音楽家ルソー

 言葉の音声としての側面に注目すれば、18世紀フランスの思想家ルソー(J.J.Rouseau)の『言語起源論』が先駆的なのであろうか。こちらがかつて読んだものは、小林善彦氏による初訳(1970年:現代思潮社刊「古典文庫」37)。小林善彦氏は、「言語」1972年の9月号掲載の論文、「ルソーの言語論」(『ルソーとその時代』大修館書店所収)で『言語起源論』を紹介していて、大いに参考となる。
 ルソーの述べる〈起源〉=自然状態は、歴史的な事実としての状態ではなく、あくまでも理念的なものである。自然状態における言葉は、多くの人を説得する必要で生まれたのではなく、自然の叫び声、「はっきりしない叫び声」であったが、永い時間の経過とともに現在の言語となった。最初の人間の語法は、幾何学の言語ではなく詩人の言語であるという。ある意味内容を伝えるには符牒や身ぶりのほうが効果的であるが、人の心を感動させ、情念を燃え上がらせることが問題となるときは、音声による言葉のほうが適している。たとえば、日頃はどんな不幸な人にも憐れみの情をもたなかった人が、悲劇を観てはすすり泣く。
『言語を固定するはずと思われる文字表記こそは、まさに言語を変質させているものなのである。それは語を変化させないが、言語の特質を変化させ、表現の代りに正確さを持ちこむ。人は口で話すときにはその感情を表わし、文字を書くときにはその観念を表わす。書くときには人びとはすべての語を一般に共通の意味で取らざるをえない。しかし話す人は調子によって意味を変化させ、自分の好むままに意味を決定する。話す人は明晰であろうとはそれほど気をわずらわさず、より多くのものを力に託す。そして字で書かれた言語が、口で話されただけの言語の活溌さを長く持ち続けることは不可能である。人びとは音声を字に書くのであって、音色を書くのではない。ところでアクセントのついた言語においては、その言語の最大の力強さを作り出しているのは、あらゆる種類の音色、アクセント、抑揚なのである。』
 ルソーは、言語論と併行して音楽についても考察している。情念によって韻律と音色が音節とともに生まれたのであリ、韻文と歌と言葉は共通の起源をもつとされる。はじめに旋律以外の音楽はまったくなかったし、言葉の変化に富んだ音色以外の旋律はなかった。アクセントが歌を形づくり、音の長さが拍子を形づくった。ところが和声という音と音の人工的な関係に美を見い出すことによって、旋律から自然にあったはずの力強さと表現を奪ってしまい、歌と言葉が分離され、音楽が堕落してしまった、というのが、ルソーの音楽観である。

 その議論の当否は別にして、彼の作曲家として後世に与えた影響の大きさを、CD『むすんでひらいての謎』(KING RECORDS)で理解することができる。明治時代の『小学唱歌集』では、「見渡せば」であった歌が、明治末には、その旋律が身体各部位の簡単な動きと結びついて遊戯歌「結んで開いて」を誕生させ、今日も歌われている「むすんでひらいて」になったそうである。そしてこの歌の作曲がルソー伝となっていることは周知の通りである。
 海老原敏氏の解説によれば、ルソーのオペラ「村の占師」のパントミム(劇中黙劇)冒頭の音楽の旋律が、〈ミー・ファ・レ・ドー・ドー…〉で、「むすんでひらいて」の〈ミー・ミ・レ・ドー・ドー…〉にきわめて近い関係にあるそうである。この旋律が作者不詳の「ルソーの新ロマンス」を生み、それが世界中に広がることになった「むすんでひらいて」のメロディーの出発点であるらしい。アメリカでは、子守歌「ロディーおばさんに言っといで」および民謡「年老いた灰色のガチョウは死んだ」となり、中国では、軍歌「尚武乃精神」となり、イギリスでは、アメリカのプロテスタントの宣教師たちが布教のために携えてきた讃美歌となり、それは日本のみならず中国、韓国など他の東洋諸国へも渡来したのであった。CDを聴いていると、この旋律の伝播の広大さに知的眩暈を覚えてしまうだろう。
⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町に咲く紅葉葵(モミジアオイ)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆