二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/二十四孝諺解・8 董永

 短期間とはいえ天女と暮らした果報者の董永。

ARC古典籍ポータルデータベースより

董永

後漢の代の人なり。字を延年といふ也 家まづしくして。つねに人にやとはれて
かうさく(耕作)をし。賃をとりて。日ををくりたり。
父年老て。足たたざれは車をつくりて。父をのせて。田の。あぜに。おきて孝行を
つくせし人なり

葬父貸方兄 天姫陌上迎
織絹償債主 孝感盡知名

此詩は父死て後董永が孝行の徳を作る也
葬父に。はうひんをかる(方兄を貸る)とは。父死て。とふらひを。
なすべきやうなけれは。うとくなる人に。身をうり。銭十貫かりて。
とふらひをせし也。はうひん(方兄)とは銭の事也。

天姫陌上迎とは。天より天女があまくだり給ふをいふ也
へきしやうにむかふ(陌上迎)とは。董永が行道に。まちむかひて。
御みの妻に。なるべしと。やくそくをする也。是天の織女成が孝行の
心をかんして天より下し給ふ也。

織絹(きぬをおつて)せいしゆ(債主)に。つぐなふとは。
彼天人きぬを一月に二百疋おりて。せいしゆの方へ持行て銭の代に出して
董永か奉公の身を。うけゑさせ給へりといふ心也。

孝感ことことく名をしるとは。董永が孝行天心をうごかすといふよりして。
天下ことことく名をしるといふ事也 
子曰 夫孝。徳之本也とは。かくのごとき事にや
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別れのシーン。董永寂しそう。天女はそうでもなさそう。

 

こちらは長野県立大学蔵の書籍から。絵がはっきりしてて見やすいですね。

ARC古典籍ポータルデータベースより

 

稲敷市大杉神社の董永。雲の彩色が華やか。

 

書籍/二十四孝諺解・7 呉猛

父親の安眠のために自分が裸になって蚊をおびきよせる呉猛

ARC古典籍ポータルデータベースより

呉猛

いづくの人といふ事伝記たしかならす。八才にして孝の道を。しれる人なり。
家まづしくして万(よろつ)こころに。たらずと也

夏夜無帷帳 蚊多不敢揮 
恣渠膏血飽 免使入親闈 

夏夜帷帳なしとは。帷帳は蚊屋の事也。ひんにして夏の夜。かやもなき也。
扨もあはれなる事かなとなげきたる也。

蚊多けれとも敢(あへて)揮(ふるは) ずとは。蚊がたくさんに。
くひつけども。さらに。おい。はらはぬ也。

渠(かれ)に膏血を。恣ままに飽とは。渠は蚊をさしていふ也。
膏血とは。あぶらづきたる身の。ししむらや。ち(血)の事也。
呉猛がわかき身の。あぶらや。ちを。蚊に。あく。まで。あたへたる也。
しかれば。屋内の蚊がとりつき。くらふといふ心也。

親闈に入しむることを。まぬかるとは。かくのごとく。ごもう。
わが身を蚊にあたへけるほどに。おやの方へは。蚊がゆく事なくして。
おや心やすく。いねたると也。親闈とは。おやのねところの事也

▲誠に八才などにして。かかる孝行の。心ありて。わがみを蚊にあたへ
親のなんを。すくひけるは。ありかたきとも。あはれなるとも。いひつくさんや。
ある人のいわく廿四孝の内。此絵を。見るたびに。泪をながすといはれけり。
さもあるべし。天下の人かくのごとき心あらすとも。子たるものはせめて
不孝ならずは是孝といふべし。子曰 天地の性は人を貴(たつとし)とし。
人之行は孝より大なるはなしと也。恥べし敬(つつし)むべし
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蚊が呉猛の身体のまわりにブンブン。

 

稲敷市大杉神社の呉猛。蚊はいないみたいですね。蚊がいないと、なんだか意味がよくわからない彫刻ですわね。

父親が急逝し、嘆き悲しむ息子の図です、と言われればそうかなあと思いそう。父親呑気に寝てるだけですけどね。

書籍/二十四孝諺解・6 姜詩

奥さんを使って親孝行をする姜詩。強風の中、奥さんを遠くまで水を汲みに行かせ、帰りが遅くなったらキレて奥さんを追い出しました。奥さんはそれでもけなげに姑の世話をしたので姜詩は奥さんを家に呼び戻しました。奥さんを母親の介護要員としか見てませんね。

ARC古典籍ポータルデータベースより

後漢の代の人なり 父にをくれて母に孝行せし人なり
其妻も。しうとめに孝をつくしける也
母つねに江の水をこのみ。又魚の。なますを。このめり
姜詩我つまに。いひ付て六七里(唐は六丁一里也)のみちを。
へだてたる江の水を。くませけり。有時大風にあふて。ゑかへらず
母水に。かつへけり。日暮て帰けれは姜詩いかりて妻をさりけり。
しかれども妻姜詩をすこしも。うらみずひそかにしうとめの。
かたへいろいろのめつらしき食物を。たへさずおくりけり。
姜詩此心をかんじて妻を。ふたたび。よびかへしけり。
いよいよ孝をつくせしとなり

舎側甘泉出 一朝双鯉魚
子能知事母 婦更孝於姑 

舎側甘泉出とは。姜詩妻に。とおき江の水を。くませけるが。
俄に家のかたはらに。あぢよき。いづみがわき出けるなり。

一朝双鯉魚ありとは。母鯉をねかひけるによりて。此泉より毎朝
一つ二つづつ出ける事は是孝行の天に通じける。しるしなるべしといふ心也。

子。能(よく)母に。つかふることをしるとは。子としては。おやに孝を。
なすみちなれば。其ことはりをよくしりたるといふ心也

婦は更に姑に孝ありとは。姜詩孝行の道をよくしりたるゆへ。
妻もまたしうとめに孝行を。つくせし事はためしすくなき事といふ心也

婦は。よめといふ文字也 姜詩か女房の事也 姑はしうとめといふ文字にて
姜詩が母の事也
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姜詩の奥さん、かすれてちょっとわかりにくかったので、別の書籍で部分拡大しました。鯉二匹がよくわかりますね。

ARC古典籍ポータルデータベース 長野県立大学図書館所蔵本より

 

八千代市飯綱神社の姜詩。姜詩の奥さんと母親だけで姜詩本人はいません。上の挿絵でも特に何もしてませんからね。

書籍/二十四孝諺解・5 閔子騫

五番目の孝子は良い子過ぎる閔子騫

ARC古典籍ポータルデータベースより

閔子騫

閔は氏なり。名を子騫と。いふなり。山東兗州府の曲阜縣と。いふ所の人なり
孔子の弟子にて十人すぐりたる中の一人也
孝なるかな閔子けんと孔子もほめたまへり
母にをくれて継母にそへり。
後の母に二人の子あり 母我子をあひして。びんしけんをにくみ。
蘆のほをとりて。き物に入きせけるほどに。身もひえてたえかねけれは。
父のちのつまを。さらんとしけれは。びんしけん。父をいさめて。
母なき時は。三子さむし。母ある時は。一子さむしとて終に。さらせざりけれは。
まま母もこれをかんじて。それより我子のことく。あひしける也

閔子有賢良 何曽怨晩娘
尊前留母在 三子免風霜

閔子けんらうにありとは。びんしけんは。賢人なりとほめたる事也。

何曽(なんぞ かつて)ばんらう(晩娘)をうらみんとは。つらきまま母をも
少もうらむる事なき也
ばんらうとは。のちの母といふ心也

尊前母をとどめていますとは。父妻をさらんとせしかば。父をいさめ
断(ことはり)をつくして母をそのままをくを言也

三子風霜をまぬかるとは。三人ながらのちには風霜のさむきを
まぬかれたりと也。

是まことにびんしが孝行ふかきによりて天是をあはれみ。まま母をして
誠の心に。いたらしめ給ふ也
古人のいわく善悪は。人にあらず。みづからの心にありとは此謂か
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「孔門の十哲」のうちで、閔子騫は「徳行」に優れた四人のうちの一人だそうです。子路(仲由)は「政事」部門で優れていて同じく十哲のメンバーに入ってます。

書籍/二十四孝諺解・4 黄香

父親が快適に寝られるように、布団を仰ぐ黄香。

ARC古典籍ポータルデータベースより

黄香

江夏安陵といふ所の人なり 老荘のみちを。まなび。又はふん(文)をよく書し人也
九才にして母にをくれ父に孝をつくせし人也

冬月温衾煖 夏天扇枕涼
児童知子職 千古一黄香

冬月には衾を温て煖にしとは冬のさむき時には父の寝たうく(道具)を。
我身にて。あたためて寝させたてまつる也。

夏天には枕をあふひで涼くすとは。夏のあつき頃は父の枕床をあふき涼くする也。

児童なれ共 子の職をしれりとは おさなき童なれども。子としては。
おやに孝行をする道をまもれるといふ心なり

子の職をしれりとは孝行は子のためには職のやうなる物也
職はしよざいの事なり。
千古一黄香とは其年九つなどにてかく孝の道を知もの千古のいにしへも今も
さらにたぐひなき事也とほめたる心なり。
一とは黄香一人にとどめたりといふ心也

▲されはおさなき心にためしなき事なりとて。たいしゆ(太守)りうけんといふ人
都に札をたてて。黄香が孝行なる事をかきあらはして世上の人にみせしめけり。
それよりして天下にかくれなく。其時の御門和帝きこしめして。いとけなきものの
孝の道をしれりとてほうびをたまはりけると也
誠の心切なるときは。天あきらかにこれをしり。
悪心有時は天人をして是をいましむとは。古人の言葉なるをや

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書籍/二十四孝諺解・3 老莱子

三番目は老莱子。

ARC古典籍ポータルデータベースより

老莱子

楚国の人也。又周の代の人ともいへり。列女伝に。のせたり しかれは(然れば?)女なり。
いま。絵に男にかく事不審(いぶかし) 日記古事云女伝入者莱子之妻也

戯舞学嬌癡 春風動綵衣 
双親開口笑 喜色満庭圍

此詩一二の句は老莱子。二人の親をいさめたる事を云也。
三四の句は親の甚(はなはだ)よろこびたる事を作る也

戯舞(けぶ)嬌癡(けうち)をまなぶとは。
けぶは。たはふれまふといふ字也 
けうちをまなぶとは。おろかなる。わらべのまねをする事なり
春風綵衣をうごかすとは。綵はいろどる。衣はころも也。
うつくしく。やさしき。いしやうの事也。それを着て。まい。
たはふれ。けるに。春風がそよそよふいて。うつくしき。
いしやうを。うごかすは。さてもおもしろきと言心也。

双親口をひらいて笑とは。二人のおや。我子の。まいをみて。
よねんなく口をあけてわらふ也。

喜色庭圍にみつるとは。よろこべる。おやのけしきが庭のおもにみつるほど。
がんしょく。うるはしくよろこびたると云心也

▲されば老莱子は七十餘にして百餘の父母に。孝行をつくせし人也
我かたちのかはりたるをみては。親の心には。子かたちさへ。
みにくけれは。さぞわれわれがすがたは。いかはかりにやと。
たのみなく。かなしからんとてわらべの時の。いしやうをきて。
我年のよりたる事をかくして。つかへらるる也

ある時二人のおやのまへにて。つまつきころびて。わらべの。なく。
ことく爪をくわへなかれけると也
誠に哀にもいとやさしき孝の心さし也
ーーー

いきなり老莱子は列女伝に載っているから女性である説が出てきたので驚きました。でもそのあとに小さい字で「列女伝に入っているのは老莱子の奥さん」と書かれていました。奥さんいたのね。まあ気にしないでいきましょう。

どうみてもおじさん。変なおじさん。

書籍/二十四孝諺解・2 漢文帝

二番目は漢文帝。

ARC古典籍ポータルデータベースより

漢文帝

漢の高祖の御子也。いとけなき時の御名を恒と申奉る
御母は薄太后と申しき


仁孝臨天下 巍々冠百王
漢廷事賢母 湯薬必親嘗 


此詩一二の句は文帝の御孝行をほめて。いひたり
三四の句には其孝のつかへを言也

仁孝天下にのぞみとは。孝行の。おほきなる事天下にみちて
あるほとなり。

巍々として百王に冠たりとは ぎぎとは。たかくおほきなる事なり
百王に冠たりとは。むかしよりいまにいたるまでの御門の御中に。
かほと孝行なるはまれなりと云義也
百王といふ事。かならず百人の王にかきるべからず。おほくのみかとの
中にも。まれなることと也。
冠たりとは百王の上に。をくべしとほめたる心也。
冠は。かふりといふ文字也 冠はかしらにかぶる物なれば。此うへは
なしといふ心也。

漢廷けんぼに。つかふるとは。かんていは文帝の御事也。前漢の御あるじ也
賢母に。つかふは御母につかへ。きうじなどをもし給ふ也

湯薬かならす親みなむとは。母のきこしめす湯薬食物なとを。
みづからなめて。心みし給ひて其後奉り給ふ也。誠に四百餘州の天子の
御身にてかくの。ごときの御事はたつとかりし御心さし也 

此故に。あまた御兄弟も ましましけれとも陳平周勃なんどいひける臣下
御孝行をかんじて則御門になしまいらせたり。
それより漢のふんていと申奉る也
さるほとに御代もゆたかに民もやすくすみける事 此御門の御めくみゆへ也

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前回ご紹介した「御伽草子」と「二十四孝諺解」との漢文帝の違いを見てみます。

青い丸・・・・侍女の持ち物、御伽草子のほうは器。二十四孝諺解のほうは長柄の団扇の「翳(さしは)」を持ってます。

黄色の丸・・・薄太后の右手。二十四孝諺解のほうは扇を持ってますね。

赤い丸・・・・薄太后の左手。御伽草子のほうは上げていますが、諺解のほうは下ろしてます。

こうして比べると椅子の形や着物も違ってますねー。