『殯の森』

たとえば黒澤明の『羅生門』。野盗の三船敏郎森雅之演じる武士を襲撃し彼の妻・京マチ子を強姦する場面が森の中。ギラギラ乱反射する木漏れ日が、三船と京の激しい欲望を表して強烈なインパクトだった。
また、イングマール・ベルイマンの『処女の泉』。やはり森を通りかかった若い娘が、三人の男たちに犯され殺される。
そのベルイマンは『野いちご』でも、主人公の年老いた教授が、昔、妻が森の中で他の男と密通していた姿を思い出す場面を描いた。
明らかに『赤ずきん』にインスパイアされたと思われるこれらの作品以外にも、森を舞台に激しい欲望と情熱、性のほとばしりや生への執着を描く映画はいくつもあった。
たとえばデヴィッド・リーンの『ライアンの娘』。アイルランドが舞台のこの映画では、ロバート・ミッチャムの夫に性的不満を抱く若い妻のサラ・マイルズが、駐留英軍の将校と不倫を重ねる場所が森の中。ルイ・マルの『恋人たち』や『七人の侍』でも、若い恋人たちは森の中でたぎるような欲望に身を委ねた。
森は、映画の世界では、もっぱら人を獰猛な生き物、欲望のしもべへと駆り立てる至福の舞台装置である。
殯の森』では、認知症の老人と介護士の二人が森の中に分け入ってゆく。しかしふたりは最後まで森を延々堂々巡りするだけで、ついに本作に映画的な官能の瞬間が訪れることはない。全体の三分の二以上を占めると思われる森の中の場面は、映画的舞台装置としてまったく機能していない。
亡き家族を偲ぶ喪失感は(自分にも一応妻子があるから)判らぬことはない。しかし、その喪失感が三十三年も前に失った妻に対するものという設定には、果たして説得力があっただろうか。
一見、六十歳前後と思われる老人が妻を失ったのは、少なくとも彼が三十歳前の頃。永遠に亡き妻を思い続ける老人というのは実に健気で、中高年の女性にとってはひとつの理想的老人像かもしれない。が、青年時代の死別に囚われ続ける老人の心中というものは、ワタシの理解をはるかに超えている。
仮に、認知症の老人にとっては、遠い過去も現在と等価なのだとしても、老人がこれほどに妻に執着することを観客が了承するに足るショットが、どこかにあっただろうか。残念ながら、ワタシには見出せなかった。亡くしたのが妻でなく、幼子であったとすれば、幾分は理解できたかもしれないが・・・・。
あるいは、主人公の老人がもっと老人らしく見えていれば、違った印象になったかもしれないが、この老人が、見かけ上は少しも認知症の老人に見えないのも致命的である。介護施設に勤務する方が「主役の老人の体格が逞しすぎて老人にみえない」という意見をどこかに書き込んでいた。これは大変鋭い指摘で、ワタシは、この老人はどう見ても、毎日ジョギングか筋トレをやっている六十歳前の団塊世代にしか見えなかった。視線も、認知症の老人のそれではなく、認知症の老人を演じている俳優の視線に見えて仕方なかった。
カンヌ映画祭は、毎年審査員が交代する。今年は審査委員長にスティーヴン・フリアーズ、審査員にマギー・チャントニ・コレットマルコ・ベロッキオミシェル・ピコリらと聞いた。過去の審査委員長には、クエンティン・タランティーノデビッド・リンチウォン・カーウァイもいて、毎年審査基準や意見はコロコロ変わる。だから、『殯の森』がグランプリを獲っても別におかしくはない。
河瀬直美監督よりも優れた映像作家は日本に大勢いると思うが、河瀬監督が人並みはずれた強運の持ち主であること、それに売り込みが大変上手い、ということは言えるのかも知れない。
★ひとつ余分に進呈したのは、山間の風景や土砂降りを巧みに捉えた撮影が大変素晴らしいので。

羅生門 デラックス版 [DVD]

羅生門 デラックス版 [DVD]

処女の泉 [DVD]

処女の泉 [DVD]

野いちご [DVD]

野いちご [DVD]

ライアンの娘 特別版 [DVD]

ライアンの娘 特別版 [DVD]