中国五代十国時代の王朝の1つ。946年から950年まで続いた。華北の五代の1つである。建国者は劉知遠で、劉姓であることから国号を漢とした。都は開封にあった。日本では1世紀に光武帝が建てた漢も後漢と言うが(中国では「東漢」という)、光武帝の後漢は「ごかん」、五代の後漢は「こうかん」と音読することでこれを区別している。
西暦23年〜西暦220年
中国の王朝名。 漢王朝のうち、王莽による断絶から光武帝(劉秀)が再興して以降の王朝のこと。 これに対してそれ以前の漢のことを「前漢」という。 また、都を長安から洛陽へ遷したので「東漢」ともいう。
第14代の献帝の代に魏に帝位を奪われ滅んだ。
前漢→新→後漢→三国時代
三国志は、古代中国の歴史を彩る壮大な物語であり、数多くの英雄的な人物や戦略的な戦いが描かれています。この物語は、中国の政治、文化、そして人々の心に深く根ざした影響を与えました。ここでは、三国志の物語、その背景、そしてその影響について探求してみましょう。 1.三国志の背景 三国志の物語は、中国の後漢時代末期から三国時代にかけての出来事を描いています。当時、中国は政治的な混乱と内乱に見舞われ、国家は分裂状態に陥っていました。この時代には、後漢王朝の崩壊、黄巾の乱、そして豪族の争いなど、様々な事件が発生しました。これらの出来事は、後に三国時代として知られる時代へとつながっていきます。 2.三国志の登…
期待外れと、新たな期待、想定外を愉しむ! 退職後の夢の1つだった『徳川家康』全13巻 先々週、読み終えることができました。 次に読むことにしていたのは、30年ほど前に 古本屋で見つけた『諸葛孔明』上下巻でした。 学生の頃、歴史に興味があって『司馬遼太郎』 さんの『項羽と劉邦』などを読んで、就職後は 通勤電車の中で『三国志』を読んで『孔明』の 『赤壁の戦い』での智慧に、すっかり魅了され その頃、この上下巻を見つけたのです。 作家は、『陳 舜臣 (ちん しゅんしん) 』という 元々の本籍は台湾で、神戸の出身という方で、 『司馬遼太郎』さんと親交があったそうです。『三国志』は登場人物がとても多くて、…
曹操軍団初期の謀臣・戲志才(戯志才)。三国志に残る記述は3か所に過ぎない。荀彧伝本文、荀彧伝注の「荀彧別伝」、郭嘉伝本文である。 荀彧伝本文:天子拜太祖大將軍,進彧為漢侍中,守尚書令。常居中持重,太祖雖征伐在外,軍國事皆與彧籌焉。太祖問彧:「誰能代卿為我謀者?」彧言「荀攸、鍾繇」。先是,彧言策謀士,進戲志才 。 志才卒,又進郭嘉。 荀彧伝注の「荀彧別伝」:前後所舉者,命世大才,邦邑則荀攸、鍾繇、陳羣,海內則司馬宣王,及引致當世知名郗慮、華歆、王朗、荀悅、杜襲、辛毗、趙儼之儔,終為卿相,以十數人。取士不以一揆,戲志才、郭嘉等有負俗之譏,杜畿簡傲少文,皆以智策舉之,終各顯名。 郭嘉伝本文:先是時,…
後漢末の豫州情勢は何かと不明点が多いが、気になるのは陳国王の劉寵のことである。 陳国の始祖は後漢の第二代皇帝の明帝の子の劉羨である。劉寵は第11代の桓帝(132-168)と同じ世代にあたる。曾祖父同士が兄弟である。第12代の霊帝(156-189)からは親の世代にあたる。 劉寵の即位年は不明だが、173年に謀反の疑いを掛けられている。それ以前の即位ということになる。劉寵は弓の名手として有名で、強弩数千張を有しており、黄巾の乱の際も陳国人は敢えて反乱しようとしなかった。董卓が専横し、義兵が起こると、劉寵は陽夏県に駐屯し、輔漢大將軍を自称した。国相の駱俊の政治は威恩があり、鄰郡の人々も多くこれに帰伏…