二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/二十四孝諺解・20 丁蘭

亡き親の木像を作って毎日生きている人のように敬った丁蘭。

ARC古典籍ポータルデータベースより

丁蘭

河内の野王といふ所の人なり。十五のとし母におくれけり。かなしみて
母のかたちを木像につくりて。朝夕いきたる時の。ごとくにつかへけり 
或とき丁蘭か妻 火を。ともすとて木像のおもてこがしければ。
かさのごとくにはれ。うみ血ながれけり。
二日を過て。丁蘭が妻の頭の髪。そりおとしたるやうに。ぬけたり
驚て扨は木像のとがめ成べしと。木像を大道へ出しをき妻に三年侘言を
させければ一夜風吹。雨ふりて。木像みづから内へ帰けり。
それより何事も此像に。うつたへける也。

刻木為慈母 形容在日身
寄言諸子姪 聞早孝其親

木を刻慈母をなせりとは。母のすがたを木に、きざみたる事也。

在日の身を形容すとは。生て居給ふかたちに。すこしもちがはぬ
ごとくにうつしたるとの心也。

言を寄諸子姪とは。世の中の人の子たるものにことばをよするぞ。
これをみて。かならず親に孝行を。いたせといふ心也

聞早其親に孝せよとは。此丁蘭の孝行を。きいて。尤とおもひ油断なく
はやく。孝をつくせよとおしへたる也。

孝子之事親也 事死如事生と是聖人の御詞に相かなへるもの也
ーーー

漢文帝との大きな違いは、母親が壇上にいて、香炉や蝋燭が置かれていることでしょうか。木像なのか生きている人なのか、母親だけ見てもわからないですねー。

 

↓こちらは漢文帝。侍女がいるので椅子に座っているのが身分の高い、生きている女性だとわかります。

 

書籍/二十四孝諺解・19 王裒

深夜、お墓のまわりをうろつく怪しい人物は王裒。

ARC古典籍ポータルデータベースより

王裒

晋の國。えいゐん(営陰)といふ所の人也 賢人にて官にも位にも。
つかずまづしくしてもさらにたくはゆる事もなく。
かうさくをし世をわたる也 有時父の王義。罪なくして帝文帝に。
ころされしかば是をうらみて。かりにも文帝の。おはします方へ。
むく事なし。其方をあとにして居ける也。我みかどに。つかへぬといふ
心也。父の墓にゆきて柏の木に。取つき。なきけるほどに。泪木にかかりて
枯たり。母は又つねに神なりを。おそれしかは死て後も。母の墓にゆき。
それがし爰に。まいりたりとて。母に力をつけけると也

慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺
阿香時一震 到墓遶千廻

慈母は。母の事をいふ也 慈はめぐむと。よむ也。父を悲父といふ也。
雷を聞怕とは。母つねつね神鳴に。おそれ。られしをいふ也。

氷魂とは王裒をいふなり。人間をは氷魂といふ也。其心は。氷の魂と
よむ文字也。人の魂はきへやすき事。氷のごとしといふ心也。夜臺に宿すとは。夜も墓に行て。ねるとの事也。

阿香時一たひふるへはとは。阿香は神鳴也。ふるうとは。きびしく。
なりわたる事也。ねてゐる時も神鳴がなれは。其まま墓所へゆく也。
墓に至て遶こと千廻とは。母の墓所を。くるりくるりとめぐりいる也。
千廻とは。千めぐるといふ文字也。然とも千反(返べん?)にはかきらすいくたびも。
めくる事也。尤孝行のふかき心。おもひやるべし
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八千代市飯綱神社の王裒。振り向いて雷神を見ています。

書籍/二十四孝諺解・18 黄山谷

母親の下の世話を進んで行う黄山谷。奥さんをこき使った姜詩にも見習ってほしいですね。

ARC古典籍ポータルデータベースより

黄山

宋朝の人也 詩は東坡の弟子なり 家富貴にして人あまためしつかひしとなり

貴顕聞天下 平生孝事親 
汲泉涓溺器 婢妾豈無人

貴顕天下にきこゆとは。山谷官職たかけれは。其名天下にかくれなきをいふ也

平生孝にして親につかうとはつねつね孝行にして。おやによく。つかへし人にて
あるとほめたる心也。

泉を汲て。にようきをあらふとは。母のやめる時は、みつから大小便をとり。
きよき水を汲て。けがれたる入物を。てづから。あらはるる也。是をもつて其
意(こころ)をしるべし其外の孝行をや。

婢妾豈なけんやとは。ひしやうとは女のつかひものの事也 母につきしたがふもの。
なきや。なるほと。たくさんに。あれども。てつからかやうにせらるる事は
ためしなき孝の心ざし也。

道をしりたる人ならではかくあるべきや。されは天下に其名きこえて。
上下万民かんじける也
佛曰 父母忽有染病 自看視不委大小下賤不離牀邊 
父母恩重経の文也 孝の心ふかき。ゆへをのづから佛意にも。あいかなふものなりと。ありがたく。たのもしくおもふ也
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ARC古典籍ポータルデータベースより

 

龍ヶ崎市八坂神社の黄山谷

右端の黄山谷以外の3人だけ見ると漢文帝のようにも見えますが、飲食物を運んでいるのが二人とも女性である、というところがポイントですね。黄山谷は母親の下の世話を進んで行い、手を汚さない仕事を女性に任せた、というお話です。

書籍/二十四孝諺解・17 庾 黔婁

父親の病気平癒を星に祈る庾 黔婁。

ARC古典籍ポータルデータベースより

庾黔婁

南斉の時の人也。セン陵県といふ所の官人になりて。此所にゆきけるか。
いまた十日にもならさるに。俄に。むなさはぎ。しければ父の煩給ふにやと。
官をすてて帰りければ、あんのごとく。父万事かぎり也
黔婁医師によしあしをとひけれは。病人の。ふんをなめて。みるに。
あまくにがくはよかるへしといふ。きんろう。なめてみれば。あぢはひ。
医師の。いひけるとは違てよろしからず。泪をながして。父の死せん事を。
かなしみ。北斗の星にいのりて。我 身がはりに。たたんと。きせひしける
程の孝行成人也

到縣未旬日 椿庭遘疾深
願将身代死 北(※塑)啓憂心

※塑ではなく望が正しいようです。

縣いたりいまだ旬日ならずとは。黔婁。せんりやうへ。いたりて。
いまだ日数もたたぬをいふ也。

椿庭疾深にあふとは。ちんていとは。父をいふ也。おもひの外なる。
おもき。わづらひがつきたると也。

願は身をもつて。死にかはらんとは。ねがはくは。我身を。みがはりに。
たてて父を。たすけたくおもふとなり孝行ふかき心たぐひなし。

北塑に憂心を申すとは。北さくとは。北斗のほしの事也。憂心をもうすとは。
父のやまひを。かなしむ。うれへの心をもうしあげて。天にいのり奉るといふ事也


▲誠にかやうに身にかへて父をおもふものあらんや 
子曰 孝莫大於厳父と聖人の御心に相叶歟(あいかなふか)
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八千代市飯綱神社の庾 黔婁

 

書籍/二十四孝諺解・16 蔡順

桑の実を仕分けしていて助かった蔡順。

ARC古典籍ポータルデータベースより

蔡順

後漢の代の人也 汝南といふ所に住けり 父にはなれて
母をやしなふ 其頃。王莽といふもの乱をおこし天下乱て
飢饉なれは食じに。乏しけれは母のために桑の実をひろひし人なり

黒椹奉親闈 啼飢泪満衣
赤眉知孝順 牛米贈君帰

黒椹しんゐにほうずとは。こくじんは。くろき桑の実也。
しんゐにほうずとは母に奉るといふ心也

啼飢泪衣にみつとは。ききんにあふて母をはごくみ。かねて。
かなしむなみた袖をひたすといふ心也。

赤眉かうしゆんを知りとは。せきびは。えびす国の名なり。
此ものども蔡順が孝行をかんじたるといふ事なり。

牛米を君に。おくつて帰るとは。牛と米とをやる也 君とは
さいじゆんを。あがめて。えびすがいふ詞也。
帰るとは。えびすいづくともなくかへり去也

▲これ天のあたへなるへし 蔡順母を。やしないかねて桑の実を
ひろい。ふたつに。よりわけけるを。えびすともきたりていかにして。
わくるととへは。我一人の母を。もちたり 此熟したるをは母にあたへ。
熟せざるをは。我たべ候とかたれは。おそろしき。えひす共なれど。
此孝行をかんとく(感得?)して。米二斗と牛の股(もも)とをあたへけり。
よろこひかへりて。母にもあたへ我も食しけれども。一期のあいだ。
つきせさると也。誠に人のものをおさへはぎとる。えびすどもの孝の心を。
かむして(感じて)あたへけるは。ひとへに天のなせるなるへし
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カゴが二つ、お米、そして肉。肉は燻製にしてあるんでしょうかね。

書籍/二十四孝諺解・15 王祥

体温で氷をとかして魚を捕まえる王祥。

ARC古典籍ポータルデータベースより

王祥

魏の代の人なり。いとけなくして母にはなれたり。父又妻を持 
名を朱子と。いひけり。継母のならひなれは。父子の中をあしく。
いひなして。にくませけれども。うらみとも。おもはず。かへつて。
かうかうをつくしける人也

継母人間有 王祥天下無
至今河水上 一片臥氷摸

継母人間にありとは。けいぼといふもの。人間の中には。あるならひ
なりといふ事也。

王祥天下になしとは。まへにいふごとく。継母といふものは世上に。
たくさんありて。まま子を。にくむものなるが。王祥か。やうなる。
まま母に孝行なる。ものは天下になしと。ほめて。作りたる也。

いまに至て河水上とは。まま母のさむきに。生うをを。ねがいければ
王祥其まま。肇慶府といふ所の川へゆきて魚を。もとめけれども。
氷とぢて。更に魚みゆる事なし。せんかたなく。裸になりて氷の上に。
ふしけれは魚二つおどり出たる也。其事をかくいふ也

一片氷摸にふすとは。王祥氷の上にふしたるあと。ありありと。後の世まてある也。
氷摸とは。氷は。こほり。摸は。いかた(鋳型)。とよむ文字也。
王祥がすがたの氷の上にあるは。さながらいかた(鋳型)にて。物をうつしたる。
やうなりとの心也

▲誠に孝行の心天理にかなひ其跡氷の上に。毎年つく事は。末代の人の子たる。
ものに。みせしめ。王祥がごとく孝行をつくせば。かかるふしぎありと。
天より。しめし給ふ也。又不孝なるものには鬼神心に入かはりあくをすすめ身を
ほろぼし。子孫ながく絶るも天道にくみ給ふ故也

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毎年氷の上に人型が現れる・・。怖い。

 

こちらは印刷のはっきりしている別の本。王祥の身体の線がよくわかります。

脱いだ着物が木に掛けられてます。

書籍/二十四孝諺解・14 曽参

薪採りの最中に胸騒ぎを感じて急いで帰宅した曽参。薪はちゃんと担いで帰ってきました。孔子の弟子ですが、子路閔子騫のように孔門十哲のメンバーには入っていないんですね。

ARC古典籍ポータルデータベースより

曽参

山東兗州府嘉祥縣の人也 孔子の弟子曽子の事也
家まづしけれど道を。まなびて道統の伝をつぎたる人也

母指纔方噛 児心痛不禁
負薪帰未晩 骨肉至情深

母指纔方噛とは曽参が留守に。人きたりければ。いまかへれかしとおもひて
母ゆびをかみたる也。わづかにかむとは そとかみたる也

児。心いたんでたへずとは。児はちごといふ字にて。そうしんが事也
心はむね也 山に。たききを。とりて居けるに。俄にむねがいたみて
たへがたき也。母のかへれかしとおもふ一ねん(一念)と。そうしんがつねつね
孝行の心と。つうじたる也

負薪て。かへることいまた。をそからずとは そのまま曽参か帰りたる也

骨肉しじやうふかしとは。おやこの間を云なり。こつは。ほねにて父の
おん。にくはししむらにて母のおん也。至情とは。おやこの間。なさけふかく
して。ゆびをかみたれは。そのいたみ。そうしんがむねへ。こたへけるは。
さてもさてもふかきはおやこの間かなとかんじたる心也。

▲そうじて曽参の事は人にかはりて。心と心の事をのべたり。とおき山中に
いけるにむねさはぎける事は。おやかうかうにしてつねつね。むつましきゆへ
天道より母の心をしらせたまふ也
ーーー

曽参、お客さんが来たから早く帰ってきておくれー。

思いを込めて指を噛むお母さん。思いっ切りではなく、そっと噛んでたんですね。

結局来客は曽参と会えたのか、それとも会わずに帰っちゃったのかは謎。

 

滑河観音の曽参。