亡き親の木像を作って毎日生きている人のように敬った丁蘭。
ARC古典籍ポータルデータベースより
丁蘭
河内の野王といふ所の人なり。十五のとし母におくれけり。かなしみて
母のかたちを木像につくりて。朝夕いきたる時の。ごとくにつかへけり
或とき丁蘭か妻 火を。ともすとて木像のおもてこがしければ。
かさのごとくにはれ。うみ血ながれけり。
二日を過て。丁蘭が妻の頭の髪。そりおとしたるやうに。ぬけたり
驚て扨は木像のとがめ成べしと。木像を大道へ出しをき妻に三年侘言を
させければ一夜風吹。雨ふりて。木像みづから内へ帰けり。
それより何事も此像に。うつたへける也。
刻木為慈母 形容在日身
寄言諸子姪 聞早孝其親
木を刻慈母をなせりとは。母のすがたを木に、きざみたる事也。
在日の身を形容すとは。生て居給ふかたちに。すこしもちがはぬ
ごとくにうつしたるとの心也。
言を寄諸子姪とは。世の中の人の子たるものにことばをよするぞ。
これをみて。かならず親に孝行を。いたせといふ心也
聞早其親に孝せよとは。此丁蘭の孝行を。きいて。尤とおもひ油断なく
はやく。孝をつくせよとおしへたる也。
孝子之事親也 事死如事生と是聖人の御詞に相かなへるもの也
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漢文帝との大きな違いは、母親が壇上にいて、香炉や蝋燭が置かれていることでしょうか。木像なのか生きている人なのか、母親だけ見てもわからないですねー。
↓こちらは漢文帝。侍女がいるので椅子に座っているのが身分の高い、生きている女性だとわかります。