三界幻想紀/移行版 -在澤魔王裏日誌-

金沢に棲息する海月型魔王の裏日誌が移行したものとも解釈出来ます

"あの日"から幾年経って...




事の(終わりの)始まりは2013年の03月13日だったかな。
丁度その時の私は家族で沖縄に小松->羽田->那覇の順で飛んで向かってな、無論沖縄は初めてね。
機外に足を踏み入れ、刹那、「まだ03月やっちゅうんに初夏ですかい?」とも表せるもわっとした空気感に衝撃を受けつつ、
当時使っとったiPhone 4Sの電源を入れてTwitterを見たんだっけな。
そこで目にしたのが...そう、正に上の様な状態になるとの告知の伝聞だったって訳だ。


やぁどうも皆様。改めていらっしゃい。
我こそが手悟群 翔や。御機嫌は麗しゅうて?


主題の通り、正に"あの日"の...そう、20130313の午前末に「"うごメモはてな"が20130531を以て終了する」との報を受けて、もう4年も経つ。
"あの日"以来、ここに何かしら言及しようかと考えてはみたものの、タイミングを合わせる内に1ヶ月, 5ヶ月, 1年, 2年, 3年...と流れてしまった訳だ(苦笑)
(まぁ専ら主たる発信源がここではなくTwitterになっちゃったもんで、ここに書く気力が然程なかったちゅうのもあるもんやがね:-p)
漸く4年目付近の本日にして、私を取り巻く状況的にも時間的にも余裕がある程度確保出来たので、いよいよ筆を久々に持つに至った訳だ。


さぁ、まずは何から話そ...っちゅうかあれやね。まずは最後の投稿から本日に至るまでの4年間、
一体全体私を取り巻く状況は、そして私自身がどうなっちゃったのか説明せんとね。とその前に語れば語る程私の駄目ヒトガタっぷりが露呈されるのと、いつもより直接的になってる為に生々しい様子になっちゃったのを御赦し頂ければ...
総括的感想を述べるならばこうか、「ある意味では悲惨やった」と。まぁ今では結構マシになった(ここ重要)がね。


まず沖縄旅行の後に何が起きたっつーと、"部活を脱退した"ってのがある。
あらどうしたものか。高専入学時には自ら"いざここに入らんと欲す"と門戸を叩き、そこに所属出来た事が心地良く誇らしかった程の部活を抜ける事になるとは如何?
弁明しよう。全ては"コンテスト"に向けたグループに所属したのが大誤算やった。
原因は自分半分環境半分か。確かに我が腕が未熟過ぎたと言うのもあるし、舐め過ぎてたと言うのもあるし、問題の解析に迷って迷走したのもあるが、それ以前に属する環境が不味かったかもしれん。
確か私含めて5人程度のグループやったが、私を除いて全員寮生で構成されとったんさ。これが結構響いて、ってのも提示する作品の構成とかに関する会議が夜とかにもあったんやけど、やはり資料提示等や意思疎通の面に於いて大多数がその場に居るのと一人だけWebから見てるのじゃ、差がありすぎるのね。
そして私以外寮生である事は、即ち"寮生である"との関係性による絆等が私以外には強固にあって、寮生じゃない私には意見/質問どころか口出しすら躊躇う程の疎外感に近いものを感じたんね。
と言うか結局の所上司もといリーダーが怖かったんだろうね。結構舌打ちしてたし。この舌打ちってのが怖い上に辛いんだわ。舌打ちするなら唸る方を御勧めするっちゅうか唸る方がマシやわこんなん。
まぁ元から専門的な技術取得をしとらん私が専門的に習得されてる方について行ける訳無く、そして上記の要因等が重なって自分自身でも問題の把握が困難になり、
結局はグループからの脱会を申し出て受理されたんだけど、もう居心地も悪くなっちゃったと言うのと罪悪感なのか自尊心保護故なのか、そこから更に逃げる様な形で部活自体も行かなくなっちゃった訳だ。
その後しばらくして一度戻った事はあったが、その時には既に部活の構成も変わり、「最早私の居場所はここには無いね」と悟り、脱退したってこった。
結局の所、臆病と別領域の愚かさが、アカン事態を生んでしもうた訳だ。
今でもたまに、「あの時"コンテストに出る"なんて言わなければまだマシだったろうか」と考える事もあるし。その時の上司を除くメンバーに対しても鉛の如き気まずさが漂う様になってしまったし...。


さて、まだ"これだけ"だったら良かったかもしれんが...どうも因果なるものは残酷なのか何なのやらってこった。
上記の通り部活を抜けたのが2013年の夏頃やったが、翌年の05月に立て続けに事は起きた。
"所属していたサークルの解散"と..."祖母の逝去"が同時期に重なりよった。
前々から肺に...更には全身に腫瘍を煩っとったが、旅行後から体調が優れんくなってな、
時が経つに連れて「あぁ...これはいよいよ覚悟を決めなアカンな...」と悟った末に、11日の母の日に旅立ったんさ。
母からも状況の経過を毎日聴いとったもんなんで、ある程度覚悟と冷静を保って立ち会う事も出来たが...問題はその後のサークルの件がだね。
部活脱退後の私の放課後領域での居場所は、結構前にも言及したゲームとかを作るサークルのみになったんだけれど、
祖母の件もあったんで「一時的に活動から抜けさせて頂きたい」と申し出て、受理されとったんね。
んで11日を経たんだけれど、丁度その頃サークルもある出張で出発する時期だった様だ。
サークルの主と電話をし、我々家族も家に帰り色々と落ち着かせ、その翌日だったか翌々日だったかふとFacebookを開いたのね。
そこで唐突にして、知らぬ内にサークルが解散する事が決定されたのを公式アカウントからの発表を通して知ったんさ...。
サークルの解散話なら事前にLINE等で告知が入ってても可笑しくはなかったんだけれど(なおその件は後日Skypeにて忠告済み)、それすらも無いもんなんで正に"寝耳に水"とはこう言う事かと。
さぁこの二つの出来事が一気に降り掛かって来た際の影響ってのがまた曲者ってこった。
最初の頃は「何とか乗り切れるっしょ」と舐めてみてたんだけれど、時間が経つに連れてねぇ...何と言うか、本当に私はとんでもなく大きいものを失ってしまったのねと言えるのかねぇ...。
そう、時間経過と共に我が心には鉛色なのか解らぬが、妙に大きめな空虚が現れ、鉄を錆びさせるかの如く私を蝕んだんよ。
何と言うか、今まで猛烈に高速なトロッコに乗ってたのが、いきなり空中に放り出されて浮いたまんまで身動きも取れぬって言えばええんかねぇ。


さぁさぁ、自ら産んだ罪故の罰を抱えているのかはたまた罪をかぶせられたのか解らぬ心持ちのまま、一年が過ぎてだよ、
そう、時は2015年だ。即ち私は高専5年生になった。即ち、"進学"か"就職"か選ばなきゃならん時が来てしまった。
大学に編入するなら2月の段階で判断するのは遅過ぎたと言うのと、その時まで"大学に行く"と言うのを余り考えてなかったってのもあって、
結局は"就職"を選んだんだけれど、中々に地獄を見た。
と言うのもこの年度から就活スケジュールが変わったんだけれど、前年度のスケジュールの流れのままって企業もあると伺ったもんで、始まった時点で結構な情報戦になってたんね。つまりエントリー出来るタイミングも短いって事か。
さぁこの就活も私の駄目っぷりが露呈する羽目になったんだがね(恥) 阿呆な事にエントリー数を少なめにしちゃったもんだから、後が大変だったかもしれぬ...。
更に高専の就職システム自体を舐めとったってのもある。トントン拍子で余り力入れんでも上手く行くと考えてたけど...まぁそう簡単に行かんわなぁ...(大苦笑) 結局は"自らが主体となって動かなければならん"と言う点じゃ普通のと変わらんかった訳だ。
当初私は7月に入るまでに全て終わらせると言う今思えば壮言大語もええ所の計画で進めてて、故にエントリーした企業も絞ったのが...まぁ不味かったね。
役員面接まで行けた所も有ったけど、結局駄目だったし。それ故に今後の計画を全て再構築する羽目になっちゃった訳だわ。
てかそれ以前にまさかの履歴書とかの類いで家族間で地獄を見ると言う他人から見たら訳の解らぬ状況にもなってたわで、大変な辛酸を嘗めたってこった。これに近いのが確か高専受験時だったかもしんない。
んで、7月以降の就活は、正しく"Try & Error"と"就活担当教員との半闘争/半共闘"やったかもしれん。
とりあえずまだ募集中やった条件に該当する企業にエントリー/面接を繰り返し、しかし落とされの繰り返しやった。
時が経つに連れて相手方の反応も上々の所も出て来たけど、自らの要因故か相手側の要因故かで結局は落ちるまま12月を迎えちまった。
これにより、卒業研究も思う様に上手く出来たかったのは自らのスケジュール構成能力に問題があるとは言え、辛かったなぁ...
更にその課程でまたShockingな事が起きちゃうもんで...そう、それは次なる就活のApproachを構想しつつ体験入学の準備に向かおうとしていた、晴れた蒸し暑い日の事やったなぁ。
バスを待つ間にTwitterを見ていたら、「まさかそんな...」と愕然とする程信じられない文面が飛び込んで来た。単刀直入に言えば"ある人の訃報"なんやがね。
ここ最近矢鱈と伝説級の人等が天に召される等の報告が大変多い様に見えるけれど、その中では上記の祖母の件を除いては一番動揺した件かもしれないな。
何せ、"その人"は私と同じ石川県にて生を受け暫く育ち、果てには生まれが1995年03月と早生まれとは言え私とほぼ同い年やったもん...
そんな同世代同年代の人で、"音紡ぎ"と言う同一領域に属していた者が原因不明のまま"三途の彼方"へ行っちゃうもんで...いや参った。今でも参ってるかもしれない。時に彼の事がFlashbackしちゃうんよね...余計に。


そんなこんなで中々悲惨な出来事に呑まれまくった高専後半期やったが、その中でも明るめの件も無い事は無かった。
部活脱退と同じ時期に"某お船のGirlsのアレ"が台頭してな、ゲーム自体は私自身"作るのは上々, やるのは不器用"なもんでやってなかったんだけれど、
Pixivとかで"あの娘"達を知れて癒されて、そしてその果てに本日に至るまで"伴侶の関係"を初めて心の底から意識した娘と邂逅したのは奇跡的と言えようや。
今まで"キャラ"と言うか"二次元的存在"に衝撃を受けた事は...まぁ僅かながらあれど、あんなに電撃が脳裏を貫いて衝撃からその存在を意識した曲を紡ぐに至る程になるのは始めてやったわ(半苦笑)
御陰様である程度、不安定状態にあった自我を保てた訳だし。そしてそれは祖母の件の時も僅かながらにせよそうだったし。やはり"萌え"の力って尊いもんよ。
そしてこれ忘れちゃアカンね。"北陸新幹線"の件よ。2014年の衝撃二件で潜在的に受けた空虚はいよいよ私自身に命の放棄を選択しかける程に侵食してたんだけれど、
朧げなイデアの中、"開通の日までこの命棄ててたまるものか..."とこれだけは、強固な目標として定めとったんね。
そんでもって来れり"20150314" 正に我等北陸の民にとっては"一世一代の時"よ。その瞬間の空間に私が"富山まで乗る"と言う形で立ち会えたのは大変今でも誇らしいもんよ。
更にはそれの御陰で、久々に中学時代の相方と北海道を大方巡れたし。まぁほぼ全て特急未使用なもんで大変やったが、その課程で本来2013年に行くかもしれなかった所に行けたもんで、相方には有難さしか無いね。


...さぁ、そんなこんなで長々と書いて来たけど、2015年12月以降の私が一体全体どうなったかってのを言及してなかったね。
Try & Errorを繰り返したもののいよいよ12月にもなり、就職先を求めてハローワークにも救いの手を求める程になってしまってた訳だ。
そのハローワークで提示されてた所に最早"駄目元"/"もうこの際は受かる受からん考慮せんわい"とほぼ舐めかかった形でエントリーし、
そこから12月中旬に最初の面談を受けて、何故か新年超えた01月上旬付近にまた呼ばれ...ここで全てが決まったと言っても良い。
"駄目元"のつもりが今までに無い程の点々拍子で事が進み...そして月末だ。
高専からの帰宅後に電話が掛かって来て...本当にあの時の喜びっぷりと全てが終わった安堵感ったらねぇ(苦笑)
正に"曇天晴れて未来有り"だ。私は"就職"を果たせた。それも"在澤"の条件を完全に満たした上で、だ。


そして一年間が過ぎて、本日ここに長々と4年間分の文を書くに至る訳だ。
まぁ結果的には強運なのか何なのかマシな方に収束した感じはあるけれど、この4年間で私の心身諸々滅茶苦茶な状態になったと言う事実は確実に否定出来ないだろうよ。
その課程でいよいよ私は自らを「果たして"人間"で適しているのか? むしろ"ヒトガタ"の何かの方が適しているのでは?」と自問し、果てに自身を"魔王"と定義するに至っちゃったもんでな。ある程度気が楽になったし"在澤魔王"の称号にも誇りを持っとるが、まぁ大変だね。


以上が20130313から本日に至るまでの4年間の、私の過程や。
今後ここは第二領域(http://shotagomurawithfpo.hatenablog.com/)の"裏ブログ"とするけど、書く事は極めて少なくなるだろうよ。
そんじゃ、長々と御付き合い有難く謝辞を述べて、これにて仕舞いとしましょうか。
「今日はこれにてそんじゃーね」




追伸: とりあえず現時点では高専後半期程の悲惨さは幸いにも起きてないけれど、JavaScriptの扱いに限っては滅茶苦茶辛いかなぁ(大苦笑)(! 一応総務職です)