黒澤明監督作品 『夢』 雑感

黒澤明作品をどんどん見ていこうという気持ちはあるものの、たまにある放送をがんがん見逃してしまっていて気付いてから落胆を繰り返してきた今日この頃、運良く録画できた『夢』を見ました。
正直な感想を言うと、少々退屈なシーンも目立つ映画でしたが、そこを差し引いても有り余るほどの映像美と、自然への示唆に富んだテーマ性を感じたので、章ごとに雑感を書いていきたいと思います。

なお、各章の題名など、wikipediaを参考にしています。*1


1.日照り雨
狐の嫁入りを見てしまったことから、自然に生きる者の強弱関係を思い知らされるという話でしょうか。
狐の嫁入りの行列と踊りが何とも不気味で魅力的です。


2.桃畑
個人的に一番好きなエピソードでした。
これも自然への畏怖の心を忘れないようにという黒澤監督の深層心理からの圧力が見せた夢なのですかね。
謎の少女が、桃の木の伐採を知った落胆のあとからくる新たな生命の兆しとして描かれたほのかな希望のストーリーがよかったです。


3.雪あらし
かなり退屈な話でしたが、自然が人に猛威を振るうときの、その大きな苦境のなかで手を差し伸べてくるのは美女=甘い死の誘惑である、という教訓でしょうか。


4.トンネル
戦争で生き残った罪悪感と闘う夢のように感じました。
主人公を責めるように吠えたてる犬が赤いライトで色味を帯びている事により、赤色を罪や死を象徴しているように思えます。


5.鴉
絵の世界に迷い込む入り口となる、あのつり橋の絵を再現したセットは圧倒的な存在感でした。
なおかつ、絵の世界=画家の心の世界に立ち入るという行為、その心の世界のある種の不可思議さなども同時に表現されている面白さがありました。
ゴッホの自然の捉え方は、「自然をむさぼる」ことで「どのような自然も絵になりうる」のだという解釈。
あと、マーティン・スコセッシ監督って演技上手いんだなーと・・・


6.赤冨士
福島原発の問題が現出した今、タイムリーな話題だなーなどと思いながら見ました。
原発の爆発で「赤」に染まった富士山や、色づけされた放射性元素は「赤」「黄」「紫」であり、ここでは死の象徴のようでした。
あまり科学的とは言えない描写ですが、原子力への過激なまでの恐怖と憎悪を感じる一篇でした。


7.鬼哭
先ほどの「黄」の死の象徴が引き継がれて、この章ではタンポポの異常な巨大化という、生命倫理を犯して生みだされた罪の象徴のように表現されています。
鬼は、弱肉強食の世界を呪い、自分が人間であったころに犯した罪を悔いています。
鬼が集まる池が赤く染まっているのも、引き続き、罪や死の象徴を暗示しているように見えます。
その状況に加えて痛みによって我も忘れそうになるとき、「お前も鬼になりたいか」と人間である主人公を追い返すところに、鬼に残るひとかけらの良心を感じさせられます。


8.水車のある村
科学文明に懐疑を向ける老人が、自然との共生を語る最終章です。
人間は、自身が自然の一部であることを自覚して、自然とともに生きること、自然とともに老いて死んでいくことへの歓びを主張します。
新鮮な空気と水の重要性を語った直後の主人公の目線の先には、「赤」「黄」「紫」の花が咲いていて、それら自然によって育まれた「新たな生命」の象徴として配置されているようです。
これは「赤冨士」における三色の放射性元素の「死の象徴」というメタファーが転化したもののようであり、一度は人類へ絶望したが、もう一度生命への希望をあきらめずに生きようという黒澤監督の心理の流れを感じ取れました。

  • 総評

巨匠の道楽作品と言われても仕方がないような展開の遅さは感じるところですし、これらの主張に「その通りだ」と同調することが正しいとも甚だ思えないような自然の過剰な神格化も見受けられる作品ではあります。


しかし、とにかくその主張に説得力を加えるための映像の美しさは驚くべきものでした。
また、その映像の美しさを理解するため、表現するために必要であった、日本文化に対する知識や、その情緒の表現への知識の少なさを改めて痛感させられ、反省させられます。
それらを身につけてからもう一度見たら、さらに作品理解は深まり、黒澤監督の心のより深くにたどりつけるだろうと、そんなことを予感させられる映画です。


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