青春ミステリの条件とは何か? それは探偵の敗北にあるのではないかと思います。
以下、探偵の敗北について考えつつ、青春ミステリの旗手・米澤穂信の最新刊『遠まわりする雛』を見てみたいと思います。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/10
- メディア: 単行本
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2種類の青春小説
まずは青春小説に関してから始めましょう。
秋山が思うに、世には大きく分けて2種類の青春小説があります。甘いだけのものと、ほろ苦さを含むものです。
個人的な主観ではありますが、青春小説でしばしば描かれる思春期という年代は、非常に気持ちの悪いもののように思います。11歳から17歳ぐらいまでの間、ひとは声変わりや第二次性徴によって肉体的に大きく成長します。変質、もしくは変容と言ってもいいかもしれません。この時期に肉体は、子どものものから、大人のものになります。しかし、精神も同じように成長するとは限りません。肉体的には大人でも、精神的には子どもという、アンバランスなひとはくさるほどいます。そういったひとが思春期の葛藤を経て大人になり、バランスを取り戻すことになります。
さて、このアンバランスですが、これを取り扱うか否かによって、青春小説は大きく変わってくるような気がします。ざっくり言ってしまうと、取り扱っていないのが甘いだけのもの、取り扱っているのが甘いだけでなくほろ苦さを含むものになります。もしくは成功したか失敗したかで判断することも出来るかもしれません。平易な例を示すと、恋愛が成就すれば甘い、失恋したらほろ苦い、みたいな感じです。
秋山個人の好みから言うと、甘いだけの青春小説よりほろ苦さを含むものの方が好きですね。成長性があるからです。ひとは失敗のなかから学ぶ生き物だと思っているので、挫折し、苦悩しないと大人になれないのです。まあ、でも、甘いだけの青春小説にも面白い作品はありますと断ってはおきます。
青春ミステリにおける挫折は「探偵の敗北」
一般的な青春小説における挫折は、友情や恋愛に関わってくるものが多いですが、青春ミステリにおいては、現実や論理が対象となることが多いですね。理想を追い求めて犯人を追求した探偵が、しかし現実という壁を前に負けてしまったり*1、関係者の感情を推し量ったり可能性を考慮して推理した探偵が、論理に阻まれていともかんたんに敗れてしまったり。真相に到達したものの、それが社会のなにかを象徴するもので、探偵がショックを受けるというのも含まれるかもしれませんね。
ここでかんたんに「探偵の敗北」について説明しておきます。と言っても言葉通りの意味です。犯人が用意したトリックに、探偵がまんまと引っかかってしまい、誤った解決をしてしまうものを「探偵の敗北」と言います。特に、作中において探偵が事件を解決し、その後、読者にだけ真相が明かされた場合などは「探偵の敗北」物として扱われることが多いですね。ところで、秋山はこの言葉を後期クイーン問題に関連する用語だと思っていたのですが、先ほどグーグル先生に聞いてみたら必ずしもそうとは限らないことを知りました。とは言え、元々は後期クイーン問題を説明する際に使われた用語かもしれないので、ここでは括弧に入れておきます。
米澤穂信の著作
・古典部シリーズ(氷菓・愚者のエンドロール・クドリャフカの順番・遠まわりする雛)
・小市民シリーズ(春期限定いちごタルト事件・夏期限定トロピカルパフェ事件)
・『さよなら妖精』
・『犬はどこだ』
・『ボトルネック』
・『インシテミル』
現状において入手できる米澤穂信の著作は、上記の通りです。このなかで『インシテミル』は青春ミステリには含まれず、異色作なので置いておくとして、他の2シリーズと3作は、いずれも優れた青春ミステリです*2。
……あ、ここからひとによってはネタバレです*3。気をつけて書きますけれど、ご注意ください。