問が東京地裁で行われました。
2008年6月に東京の秋葉原において7人を殺害し、10人を負傷させた元派遣社員・加藤智大被告が、その半生を語りました。


               7月28日付「朝日新聞」朝刊より


事件の原因の一つとして、「小さい頃の母親の育て方が影響しているのでは」と述べたそうです。自身の生い立ちを語ると、母親から受けたさまざまな躾が口をつきました。
躾の範囲を超えた児童虐待のようなことは現実に存在しているので、わたしのような部外者には何とも言えません。
しかし、「智大」という名前からは両親の大きな愛情がうかがえます。
「智」とは儒教五常である「仁義礼智信」に由来します。
そして「智」とは、善悪の区別を知るということです。
子を持つ人なら誰でもわかると思いますが、親はわが子の名前をつけるとき、最高の集中力を発揮します。そして、「こんな人間になってほしい」と祈ります。
加藤被告の両親は、おそらく「善悪の区別を大いに知る」人間に育ってほしいと思って、「智大」という名前をつけたのではないでしょうか。
それが、あのような「悪」を象徴するような大事件を起こしてしまったのは、まったく皮肉なことですし、親の心中を思うと悲しくもあります。
ブログ「名前は世界最小の文芸作品」にも書きましたが、人の名前というものには親の祈りが込められているのです。



それから、加藤被告はインターネット上の掲示板への書き込みに熱中していました。
「おたく」を装って書き込みをしたそうですが、それで友人もできたそうです。
仕事以外の時間は、ほぼ携帯電話を使って掲示板へ書き込む毎日だったとか。
ある日、本音で激しい意見を書き込んだところ、ネット上の人間関係が悪化します。
彼は、そのとき、なんと自殺を考えたそうです。
話題作りのため、たわいもない冗談などを書き込み、それに返信があると嬉しさがこみあげてきたといいます。彼は次のように述べました。
「本音が出せるネット上の人間関係は家族同然。書き込みがあると、自分の部屋におしゃべりに来てくれるようで、一人じゃないと感じられた。自分が自分でいられる、自分が帰る場所だった」
いま、一方でITによるバーチャルなコミュニケーションが加熱していきます。
他方で、リアルな対人コミュニケーションが希薄になっていきます。
“血縁”も“地縁”もなくなってゆく「無縁社会」の中で、ITによる“電縁”だけが増殖しているのです。しかしながら“電縁”とは、あくまでもバーチャルです。
生身の人間との豊かな関係を築くことこそ、「無縁社会」を乗り越える王道であり、リアルな人間関係であることは言うまでもありません。



さらには、加藤被告は掲示板で自分になりすます人物が現れたことに腹を立て、自分が自分であることを証明するためにあの事件を起こしたようなことを語ったとか。
ブログ『現代人の祈り』でネットによる呪いについて書きましたが、彼はまさしくネットに呪われてしまったのです。ネット上のバーチャルな言葉に動揺し、影響を受け、リアルな世界でとんでもない大惨事を引き起こしてしまったわけです。
「信じがたい事件」とか「おそろしい事件」とかコメントするのは簡単です。
しかし、内田樹氏も言うように、史上最悪の「呪いの時代」である現代、このような事件はさらに増えてゆくかもしれません。
韓国ではネット上の中傷を苦にする芸能人の自殺が続発しています。
「ネットの呪い」は、殺人と自殺を大量生産するのです。
無縁社会」のみならず、「貧困社会」も、「ひきこもり大国」も、「うつ大国」も、「自殺大国」も、すべてひっくるめて、今の日本は「最大不幸社会」となっています。
そして、その背景には「ネットの呪い」の存在があるように思います。


2010年7月28日 一条真也